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第三章 名無しのエトランゼ

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 夕暮れ時。

 イシュトナルに広がる街並は、かつては何もない平原が広がっていたとは思えないほどに発展し広がっていた。

 未だ広さはオルタリアの主要都市の何十分の一程度でしかないが、それでもそこには大勢の人が暮らし、日々の仕事を務め、家族を持つ者もいる。

 街の通りはこの時間になっても活気が溢れ、そろそろ夜の姿を現し始める。

 エトランゼ達の数多くが従事する冒険者達がその日の仕事を終えて街へと戻ってくるからだ。

 そのため酒場や、翌日のために武具の整備を任された鍛冶屋などはこれからが本当の意味での営業と始まりであり、あちこちで客引きの声が木霊する。

 そんな賑やかな喧騒を聞きながら、ヨハンは一人ベンチに座って思考を巡らせていた。

 オルタリアは、ヘルフリートは恐らく戦争を仕掛けてくる。先日の一件で例え彼の出鼻を挫いたとしても、無理矢理にでも事を進めるであろう怒りがその目には宿っていた。

 王都内での件についてはグレンやアツキ達超銀河なんとか団に一任してある。決してやり過ぎないことを条件に、彼等は反戦工作を行ってくれる手筈となっている。

 そんなヨハンの元にゆらりとした足取りで近付いてくる人影が一つ。

 顔を上げればその細面の男は、口元に胡散臭い笑顔を浮かべて手を振っていた。


「やーやー、お久しぶりですね。ヨハンさん、あれから随分と出世したみたいで、羽振りは上々と言ったところですかー?」

「だといいんだがな。生憎とこちらは役職名すらない状況だ」

「それはいけませんねー。できるだけ早いうちに決めておいた方がいいですよー。でないと、お姫様のご機嫌取りに奔走する人達にその美味しい立場を奪われてしまいますよー。……これから、ここには多くの貴族が流れ込んでくるのですから」

「何か判ったのか、ハーマン?」


 ハーマンと呼ばれたその男は、以前とある縁があった商人だ。エトランゼでありながらこの地で商売に成功し、それから後も物資の融通など何かと世話になっている。


「いえいえ。情勢を見ていれば予測は容易いことでしょう。ヘルフリート陛下は人気がありませんから。そこに、同じく王国の血を引く政府がもう一つあるのです、臆病で逃げ足の速い貴族の取る行動、決して選択肢が多くはありませんよね?」

「賢い、とは言わないのか?」

「ええ、ええ。言いませんとも。その状況を加味してでも状況はヘルフリート側が有利。彼等が然るべき方法を取り、エレオノーラ姫を断罪せんと軍を上げれば、このような都市などひとたまりもありませんでしょう?」


 厭らしい笑みを浮かべながら、身体を回して紹介するように街並みを撫でていく。

 ハーマンの言葉は正しく今の状況を物語っていた。


「でーすーがー! そこはそれ! このわたくしの力添えがあれば、勝てぬ勝負も引っ繰り返して見せましょう? 物は力、ですよ。特に良き物は至上です」


 ヨハンの両手を握り、身体を引っ張ってベンチから立たせる。


「一先ずは何処かに入りましょう。わたくしお腹が空いてしまいました」


 二人は路地裏の、目立たないところにある食事処に足を運んだ。

 薄暗いランプの灯りに照らされた煉瓦造りの店内は、知る人ぞ知る、といった雰囲気を醸し出している。

 二人掛けのテーブルについて注文を終えると、最後にハーマンがウェイトレスに付け加える。


「それからワインを二人分。……ここはわたくしの奢りで、ね」

「酒を飲みながら商談するのか?」

「お互いに口が回るようになれば金の周りもよくなる。酒宴のためではなく、商売のための酒もあるものです」

「どうだか。精々、法外な値段で物を買わされないようにする必要がありそうだ」

「酷い! わたくしが今までそんな阿漕な商売をしたことがありますか!」


 そんな話をしていると、パンにスープと肉料理、サラダそれから赤ワインがテーブルに並んでいく。

 料理に舌鼓を打ちフォークを肉に突き刺しながら、ヨハンはハーマンに言葉を返す。


「あちこちで悪名が轟いているぞ。詐欺師とも言われているみたいじゃないか」

「ああー! それは言わないでくださいよー。たまたま、わたくしとの取引で損をしてしまったお馬鹿な人が、悔し紛れに言っているだけですから。わたくし、誓って、優良顧客に対して損はさせません!」

