さくらの剣

葉月麗雄

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最終章

最後の戦い 一

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「天英院様、桜と泉凪が三日月党六人衆を全て打ち倒したと報告がございました」

錦小路の報告に天英院も安堵の表情を浮かべる。

「ですが、泉凪は戦いで受けた身体の傷が大きく、しばらくは戦えません。頼みの綱は桜だけとなってしまいました」

「そうか。。三日月党も残るは首領のみ。宮守志信がかつて江島にしたように、今度は彼奴がその苦しみを味わう番じゃ。この十年間よくぞ大奥で御年寄まで上り詰めたものよ。

江島という巨星が居なくなったのが一番であろう。彼奴は江島を恐れていた。ゆえに罠に嵌めて排除したのじゃ。それを妾たちの仕業に見せかけるとは考えたものじゃのう」

「あの時はお世継ぎの件もあり、我々も迂闊でごさいました」

「しかしこれで長きにわたる彼奴の野望も三日月党と共に消える事になろう。宮守は最初こそ祖母の恨みを晴らす事を目的に動いていた。だが、彼奴は途中から出世に目が眩んだ。それが自らを追い込む結果となったのじゃ」

宮守が天英院と月光院の暗殺を目論んだ理由は、天英院については鷹司孝子の遠縁に当たる人物でありながら徳川に仕えている事、月光院は自分の正体を知るため邪魔な事であったと江島は推測したが、実際にはこの二人がいなくなれば大奥の実権を握れるという事が一番であった。

紀州時代に正室であった理子女王(まさこじょおう)に先立たれて以来、吉宗は生涯正室を娶る事はなかった。そのため大奥に御台所が不在な今、天英院と月光院がいなくなれば御年寄が実質的に一番上になる。

宮守志信は江島がいなくなった事で祖母の恨みを晴らす事よりも大奥での出世に目的が変わっていた。
天英院はそう考えていた。
だが、この先そう長くはない命とは言え、宮守にくれてやる理由などない。

「話しは変わるが錦小路、月光院は美人だと思うか?」

「は?」

天英院の唐突の質問に錦小路はぽかんと口を開けてしまった。

「何を間の抜けた顔をしておるのじゃ。お前の思う通りに申してみよ」

「は。。はあ。確かに美人と言われればそう見えなくもない。と思いますが。。」

「はっきりしないのう。妾は彼奴は当代きっての美人だと思うぞ」

「さようでございますか。。」

「とは申せ齢(よわい)三十九歳では御褥御免(おしとねごめん)〔将軍との寝室での相手を辞退する事〕で吉宗殿の手が付く事もない。彼奴は江島と間部詮房がいなくなって家継殿にも旅立たれてからは一人孤独じゃ。たまには話し相手になってやるのも良かろう」

「天英院様。。」

「妾もお前もこの先そう長くはないであろうからのう。これまでを無かった事には出来ぬが、これから手を合わせて行く事は出来る。そうじゃろう」

「はい」

人生五十年と言われている時代で天英院は五十八歳。
錦小路は天英院がまだ煕子姫(ひろこひめ)と呼ばれていた十四歳の頃から付き従い、六十四歳になっていた。
もう先がそう長くはないであろう事は自分がよくわかっている。

長年対立して来たのだから最後くらいは互いに手を取り合って過ごすのも良かろうと考えていた。
とは言え、それを自分から口に出すのはプライドが邪魔をしてなかなか出来ない。
公家が町娘に頭を下げるというのは並々ならぬ勇気が必要なのだ。

⭐︎⭐︎⭐︎

吹雪との激闘を終えた桜は泉凪を見舞うと、中奥に向かい吉宗にこれまでの報告をおこなった。

「泉凪が三日月党の長(おさ)を倒したので、これで三日月党は首領のみとなりました」

「そうか。大奥での長き戦いもようやく終わりが見えてきたな。泉凪の様子はどうであった?」

「先程見舞いに行きましたが、眠ったままでございました。六人衆の長との戦いが相当激しいものだったようで、二、三日は戦う事は無論、起き上がる事もままならぬと思われます。

