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第四章 空と大地の交差

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 船体を揺らす振動に踏鞴を踏みながら彼は一瞬、呆然としていた。


「な、んだと……! 人間が、人間如きが俺のセレスティアルを撃ち抜き、あろうことか!」


 マーキス・フォルネウスに突き刺さった船を見やる。

 自らの放った陶磁器のような白い鳥に啄まれ、そこに生きている者の姿はない。

 だが、その先頭で息絶えている海賊が、こちらを笑っているような気がした。


「笑ったな……。この俺を、御使いである”光炎のアレクサ“を!」


 光炎のアレクサ。

 ウァラゼルの“悪性”と同じく銘を持つ神の僕は、怒りに目を見開き再びセレスティアルによる粛清を行うために力を集中させるが、少しばかり遅かった。

 もうその目の前に、一隻の船がある。

 名前など知らぬ。人間の付けたそれに興味はないが、アレクサの怒りを更に沸き立たせるには充分だ。


「ふざけるなよ、人間が!」


 激高し、両手に集めたセレスティアルを光線状にして放とうと掌を向ける。

 それよりも早く、船に乗り移る影があった。

 嫌な予感がして、アレクサはセレスティアルを防御に回す。

 掌に広げた盾で、襲撃者の一撃を受け止めた。

 全身に寒気が走った。海の上から飛び上がってきたこのエトランゼは、なんという武器を持っているのだ。


「黒曜石の剣だと……!」


 オブシディアンを削りだした、無骨な見た目の二振りのカトラス。

 それを振るうは水を操るエトランゼの少女ラニーニャ。


「舐めた真似を!」

「それはこちらの台詞です」


 無造作に振るった拳は、ラニーニャが一気に腰を落としたことで空しく空を切った。

 また怖気が走り、全力で防御に回る。それが自身のセレスティアルの盾を突破することはないと判っていながらも、半ば本能的に恐れ防御に回ってしまうのだ。


「散々好き放題やってくれましたね。その間にハーフェンに出た損害が幾らになるかご存知ですか?」

「知ったことか!」

「でしたら!」


 ラニーニャの蹴りが腹に飛ぶ。

 防御もままならずそれを受けたアレクサは距離を離され、好都合とセレスティアルで薙ぎ払おうとするが、彼女の踏み込みはそれを遥かに凌駕する速度だった。

 二刀が、光の壁を打ち付ける。


「一度商売の勉強をお勧めしますよ」

「貴様達人間の営みなどに興味はない!」

「あら、奇遇ですね」


 真っ直ぐに突きが伸びる。

 光の壁が途中でそれを阻むが、漆黒の刀身が額のすぐ傍まで迫っていた。


「ラニーニャさんも貴方の都合など知ったことではありません。貴方が本当に神の使いかどうかなんてのもね。不愉快だから、ラニーニャさんを怒らせたから、それだけで充分に万死に値します」

「図に乗るなよ、来訪者が! くそっ、アルケー共は何をしている!」


 そう呼称されるのは、彼が呼び出し戦わせていた鳥や魚の形をしていた怪物のことだ。

 それらは今、空を飛ぶ魔法使いを追撃していたものは時間を掛けて一体残らず撃墜され、船を沈めた三匹の鳥達も、先頭の船にいる人間が持つ厄介な武器により一匹残らず殲滅させられていた。

 だが、これで負けたわけではない。

 御使いが生み出すアルケーは無限とは言わなくとも、ここにいる人間共を飲み込み蹂躙するには充分な数がある。

 それになにより、相手は死に体に過ぎない。動ける船は一隻。戦えるのは精々が五人。いや、あの魔法使いは息切れして船に戻っているから四人。もっとも彼女が健在だったところで御使いでるアレクサに傷を与えることなどできはしないが。

 しつこく纏わりつくエトランゼを打ち払い、その一瞬の隙を突いて距離を取る。


「俺は御使いだぞ。この世界の理に触れ、人の身を捨てて高次へと至った神の僕。貴様達に後れを取るか!」


 両翼に再び鳥を生み出す。

 一瞬の隙が稼げればいい。あの厄介なエトランゼを突き離せれば、そのまま距離を取って物量で押しつぶしてくれる。


「厄介な……!」


 歯噛みするエトランゼ。

 いい様だと、アレクサは心の底で人間を嘲笑う。

 例えお前達がどれほど足掻こうと敵わぬものがあるのだと、思い知らせてやろう。

 翼をはためかせたアルケーがエトランゼを襲い、その迎撃のためにアレクサへの狙いが外れた。

 その隙にアレクサは悠々と、掌をエトランゼに向けた。


「俺を手こずらせた罰だ。苦しんで死ぬがいい」


 ――その光がラニーニャを撃つ前に、それまでずっと静観を保って来た彼女がその場に舞い降りた。

 セレスティアルの光の剣を持ち、その背に広げた光の翼によって一気に加速を付けて、真っ直ぐにこちらに飛翔してくる。

 無鉄砲そのものの突撃。合理性も何もあったものではない、感情に任せたままの愚行。

 だがそれは、アレクサにとって予測不可能な一撃であり、今まさに刈り取られようとしていたラニーニャの命を救って見せた。
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