「顔が近い」


 ナイフで切った肉を口に運ぶ。

 胡椒がよく利いた肉は口解けも柔らかく、何よりも久しぶりの肉料理に身体が喜んでいるのか、意識せずとも勝手に次を食べようと手が伸びていた。


「いやー、美味しいですねー! よく言われているんですよ、イシュトナルは料理が美味しい。エレオノーラ様がこの辺りを治めるようになっての一番の変化はそこだって!」

「畜産や農業に詳しいエトランゼを雇い、各地に派遣したからな。農地改善や開発にも力を入れている」


 まずは食料。それが何よりも大切だとヨハンは考えている。逆にいれば他に何もなくとも、美味い食料さえしっかりと生産で来ていれば人は生きていける。最悪人は武器を捨てて鍬を手に取ればいい。


「ははぁ。やはりそれも国造りの一環ですか? ヨハンさんには、この国の行く末が見えていると」

「……どうかな」


 答え難い質問だった。

 今のところ降りかかる火の粉を払い、必要なだけの土壌を整えることにヨハンは力を注いている。

 それを使い、何かをするのはヨハンではない。エレオノーラだ。


「なんと! それは行けませんよ、ヨハンさん! 貴方が方針を決めねば、この地域は道に迷ってしまいます。行く先が定められない国など迷子の子供にも等しいでしょう!」


 ハーマンの言及から逃れようと、ヨハンは赤ワインを口にするが、思ったような効果は得られそうにない。


「……方針を決めるのも、行動するのも姫様だ。俺じゃない」

「……ご冗談を」


 息を吐きだすように笑うハーマン。

 そして肉に強くフォークを突き立てて、前のめりになる。


「エレオノーラ姫にそのような能力はありません。あの方は今のところ、シンボル以上の役割を果たすことはないでしょう。つまるところ単なるアイドルに過ぎない。それをコントロールして人を導くのが貴方の役目でしょう?」

