4 / 5
参 亡き姫のための記憶
しおりを挟む親に捨てられた虎右衛門が、物好きな、からくり師の爺に拾われたのは六歳のときだった。
そのころ、からくり師の爺は、大きなお屋敷の離れに工房を設けていた。
お屋敷の主が誰なのか幼い虎右衛門にはわからなかったが、長ずるに従って、そこが誰か名のある人の妾宅なのだということがおぼろげにわかってきた。
母屋には、とても美しい婦人が、一人娘といっしょに住んでいた。
娘は華林と呼ばれていた。
彼女は、日替わりで、お茶にお花に琴に舞いにと、雅やかな作法を教え込まれ、六歳になった頃からは書の手習いや和歌にくわえて、蘭学に至るまでの広い知識を学ぶようになっていた。
一方の虎右衛門は、華林が屋敷の外に出るときには必ずついていくようにと命じられていた。
それは、命に替えても彼女を護れという厳命だった。
虎右衛門は悟った。身寄りもなく行く当てもなかった自分がここに引き取られたのは、あの少女を護るためなのだ、と。
虎右衛門より三つ年下の華林は、儚げな見かけににあわず、とても活発だった。
木登りがおそろしく上手で、誰よりも高く細い枝の先まで上り詰め、途中の幹で見上げる虎右衛門はいつも、枝が折れやしないかとハラハラしていた。
もの凄いおてんばだけれど、明るくて、優しくて、気取りがなくて、大きな黒目がちな瞳に、すぐ涙が溜まるような、心根の素直な女の子だった。
「わたしは、生きてちゃいけない子なの。死んだことになってるんだって」
枝の先で、華林は遠くを見ながらぽつりと言った。
「生きてるじゃん」
虎右衛門は、幹に背を預けたまま、ぞんざいに言った。
「そうだね。でもいつかわたしが……殺さ……」
「バカなこと言ってんじゃねーよ」
「…………」
「そんなことさせねーから、俺が」
華林は、ふふっと笑った。
「笑ってんじゃねーよ」
「だって……」
「だー、もう。笑ってて落っこちるんじゃねーぞ」
照れた虎右衛門を見て、華林はなおもクスクスと笑った。
死んだことになっている曰くのある姫……。
華林……。
虎右衛門は、その笑顔を護れるなら、とんなことだってする、と、そのとき心に決めた。
あの日もちょうど、桜吹雪が神社の境内に舞い踊っていた。
この世とあの世の境界線が曖昧になったような、少し肌寒い宵だった。
「虎ちゃん!」
泣きながら自分を呼んだ悲痛な華林の声が、今も耳に残っている。
あのときは、華林を護ることしか考えていなかった。
華林はいつも太陽のように光り輝いていて、その笑顔を曇らせる者は何者であっても許せなかった。
彼女の哀しい涙は見たくなかった。
結局、虎右衛門は殴られ蹴られてぼろぼろになり、華林はおでこにかすり傷。
そして……。
斬り殺された死体が三つ。
桜吹雪の境内が、おびただしい鮮血に染まっていた。
その夜、虎右衛門は高熱を出した。
華林は、虎右衛門の側から離れようとしなかった。
小さな手を真っ赤にして、虎右衛門の額の手ぬぐいをかえ続けた。
誰がどんなになだめすかしても、決して母屋に戻ろうとはしなかった。
母が珍しく離れに出向いて華林を諭したが「虎ちゃんが死んだら、わたしも死ぬ」と頑としてきかなかった。
幼い二人の絆は、このときすでに断ちがたいものへと育まれていたのかもしれない。
想いは、純粋であればあるほど強く揺るぎない。
けれども、それはあまりに脆いということを、彼らはまだ知らなかった。
神社の境内で倒れている虎右衛門と華林が発見されたとき、返り血で真っ赤に染まった虎右衛門は、一振りの刀を握りしめていた。
柄に麻布がぐるぐると巻かれた長刀だった。
銘は潰され判読不能。なにか謂われのある邪刀であろうことはそのたたずまいから伺えた。
なぜ、虎右衛門がそれを手にすることになったのか、いくら訊かれても虎右衛門は答えず、華林は覚えていなかった。
それ以来、その刀は麻布で巻かれ、札で封印されて、虎右衛門の傍らにある。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
小日本帝国
ypaaaaaaa
歴史・時代
日露戦争で判定勝ちを得た日本は韓国などを併合することなく独立させ経済的な植民地とした。これは直接的な併合を主張した大日本主義の対局であるから小日本主義と呼称された。
大日本帝国ならぬ小日本帝国はこうして経済を盤石としてさらなる高みを目指していく…
戦線拡大が甚だしいですが、何卒!
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる