【J庭58無配】組曲 恋 Love Suite

すずかけあおい

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第四曲 かんぱい

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「こんな洒落たバー、入ったことないんだけど」
 隣に立つ長身の男を見あげると、男はにこりと微笑した。年齢不詳に見える整った顔は、仕事のあとでも疲れが表れていない。いつもすっきりと爽やかな笑顔を浮かべて、女性たちの視線を集めている。色素の薄い髪もつややかだ。「髪の色まで綺麗」と男女問わず噂をしているのが聞こえてくるくらいに、彼はたしかにすべてが綺麗だ。同じ三十代の男でもこれほど違うのか、と相手と自分を頭の中で並べてみたが、やめておけばよかった。
「せっかく奢るなら、吟佐ぎんささんにちょっといいところを見せたいんです」
「なんで俺に?」
 男――相楽さがらは美麗な笑みを浮かべたまま、入りましょう、と吟佐の背を軽く押した。仕事で少し手助けをしたくらいで、こんなに洒落たバーで奢ってもらうなんて、逆に申しわけない。
 薄暗く照明を絞った店内に入り、雰囲気に呑まれた吟佐は思わず縮こまった。特別な手入れはしていない黒髪を手で撫でつけて、さっと直す。蝶ネクタイをつけたバーテンダーにふたりがけのテーブル席をすすめられ、相楽は当然のように吟佐を奥側のソファに座らせた。自身は向かい合う椅子に座り、また微笑む。
「なに飲みます?」
「こんなところで頼めるお酒がわからない」
「じゃあ、グラスビールにしましょうか」
 相楽はスマートにドリンクをオーダーし、吟佐に深々と頭をさげた。
「今日は本当に助かりました。ありがとうございます」
「いいよ、そんなの」
 でもその真面目で律儀な姿勢は、社会人として素晴らしいと思う。二歳上の吟佐でも、なかなか素直に頭をさげられないときがある。三十七歳にもなってそんなことでどうするのかと思うが、歳を重ねるごとに変なプライドができあがっていく。どんどん頑固に、また高慢になっていくのだ。自己を大きく、良く見せようとしたくなる。それに比べて若い社員は素直だと感じていたが、相楽の謙虚な姿勢を見ると、単に人間としての素質なのかもしれない。つまり、吟佐は人として器が小さい。
 店の雰囲気と同じく洒落たグラスに入ったビールと、やはり小洒落た八角形の小鉢に入ったお通しが運ばれてきた。お通しは鶏ささみときゅうり、茹でたもやしに梅肉を和えたものと言葉を添えられた。つい「恐れ入ります」と返した吟佐に、相楽はふっと小さく噴き出す。
 グラスとお皿をじいっと見て、緊張でごくりと唾を飲む。情けないことに、グラスを手に取っていいのか悩んでしまった。普段行くチェーンの居酒屋の大ジョッキとは違い、簡単に割れそうに感じる。吟佐がそろりと手を伸ばすのに対し、相楽はためらいなどなく、綺麗な所作でグラスを持った。
「乾杯しましょう。今日もお疲れさまです。それと、ありがとうございました」
「お疲れ」
 ごく控えめにグラスを合わせて、琥珀色のビールをひと口飲む。苦みがしっかりとしていて後味のキレがいい。お通しも梅肉の塩分が強すぎず、あっさりしていて食べやすい。
 そうしているあいだにも、相楽はいろいろな人の視線を受けている。落ちついた客層の中で異質にも思える美形に、周囲はささやかに色めき立っている。一緒にいるのが吟佐のような平凡で冴えない男で申しわけない。相楽に声をかけたくてもかけられなくて、残念そうにしている女性もいる。
「他の人と飲んだほうが楽しくないか?」
「え?」
「ほら、俺、話がうまいわけじゃないし、気も利かないし」
 驚いた様子で目を見開いた相楽は、ふっと噴き出した。先ほどよりもカジュアルな笑みだ。
「俺、なんかおかしいこと言った?」
 どうして笑われたのかわからず、その姿をぽかんと見つめる。相楽はさらにくくっと喉の奥で笑う。
「僕は他の誰より、吟佐さんと飲みたいですけどね」
 そんな甘い言葉は、それこそ他の人に言ったほうがいいのではないか。つい首をひねると、相楽は小さく笑った。笑われてばかりで、なんとなく気恥ずかしくなる。
「ところで」
「うん?」
 急にかしこまった相楽に、また首をかしげる。
「ずっと聞きたかったんですが、吟佐さんは特定の方はいらっしゃるんですか?」
「特定の方?」
「おつき合いしている……簡単に言えば恋人です」
「こいびと」
 簡単に言わなくても、つき合っている相手は恋人だろう。突っ込みたかったがやめておいた。相楽が妙に真剣な顔をしているからだ。