源心も受けた傷から見て戦闘は無理。姉さんは申し訳ないのですが戦ったとて勝ち目はないでしょう。残る相手は一人。ここは私一人で戦います」

吉宗は報告を受けている際にいつもと様子が違う桜に気がついた。

「どうした桜?顔色が良くないようだか」

「いえ、何でもございません。連戦の疲れが出たのでしょう」

「ならば今日は左近に任せて一日休むがいい。いくら左近が剣術で劣ると言っても彼奴も優れた御庭番。お前を休ませる時間稼ぎくらいは出来よう」

「いえ、大丈夫でございます」

「本当に大丈夫なのか?無茶をするなよ」

「はっ!」

桜は吉宗への報告を終えると再び大奥へと戻って行った。

「桜は連戦による連戦でかなり疲労しているようだな。この戦いが終わったら少し長めの休暇を与えてやらねばならぬ」

吉宗は桜の身体を気遣ったが、まさか桜流抜刀術があと僅かしか使えないなどと知るよしもなかった。

⭐︎⭐︎⭐︎

享保九年〔一七二四年〕八月二十五日。
三日月党首領養源斎と桜の最後の戦いが始まろうとしていた。

夜が明け、オレンジ色の陽の光が江戸城に差し込み、小鳥のさえずりが聞こえてきて静かな朝を迎える。
桜は吉宗への報告を終えてから左近と見張りを交代して四時間ほどの睡眠を取り、大奥が動き出す時間には見廻りを始める。
大奥の朝は午前七時に御台所が起床する時間から始まる。
そんないつもの一日が始まるはずであった。

その平穏な朝の空気を打ち破る殺気を桜は感じ取っていた。

「誰かいる。。」

明らかに自分に向けられている殺気。
しかし姿はどこにも見当たらない。

「どこだ?この殺気はどこから放たれている?」

桜は殺気を感じ取る事と伝わってくる殺気の度合いから相手が何人いるのか、どの程度の実力なのかを読み取る事ができる。
しかしその殺気を放つ相手が姿を見せない場合は、隠れている場所を見つけるのはなかなか難しい。

「ここは?」

それは大奥内にある書庫であった。
大奥での出来事を記録された数千もの書物や書類が保管されている。
普段は書庫管理担当の者以外出入り禁止となっているはずの扉の鍵が破壊されていた。
桜は書庫の扉をゆっくりと開き中に入る。

「ここだ。。ここから殺気が伝わってくる」

大奥内の書庫に齢四十歳くらいであろう男が座っていた。
黒装束に身を包み、やや白髪混じりの髪を総髪に束ねている。
先程、書庫の外から感じていた凄まじい殺気は今は抑えられている。

「松平桜だな」

「お前は?」

「三日月党首領養源斎。よくぞ我が六人衆を打ち倒したものよ」

「私だけの力じゃない。泉凪や他の仲間たちのおかげだ」

「その別式もしばらくは動けまい。まともに動けるのがお前だけ。お前さえ倒せば後は赤子の手を捻るようなものよ」

「そうはさせない」

桜は刀に手をかけ鯉口を切る。

「お前が守ろうとしている者は何だ?天英院でも月光院でもあるまい。徳川の世か?」

「私は自分の手の届く範囲の人しか守れない。私の力などその程度。でも私は一人じゃない」

桜には盟友、鬼頭泉凪がいる。
御庭番の仲間である源心と左近もいる。
一人では六人衆相手に月光院と天英院の二人を到底守り切れなかった。
養源斎は立ち上がり、桜と睨み合う。

「ここなら邪魔者に入られぬ。六人衆の無念、晴らさせてもらうぞ」

「無念?無念などあるものか。私も六人衆も己の任務を遂行する上で全力を尽くして戦った。たとえ私が敗れたとしても無念などと思わない。互いに仕える主(あるじ)のために戦った。それだけだ」

「黙れ!小娘が」

養源斎が一気に闘気を放出して刀を抜く。
桜も抜刀するとタン!という強力な蹴り音と共ともに養源斎との間合いを一気に詰めようとするが、養源斎は桜の脚力に劣らず横っ跳びでかわし距離を保つ。
桜は右に飛ぶ。いや、右へ飛ぶと見せかけて左へ飛んだ。
この動きは相手の目を一瞬惑わせるのが目的であった。

「焔乃舞(ほむらのまい)」

左へ飛んだ状態から身体を反転させての胴への攻撃。
だが養源斎はこれを軽々と受け止める。

「なかなか面白い攻撃だ」
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