そして何もなかった

平 昌綱

文字の大きさ
16 / 22

目覚めと青子

しおりを挟む
しばらくして目を覚ますと、目の前に青子がいた。ぼんやりとした視界の中で彼女の姿を捉えた瞬間、僕は一瞬夢を見ているのかと思った。しかし、ゆっくりと意識がはっきりするにつれ、これは紛れもなく現実なのだと気づいた。

「心配して来てやったぞ。お前、ほんとバカだよな」

 青子はいつもの調子でそう言った。その言葉はまっすぐ僕の心に刺さったが、不思議と嫌な感じはしなかった。それどころか、どこか安心感すら覚えた。彼女の声を聞いた途端、今まで張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んだ気がした。

 とはいえ、心の中はまだ整理がついていなかった。焦りや無力感が渦巻き、自分がどこに向かえばいいのかわからなくなっていた。これまでの努力が報われるのか、それともただの自己満足だったのか。その答えが見つからないまま、僕はずっと堂々巡りを続けていた。

 青子はそんな僕の様子を見て、何も言わずに静かに宥めてくれた。無理に励ますわけでもなく、ただ僕が落ち着くのを待ってくれているようだった。そして、しばらくしてからぽつりと、優しく言った。

「無理しないで。自分を見失わないでね」

 その言葉は、じわりと僕の心に染み込んでいった。誰よりもがむしゃらになって頑張っていたつもりだったが、いつの間にか自分を見失い、何のために走っているのかわからなくなっていた。それを、彼女は何も言わずに察していたのかもしれない。

 僕は何かを言いかけたが、結局言葉にはならなかった。何を言っても言い訳になりそうで、ただ黙って天井を見つめることしかできなかった。そんな僕の沈黙を責めることもなく、青子はいつものように少しだけ眉をひそめ、ため息混じりに「まったく、お前は本当に世話が焼ける」と小さくつぶやいた。

 それからしばらくの間、青子は何も言わず、ただそこにいた。僕も何も言わなかった。部屋の中には、僕の浅い呼吸音だけが響いていた。

 やがて彼女は立ち上がると、「じゃあ、そろそろ帰るわ」と言い、振り返ることなく部屋を出て行った。ドアが静かに閉じる音がしたあと、僕の机の上に何かが置かれていることに気がついた。

 ポカリだった。

 おそらく、青子が買ってきてくれたのだろう。何も言わずに、そっと置いていったその気遣いに、胸の奥がじんわりと温かくなった。僕はポカリを手に取り、キャップを開けて一口飲んだ。喉を潤すと同時に、冷えた液体が頭をすっきりさせてくれる気がした。

 青子の言葉が、ゆっくりと頭の中で繰り返される。

 「無理しないで。自分を見失わないでね」

 焦りや不安に押しつぶされそうだった心が、少しずつほぐれていくのを感じた。今まではただがむしゃらに走ることしか考えていなかった。でも、本当に大切なのは、何のために走るのかを見失わないことなのかもしれない。

 彼女は何も大げさなことはしなかった。ただ、そばにいてくれて、ひと言、背中を押してくれた。それだけで、僕はまた前を向けるようになっていた。

 「無理しないで。自分を見失わないでね」

 その言葉を胸に刻みながら、僕はゆっくりと目を閉じた。明日になれば、また新しい一日が始まる。焦らず、一歩ずつ進めばいい。そう思いながら、もう一度深く息を吸い込んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

迷子を助けたら生徒会長の婚約者兼女の子のパパになったけど別れたはずの彼女もなぜか近づいてくる

九戸政景
恋愛
新年に初詣に来た父川冬矢は、迷子になっていた頼母木茉莉を助け、従姉妹の田母神真夏と知り合う。その後、真夏と再会した冬矢は真夏の婚約者兼茉莉の父親になってほしいと頼まれる。 ※こちらは、カクヨムやエブリスタでも公開している作品です。

『専属メイド全員が重すぎる愛で迫ってくる!~大学生の僕、11人?の美女に24時間甘やかされ尽くす生活~』

まさき
青春
僕は、ちょっと普通じゃない日常を送ることになった――それは、専属メイドが全員僕のことを溺愛してくれる暮らしだ。 朝は髪を整えてくれるリナ、朝食で笑顔を見せてくれるミユ、どの瞬間も全力で僕を甘やかす。掃除、料理、悩み相談まで、僕のためだけに動くメイドたち。 「ご主人様の笑顔が見たいんです」 その一言で、僕の毎日はちょっとドキドキ、ちょっと幸せ。 全員が僕を独占したいと競い合う日常の中、僕はどうやってこの溺愛地獄(?)を生き抜けばいいのか――!? 甘々、至れり尽くせりの日常ラブコメ、開幕。 ​「作品への感想代わりの『いいね❤️』や『エール📣』、心よりお待ちしております。」 ​「【応援のお願い】『いいね❤️』や『エール📣』をいただけると、作者のモチベーションが爆上がりします!」 ​「最後までお読みいただきありがとうございます。温かい『いいね❤️』が更新の支えです。」

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

**俺、東大院生の実験対象にされてた。**同居している美人家庭教師のやばい秘密

まさき
青春
 俺は今、東大院生の実験対象になっている。  ある雨の夜、アパートの前にずぶ濡れの美女が立っていた。  「家庭教師です。住まわせてください」  突然すぎる申し出に困惑しながらも、なぜか断れなかった。  桐島咲楽、東大大学院生。成績は天才、料理は壊滅的、距離感はおかしい。毎日転ぶ、焦がす、なぜか距離が近い。そのくせ授業は鬼のように丁寧で、俺のことを誰よりもよく見ていた。  偏差値42だった俺の成績は、気づけば上がっていた。でも、それより気になることがある。  咲楽さんが、研究ノートに何かを書いている。「被験者」という文字が、見えた気がした。  距離が近いのは、データのためか。褒めてくれるのは、実験のためか。でも、あの顔は。あの声は。  「データじゃなくて、私がそう思っています」  嘘をついているような顔じゃなかった。  偏差値42の俺に、東大院生の美女が押しかけてきた。ドタバタな毎日の中で、俺の心臓が休まる暇がない。これはドキドキなのか、心配なのか。それとも、もう恋なのか。  不器用な天才と、鈍感な高校生の、やばい同居生活。 ​「作品への感想代わりの『いいね❤️』や『エール📣』、心よりお待ちしております。」 ​「【応援のお願い】『いいね❤️』や『エール📣』をいただけると、作者のモチベーションが爆上がりします!」 ​「最後までお読みいただきありがとうございます。温かい『いいね❤️』が更新の支えです。」

処理中です...