「いないよ。一生ひとりじゃないかなあ」
 即答できるのも悲しいけれど、それが事実だ。相楽相手に見栄を張る理由もない。これが部署での飲み会など、もう少し多人数だったら、適当にごまかすくらいで濁したかもしれない。もちろん、『自己を大きく、良く見せようとしたい』からだ。本当に情けない。そういうところが、ひとり身の原因かもしれない。
「気がついたら三十後半だもんな。もう恋愛で一喜一憂する元気もないよ」
 はは、と笑ったら寂しくなった。見ないようにしていた現実、というわけではないが、それでも普段恋愛のことなどまったく考えないのだから、本当に別世界の話になっているのだ。女性の視線を意識するなんてないし、そもそも吟佐に熱い視線を向けるような女性はいない。誰かが気になると思うこともない。こうやって考えてみると、かなり縁遠くなっている。
 昔は好きな人とか片想いとか、そういうことに精いっぱいになれた。でも今は仕事もあり、恋愛だけに思考や感情を向けられない。変な意地もあって、恋愛に一生懸命になることが恥ずかしくも感じてしまう。学生のときは自由だったな、と今だから思える。
「たしかに、恋愛って穏やかじゃないですもんね。予想外のことも起こりますし」
「そうそう」
 相楽が言うと説得力がある。恋愛に関しては吟佐よりずっと経験豊富そうだから、さまざまな経験があるのだろう。でも浮いた噂を聞いたことがないので、相楽も現状は寂しいひとり身ではと想像する。
「僕、けっこういいですよ。自分で言うのもなんですが」
「え?」
「仕事に口出ししませんし、仕事と僕どっちが大事かなんて思いもしません。むしろ吟佐さんの仕事を応援します。家事も料理も任せてください。なんなら疲れて帰ってきた吟佐さんに、フルコース用意します」
 急に押してこられて茫然とする。先ほど浮かんだ『寂しいひとり身』が頭の中でゆらゆらと揺れ、ぱちんと弾けた。
 まず、なにを言われているのか理解できない。それに、疲れて帰宅したあとのフルコースは胃に重そうだ。
「さ、相楽?」
「穏やかな恋、請け負いましょう」
 ますますわからず、脳内が疑問符だらけになる。もう酔っているのか、それともお酒の席での冗談か。冗談にしては笑いどころがわからない。混乱を極める吟佐の頭の中と正反対に、相楽ははきはきと言葉を続ける。
「実は僕、ずっと吟佐さんが好きだったんです」
「は?」
 相楽は昨年度に支社から本社勤務になったばかりで、ずっとと言っても一年ほどのはずだ。だが相手の言い方は、まるでそれより前からのように聞こえる。
「僕、吟佐さんと同じ高校だったんですよ」
「あ、そうなんだ」
 知らなかった。
 それで、なぜ高校の話になったのか。高校生のときに相楽と知り合いだった覚えはない。記憶の糸を辿ってみても、相楽の『さ』の字も引っかからない。こんな美形と知り合いだったら、忘れることなんてないだろう。
「そうなんです。それで、その頃の吟佐さんのお友だちと同じ委員会だった女子の後輩の友だちのうしろの席が僕なんです」
「それって完全に他人……」
 むしろ、その極めて薄いつながりで認識できているほうがすごい。その完全に他人な相楽は、まさか。
「高校のときから、吟佐さんが好きです」
 やっぱり。
 そうは思ったが、どう考えてもおかしい。
「いやいやいや、その薄いつながりじゃ話してもいないだろ」
「話しましたよ。僕、吟佐さんにミントティーをオーダーしました」
「ミントティー?」
 今度はなんだ。
 考えて考えて、どんなに考えてもわからないし覚えていない。高校生のときに喫茶店やカフェでアルバイトもしていないし、オーダーを受ける立場になったことがない。人違いではないだろうか。
「吟佐さん、文化祭で猫耳つけてましたよね」
「……!」
「ひと目惚れっすよ。あれは可愛かった。ぜひ今度またやってください」
 記憶の奥に埋めた過去が掘り起こされ、かあっと頬に熱が集まった。あれはクラスの出しものの猫耳喫茶で、接客係が足りなくて仕方なく吟佐が入ったのだ。やりたくてやったのではないし、またなんてあってたまるか。
「あんなの忘れろよ」
 自分で思い返してもひどい仕上がりだった。平凡という言葉がそのまま人間になったような男子高校生が猫耳だ。可愛い男子やイケメンがそれをするのとはわけが違う。
「忘れません。またつけてくださいね」
 さらりと再度「また」と言われた。絶対御免だ。
「ま、そんなのきっかけですけどね」
「きっかけ?」
「それから僕は、いつも吟佐さんを目で探しました。お友だちに勉強を見てもらってたり、女子とお友だちの仲介をしていたり。しかも吟佐さんはその女子が好きだった」