「いずれは俺ではなく、姫様が一人でできるようになる必要がある。信頼できる家臣を従え、自分の意思で思ったことをできるようにな」

「……ふぅん」


 面白くなさそうに、ハーマンは頷く。

 そうしてワイングラスに手を伸ばし、一口でそれを全て飲み切ってから、ウェイトレスにお代わりを注文した。


「ははぁ。ほほぅ。なるほどなるほど。これはわたくし一つ、大きな勘違い……というか、あれですね。うん」


 一人頷き、ハーマンは腕を組む。


「わたくし、貴方を過大評価していたようですね」

「それはありがたい限りだな。実際の能力よりよく見えるということは、ぼろが出ないように立ち回れていたということだろうから」


 それは単なる負け惜しみだったが、ハーマンは咄嗟にその言葉が出てきたヨハンを、やはりここで手放すには勿体ないと判断する。

 しかし、それをここで議論するには時間が足りない。何よりも単なる一商人であるハーマンがそれを言ったところで、ヨハンは決して納得はしない。

 人がそれを自覚して変わるのは、二つしかないとハーマンは考えている。

 成功し何かを得るか。

 失敗し、何かを失うか。

 他人事ながらハーマンは心の中でだけ、失敗して失うものが命でなければいいだろうと祈る。


「おおっと! わたくしとしたことが、ついつい感情が籠ってしまいました。ではではつまらない話はここまでにして、今日の本題に入りましょう」


 器ごと掴んだスープを一気に口の中に入れてから、ハーマンはそう言って空気を切り替えた。

 ここから先はお節介ではなく、真剣な商談である。


「鍛冶師の手配の件はどうなってる?」

「ご心配なく。滞りなく、三日後には到着します。場所は西側に作られた工房でよろしいので?」

「そうだ。材料は運び込んであるし。後は当日に渡す設計図に合わせて物を作ってくれればいい。……後はできれば技術系の魔法使いの宛が欲しいんだが」

「いやぁ、申し訳ありません。そちらの人材は流石にちょっと確保は……」

「……そうか。なら、今いる人員で何とかするしかないか」

「お代の方ですが、少しおまけさせていただきますよ。……その代わり」


 腹に含む物を持って、ハーマンが口にする。


「判ってる。アルゴータ渓谷で取れた鉱石の融通だろう。もう用意はしてあるから、明日の午前中にでも受け取ってくれ」

「ありがとうございます! これが南方で売れる売れる! 南側も最近は情勢が怪しいですからねー」

「らしいな。こっちまで戦火が飛び火することがなければいいのだが」

「ですねー。それにしてもヨハンさんが作ろうとしてるあれ、本当に形になるんですか? もしなるなら量産化を目途に入れてこちらでご協力を……」

「残念ながら当分は機密として行う。設計図も、最も大事な部分は俺が調整するつもりだ」

「えー! ズルいじゃありませんかー!」

「やりたくてもできないんだ。あれは、俺のギフトの名残で作られているからな」

「ほう」


 興味深いことを聞いたと、ハーマンは目を輝かせる。


「ヨハンさんのギフト。かつては最強と呼ばれたその力ですが、今はいったい何ができるんです? 風の噂によれば森羅万象を知る錬金術師とか呼ばれていると……」

「何処の噂だ、それは。そんな大したことはできない」


 人とは異なる法則で魔法を操るギフトを失い、その法則を見て触れる力が残った。

 それを利用して他人とは全く異なる方法で魔法道具を作成することができる。それがヨハンのギフトだった。

 それをするにも工房は必要であるし、材料もなくていいわけではない。法則が違うだけ無限ではないのだから、大量生産することもできない。

 最強のギフトは、少しばかり便利な力として落ち着いていた。ヨハン自身は語ることはないが、もしギフトで序列を付けたとしても決して有用な力ではあり得ないだろう。


「ですが事実、そのギフトによって数多くの傑作品を生み出しているではありませんか」
「あれはギフトの助けもあるが、俺が自分で学んだ結果でもある。それに加えて……」


 言いかけた言葉を、ヨハンは慌てて口籠る。

 もう一つの切り札に関しては、誰であろうと口にするわけにはいかない。


「加えて?」

「企業秘密だ。それよりも、足りない物資が幾つかある。一応、リストを作ってきたが」


 懐から取り出した紙を、ハーマンに手渡す。

 それを一通り眺めてから、ハーマンはまた商売人の笑顔を見せた。


「食料に武器、それから各種薬品と……。畏まりました。近日中に、手配しておきましょう」

「頼んだ」

「――ああ、それから」


 今思い出したかのように、ハーマンはそれを口にする。

 その口調は様子を伺うようでありながら、何処か試すようでもある。


「戦争になるのでしょう? もし兵士の斡旋が必要なら、いつでもお声をお掛けください。わたくしの取り扱う『商品』、その質のほどには自信がありますので」

「要らん」


 きっぱりとそう言い捨てて、食事を終えたヨハンは椅子から立ち上がる。


「今日は失礼する。あまり帰りが遅くなると煩いんでな」

「おや、同居人ですか? ご結婚なされたとか?」

「残念ながら違うな」

「そうですか。結婚相手をお探しでしたら、その時も是非このハーマンにお申し付けください。コネを利用してお見合いぐらいはセッティングして見せましょう」

「その時は宜しく頼む」


 ハーマンが言った通り、支払いを彼に任せてヨハンは出入り口のベルを鳴らして店を出ていった。

 彼と入れ違いになるように何人かの客が現れ、にわかに空いていた席が埋まりつつある。


「あ、お姉さーん! わたくしにワインと、この肉料理お代わりで!」


 ハーマンは追加の注文を済ませてから、小さなランプの灯りを見上げて、今後のことを考える。


「しかし彼がねぇ……。まさか、そうだとはね。あー、実に……。実に難しくて興味深い」


 自分のことでないから、ハーマンのギフトである予感は何も伝えない。

 ただ、今回の商談に関しても嫌な予感は全くしていない。どちらかと言えば更なる利益を得ることができるであろうと、確信もある。


「ですが……。うーん、そうですねぇ。苦労しそうですね、ヨハンさんも、お姫様も……」


 ツケ、というものがある。

 商売人であるハーマンはツケを許すことはあっても、その支払いを帳消しにすることはありえない。

 そしてそれは何も商売に関して話だけではなく。何事においても、後回しにしたツケというのは回ってくるものだ。
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