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第四章 空と大地の交差

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 冷たい水の中に身体が沈んでいく。

 小さな身体がまるで川に流される木の葉のように、何の抵抗もなく水の中を滑っていった。

 半ば朦朧とした意識の中で、きっと自分はもう死んだのだと半分諦めていた。

 嫌なことがあった。

 別に死にたいと思ったわけではないし、むしろそれは怖いから嫌だったのだけれど。

 それでもここでこうして死んでしまうのは仕方がないのかなぁと、そんなことを考えてしまうぐらいには心が弱っていた。

 ただ、一つ。

 お互いに意見は噛みあわなかったけれど。

 魔物に襲われた時に庇ったあの人達は無事でいてくれればいいと、心から願っていた。

 全てを救えると、誰もが同じ意見になれると考えたわけではない。

 それでも、救える命を助けられないのは嫌だから。

 ふわりと身体が軽くなった。

 水の中で苦しかったはずの呼吸が、途端に楽になる。

 死にたくはない。まだやりたいことが沢山ある。

 そう思いながらも抵抗できない。その感触が、身体を包む温かさが余りにも心地よかったから。


「……もう」


 いつか聞こえた声がする。

 以前聞いた覚えのある声は、その中に深い慈愛を込められていた。

 でも、奇妙なことだ。

 何故かその声を何度も何度も聞いたことがある。不思議な安らぎをもたらすその声の主が、どうしても思い出すことができない。


「くだらないことで死なないでちょうだい」


 呆れたような声にも覚えがある。

 何処だっただろう?

 いつだっただろう?

 とても落ち着くその声は、以前好きな声だと言ってあげたことがある。

 そして何より不思議なことがある。

 つい最近も、すぐ傍でその声を聞いた覚えがあるのだ。それも何度も繰り返し。


「命だけは助けておくわね。それから先は、自分で何とかなさい。できるでしょう?」


 こちらの答えなど聞いていない。

 そっと身体が固い何かの上に乗せられる。

 そのままぷかぷかと川の流れに乗って、下流へと流されていく。

 暖かな感触をもう一度味わいたくて手を伸ばそうとするが、全身を蝕む痛みがそれを許してくれない。

 そんな様子を見て声の主は少しだけ、呆れたように笑ったような気がした。


「また会いましょう……と、言いたいけれど。そうならない方がお互いのためね。サヨナラ、カナタ」


 顔を上げたかった。

 その人物が誰であるかを確かめたかった。

 また会えると、そう言いたかった。

 でも身体が動かない。痛みと寒さでもう目が開かない。

 動けと念じる、必死になって身体を起こす。

 やがて少しずつ身体に力が入った。

 心の中で数字を数えて、タイミングを合わせて体を起こす。

 そしたら何でもいい。彼女の方を見て、声を掛けてやる。誰だか確かめてやる!

 そう心に決めて、数字を数える。


「三、二、一、ゼロ!」

「痛ったぁ!」


 ごちんと。

 そんな音がして、目の前にちかちかと星が幾つも舞った。


「うう……。なにこれ……?」


 くらくらとする頭を抑えながらも、辺りを見渡す。

 高い天井、身体の下には柔らかいベッド。

 そして、


「アタシが何したってんだよ……」


 カナタと同じように額を抑えている、長い金髪の少女がこちらを全力で睨みつけていた。
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