 そんなこともあった。片想いをしている女子から話しかけられて舞いあがっていたら、よく一緒にいる友だちとのあいだを取り持ってほしいと言われたのだ。あのときのショックは言葉に表せない。
「吟佐さんはふたりが手をつないでるところを、遠くから寂しそうに見ていました」
「てか、なんで相楽がそんなことまで知ってるんだよ」
 誰かに話した覚えはない。胸の奥にしまって、密かに傷ついていたのに。
 相楽はにっこりと笑む。
「ずっと見てましたから」
「それってストー……」
 言いかけてやめた。知らないほうがいい事実もある。
 経緯はわかったが簡単に頷けない。軽い口調で言っていても、真剣な気持ちであることが伝わってくる。相手が真剣かつ本気なのだから、吟佐もきちんと考えないと失礼だ。
 きちんと、と口の中で呟いて、相楽に視線を向ける。綺麗な笑みをたたえた男は、いつくしむような色を瞳に浮かべ、吟佐をまっすぐに見ている。店内の絞られた照明が彼の表情に影を作り、謎めいた印象を持たせる。
「……相楽のこと、よく知らないから」
 仕事上での相楽は知っている。でもあくまで『仕事上』だ。プライベートでの相楽をまったく知らないし、ふたりでお酒を飲むのも今日がはじめてだ。つき合うという結論には、今の時点では行きつけない。
「これから知ってください。今から他人じゃなくなりましょう」
 また押してこられて、手まで握られそうになる。慌てて手をテーブルの下に隠し、身体も引くが、ソファ席なのでそれ以上うしろにさがれない。
「僕、尽くしますよ」
 こんなふうにぐいぐい来られたことがないから、それだけでもたじたじだ。しかも相楽は勝利を確信しているように見えて、そのこともまた吟佐を揺らがせる。
「吟佐さんのグレイヘアも楽しみだなあ」
「飛躍しすぎだ」
 どこまで先を見てるんだ。
 呆れるシーンなのに、相手の本気度に圧倒される。
「だって、ようやくこんな機会が来たんです。僕、押しますよ。絶対引きません」
 会社での相楽はいつも控えめで、でも主張すべきシーンではしっかりと自身の意見を述べる、メリハリがあるスマートな男だ。この一年ほど接してきて、吟佐は彼をそういう男だと思っていた。それこそ相楽のことをきちんと知らない証拠でもある。
「吟佐さん、好きです」
 猪突猛進という言葉が、そのまま具現化しているような相楽の勢いに呑まれる。呆気に取られる吟佐に、いっそうぐいぐいと押してくる。相楽は得意なことだけではなく、苦手分野まで説明しはじめた。
「ですが日々自己研鑽に邁進し、苦手を得意に変えていきます」
 ひたすら自身をアピールしてくるので、徐々におかしくなってきた。こんな美形が、吟佐のような冴えない男に必死に言い寄っているのは、あまりにおかしい。こらえきれず噴き出すと、相楽はぴたりと言葉を止めた。
「僕、しつこいですか?」
「かなりな」
 わかっていなかったのか、とまたおかしくなって、笑いが抑えられない。ぬるくなったビールを呷り、濡れた唇を指で拭った。おかしすぎる。
 なぜか頬を赤らめた相楽が、顔色を窺うように視線を向けてくる。そんなに見てもなにも出ない。
「俺が嫌がったら諦めるか?」
「諦めません、一生諦めません。伊達に二十年も片想いしてませんよ」
 言葉にするとだいぶ重い。でも妙に心がふわふわとして、酔ったわけではないのに心地よい。
「再会できるなんて思ってなかったのに、こうして今、吟佐さんと一緒にお酒を飲めてるんです。諦めずにいたら奇跡は起こると、僕は身をもって知りました」
「奇跡って」
 おおげさな、と思うが、きっと相楽にはおおげさではないのだ。それがわかるほどに、まっすぐな視線を向けられている。
 強気で来るかと思えば弱気な姿を見せる。強弱のつけ方が絶妙で、相楽のペースにすっかり巻き込まれている。拒絶する気も起きなくなって、しょうがないな、と頬を緩めた。
「負けたよ」
「吟佐さん!」
 無意識に声が大きくなってしまったのだろう。はっとした相楽は少し気まずそうに口を噤んだ。こんな姿もはじめて見た。
 吟佐がテーブルの上に左手をのせると、相楽はためらいがちにその手に触れた。軽く重なっただけなのに、左手から全身に温もりが広がっていくように感じる。重なる手が若干強張っていて、相楽の緊張も伝わってくる。あれだけ押しておいて、今さら緊張とは変な男だ。
「完敗」
 妙にすがすがしくて、どきどきする負けだ。

(終)
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