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第二章 魔法使いの追憶

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「カナタちゃん! 無事でござるか!」


 身体の上に覆いかぶさっていた瓦礫が退けられて、カナタは身体の自由を取り戻す。

 ふらふらする意識の中で、今の状況を改めて確認した。

 目の前に立っているのは太った、犬の顔をした男が一人。


「って、犬!」

「小生でござる! アツキでござるよ!」


 犬の顔が、聞き覚えのある声で喋る。

 それから数秒もしないうちに、その顔は暑苦しいアツキのものへと戻って行った。


「前も思ってたけど、アツキさんのギフトって、なに?」

「今更でござるか……。幾ら何でも小生に興味なさ過ぎでござる。小生のギフトは『イーター』。魔物を食べることでその力の一部を行使できるという優れものでござる。今は犬型の魔物の肉を食べて、カナタちゃんの匂いを辿ったでござるよ」

「……うぇ。ボクの匂いって、なんかやだなぁ」

「助かったんだからそこは文句言わないで欲しいでござるよ!」

「そう言えば、超銀河なんとか団の人達は?」

「無事だぜぇ!」


 喧しい叫び声と同時に、歓声が上がる。

 よく見れば崩れた建物の中、モヒカン頭を中心とした超銀河伝説紅蓮無敵団はカナタを囲むように残ったキメラから護ってくれていた。

 そこには何事かと建物から出てきた魔法学院の学生、教授達も混ざり、キメラとの激しい戦いを繰り広げているが状況は決してよくはなさそうだった。

 彼等では十人集まってようやく、一匹のキメラを倒せると言った程度の戦力しかない。

 ブルーノ教授がどれだけの数を用意したのかは判らないが、このままではいずれここも押し切られてしまうことだろう。


「おうチビちゃん。今、あっちにでっかいのが行った。これは俺の勘なんだが、こいつらはそれに合流するために動いてる。違うか?」


 グレンの言葉には何の根拠もないが、事実キメラ達は先に街へと向かって行ったシノの方へと顔を向けている。

 その間に立っているあらゆるものを、障害物と判断して無差別に攻撃を仕掛けながら。


「ってことはよ。あいつを殺ればこいつらも止まる気がしねえか?」

「ボスを倒せばクリアってやつでござるね」


 ブルーノ教授は魔法によってキメラを操っていた。

 彼が死に、魔法の効果が切れた今、キメラ達を動かすものは何か。

 それは司令塔たるシノである可能性は充分にありうる。

 そして何よりも、まずはシノを倒さなくては被害は次々と広がっていくばかりだ。


「……でも」


 だが、あれはシノだ。

 数度喋っただけの子供だが、無邪気な笑顔を見せてくれた。

 カナタのギフトに憧れて、自分も強くなって母を護ると宣言した。

 ――その母に裏切られた子供。

 そんな彼を倒して、本当に全てが解決するのだろうか。

 カナタにはそれが判らない。


「そっちに行ったぞ!」

「く、来るなぁ!」


 悲鳴にも似た声と共に、色とりどりの魔法が弾ける。

 実践慣れしていない魔法学院の生徒では、キメラに攻撃を当てることすらも困難な様子だった。


「超銀河伝説紅蓮無敵団! 学院の生徒達を護ってやれ! これからの国の未来を築く若い奴等を傷つけさせるんじゃねえ!」

「おう!」「判りやした、大将!」


 威勢のいい返事と共に団員達がそちらに走って行く。


「……まぁ、どさくさに紛れて色々盗んできた借りもあるしな」


 小声で、カナタとアツキにしか聞こえないようにそう付け加える。

 そして学生達の前に立ち、その身体を盾にしてキメラの攻撃から彼等を護っていた。


「チビちゃんよ! 時間がねえんだよ! ビビってる場合じゃねえだろ!」

「……でも、あれは……! あれは、シノ君なんだよ!」


 カナタの絞り出すような声に、グレンは目を丸くする。


「シノって……。エトランゼ街の、あのガキのことか? 母親と二人暮らしの?」


 カナタは頷く。

 グレンもエトランゼ街を裏で仕切っていたから、シノのことは知っている。特に母親しかいない第二世代のエトランゼは、何かと目に付いたものだ。


「シノ君……で、ござるか。小生も何度か肩車をしたことがあったでござるな」


 悲壮な表情は、アツキにも伝染する。

 しかし、その間にも戦況は移り変わる。

 キメラの恐ろしい耐久力と生命力により、なかなかその息の根を止めることはできず、中には毒を用いるキメラもいて一撃受けただけで戦闘不能になる者もいた。


「ちっ。仕方ねえ。チビちゃん。こっちは頼んだぜ。アツキ、俺等がシノを止めるぞ」

「だ、団長!」

「無理だよ!」


 反射的にカナタは叫んでいた。

 勢いはあってもグレンはギフトも魔法も使えず、多少は戦いの心得はあってもゼクスのように驚異的な身体能力を持つわけではない。

 そんな彼がシノに挑んだところで、すぐに殺されるのは目に見えている。


「チビちゃんが行きたくねえんじゃ俺が行くしかねえだろ。この超銀河伝説紅蓮無敵団の団長、グレンがよ!」

「それは……でも、無理だよ」


 徐々に語尾を窄めながらも、カナタは改めてそう口にする。

 勝てるわけがない。無駄死にするだけだ。


「無理じゃねえ! 俺には魂がある! それを込めりゃあんだけでかくても……!」

「できるわけないじゃん! キメラの一匹も一人で倒せないのに、一発でこの研究棟を半分壊しちゃうようなやつなんだよ!」

「できるできないじゃねえ……やるんだよ!」


 そのあまりにも理屈の通らない、命を投げ出すような言葉に、カナタの頭に血が上る。

 両腕を広げて、怒りを全身で表しながらカナタは怒鳴りつけた。


「ふざけないで! 遊びじゃないんだよ!」

「んなこた判ってんだよ! だから行くんだろうが。チビちゃんだって命を賭けてる、あっちでもこっちでも、今まさに人が死んでる! だからやれることをやるんだろうが!」


 カナタに反論するように、グレンも怒鳴り返す。

 空気を震わす怒声に身を固くしながらも、カナタの頭はそれによって少しずつ冷えていった。

 グレンに命を捨てさせようとしているのは、他ならなないカナタ自身だ。

 ヨウコが羨み、呪詛を吐いたように。

 カナタの持つギフトは、強い。それこそ他の誰もが相手にならなかった、御使いと戦えてしまうほどに。

 だから、戦わなければならない。

 他の誰にもできないことを、やらなければならない。

 それは義務だ。強い力を持ってしまったから、それによって他者よりも先へと進んでしまったから。

 ――何故、カナタは英雄と呼ばれたのか。

 ――その意味を知ってしまった。


「……やっぱり、無理だよ」

「てめぇ……!」

「ボクが行く。だからグレンさん達はここと、後は避難する人達を誘導してあげて」

「……くそ。判ったよ。アツキ、チビちゃんを護ってやれ」

「了解でござる。ささ、カナタちゃん。行くでござるよ」


 促されて、カナタはその場から駆けていこうとする。

 最初の一歩を踏み出したところで、背中越しにグレンの声が掛けられて一度立ち止まる。


「……判ってんだよ、あいつに勝てねえことぐらい。くそっ、なんで俺は弱いんだよ」


 小さく零れたグレンの弱音は、カナタの心の中に染み込んでいく。

 それでも、カナタは言葉を返す。今の自分の精一杯で。

 その一言が人に与える意味を、少しも理解することもなく。


「……大丈夫。ボクがその分まで戦うから」
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