大人な貴方とはじめてを

すずかけあおい

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大人な貴方とはじめてを⑩

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 今日も崎森と会えなかった。力ない足取りでエレベーターに乗る。もう三日も顔を見ていない。別れが現実に近づいてきている。いや、もう崎森にとっては終わっているのかも――想像しては心臓がぎゅっと痛くなった。
 ビルを出ると冷たい風が頬にぶつかるように吹いてきた。もうすぐクリスマスなので街はさまざまな電飾が光っている。明かりを見ないようにしながら少し俯いて歩く。今は陽気な雰囲気を受け入れられる気分ではない。
「松田くん」
 呼び止められ足が竦む。この声は、間違いない。
 顔をあげ、はっきりと相手を視認する。絶対に聞き間違えない声の主は、やはり崎森だった。
「崎森さん……」
「少しいいかな」
 険しい表情から、別れ話をしに来たのだと理解する。嫌だと駄々をこねるような真似はできず、小さく頷いた。
 崎森が先導してくれて歩道を歩く。どこに向かっているのかと考える余裕もなく、ただ泣きたくてどうしようもなかった。
 ついたのは駅の裏側にある小さな公園だった。ようやく足を止めた崎森がゆっくりと振り返る。
 嫌だ。別れたくない。縋りつきたい。でもできない――。
 このまま別れを受け入れるしかない状況が悔しくて唇を噛む。一歩松田に近づいた崎森が深く頭をさげた。
「ごめんなさい」
「え……?」
 突然の詫びになにかと目をまたたいてから、「別れてください」と続くんだな、とぼんやりと思った。
「誤解していました。本当にごめんなさい」
 驚きで一瞬呼吸が止まる。震える唇をきゅっと引き結んだら、緊張で喉がひくりと引き攣った。
「……どうして」
 まだなにも言っていないのに誤解だとわかってくれたのだろう。崎森は顔をあげずそのまま頭をさげ続ける。
「奥原くんから全部聞きました。完全に僕が早合点しただけです」
 感動で胸が熱くなった。奥原が誤解をといてくれたのだ。
 固まっていた身体を慌てて動かして崎森に歩み寄る。
「顔をあげてください。俺も誤解されるようなことしてごめんなさい」
 ゆっくりと姿勢を戻してくれた崎森は、情けなく眉をさげる。美形が台無しだ。
「僕は恋人がいた経験がないから、どうしても不安になってしまったんだ」
「…………はい?」
 誰が、なに?
 相当に間抜けな顔をしていたと思うが、崎森は表情を歪めたまま斜め下に視線を落とす。
「慣れてるように見えるかもしれないけど、実は恋自体したことがなかったんだ」
「え?」
「松田くんが初恋なんだ」
「――」
 さすがにそれは信じられなかった。でも崎森は真剣な顔をしていて、嘘をついているようには見えない。だけど崎森が恋もしたことがないなんて、そんなはずはない。
 言われた言葉が噛み砕けず、頭の中で疑問符がぐるぐるとまわる。目までまわってきそうなほどに理解不能なことを言われている。崎森は視線を松田に戻し、頭の中の混乱を読み取ったように苦笑した。
「僕は少し外見が目立つみたいで、昔から男女問わず好意を寄せられてきたんだ」
「少しじゃないです。ものすごく恰好いいです」
 そこははっきりと否定すると、崎森はまた苦笑いをした。お世辞や気遣いではないのに、伝わっていないかもしれない。
「でも中身を見てもらえなくて、見た目が好きだからと告白されるばかりなんだ。一番多いのがひと目惚れかな。僕自身も自分の価値は見た目にしかないのかなと思うくらい、誰も中身を見てくれないんだ」
 だからといって誇れるような中身があるわけじゃないけど、と寂しそうに笑う。そんなことない、と飛び出しそうになった言葉をいったん呑み込んだ。今は崎森の話を聞こう。
 誰もいない暗い公園で向かい合う。背の高い屋外灯がひとつあるだけの公園内はぼんやりとした明かりしかない。一歩あとずさったら崎森の表情が見えなくなりそうなほどに闇が近くて、心細くなるくらいだ。もう少し大きな公園ならば時期的に電飾で飾るのかもしれないが、遊具もなくベンチがひとつ置かれているのみの、開発された都心の中での過去の忘れ物のような場所はそんな手は入れられていない。
「だからかな、徐々に好意不信になっていったんだ。誰の好意も信じられなくて、受け入れられなくなっていった。男性も女性も僕を人集めの道具に使ったりするから、本当に仲のいい友だちもいないんだ」
 意外な言葉ばかりが次々告げられ、驚きとともに胸が痛かった。いつでも優しい笑顔を見せる裏に、こんな苦悩があったなんてまったく気がつかなかった。同時に悔しさも込みあげる。そんな悩みや苦しみに気がついてあげられなかった。
「実のところ、恋の仕方もよくわかっていないんだよ」
 寂しそうに笑う表情がとても遠く見える。そのまま消えてしまいそうに見えて、一歩近づいて崎森のすぐ前に立った。その行動は意外だったようで、崎森は驚いた様子を見せながらも嬉しそうにはにかんだ。
「エレベーターでの松田くんの優しさを見ていて、人を選ばずに誰にでも優しさを持って接する姿に惹かれていった。松田くんの優しさを見ていると胸が温かくなって、僕まで優しい気持ちになれるんだ」
「そんなたいそうなことはしてないです」
 恥ずかしくなるような評価に、照れくさくて頬をかく。特別ななにかをしたわけではない。それでも崎森は首を横に振る。
「松田くんは優しいし素敵な人だよ。知れば知るほど好きになっていった。挨拶をしたらきちんと返してくれるし、話しかければよく知らない僕にでも笑顔を見せてくれる」
「は、はあ」
 さすがにもう頬がこれ以上熱くならないだろうというくらいに火照っている。夜風が冷やしてくれても熱いから、たぶん真っ赤になっている。こんなふうに賛辞を並べられたことがないので、受け答えの仕方もわからない。
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