三年後の羽化

イワイケイ

文字の大きさ
1 / 1

三年後の羽化

しおりを挟む
「あれ」
 確かに掛けておいたはずのコートが消えている。
 誰かが間違って着て帰ってしまったのだろうか、さすがに新調したばかりなのを諦める気持ちにはなれず、途方にくれて周りを見回すと別のコートが目に入った。それは一足先に帰ったはずの友人兼同僚のものであり、手に取って首を捻る。
 彼なら間違えるはずもなし、そもそもサイズが合わないのは明らかなのに、と頭に疑問符が浮かんだまま窓の外に目を遣ると、駐車場の街灯の下、まさに彼が見覚えのあるコートを着てしゃがんでいるのが見えた。
 呆れて彼のコートを掴んだまま階段を降りる、駐車場へ出る通用口のドアを開けると、服を通して肌を刺す冷気に足が止まった。
「ねえ、何してんの」
 しゃがみこんでいる彼に届くように声を張って呼びかけると、振り向きざま、
「猫いんの。親子の」
 とこれはどこか嬉しそうに言うのへ、ため息をつく。
「いいから、俺のコート返してよ」
「雪降んねーといいなあ、まだすっげえ小さいから。なんか白いのと茶色のが、」
「人の話、聞いてる?」
 寒いのもあって気短に遮ると、ようやく立ち上がった彼は両手をポケットに突っ込んで、真っ直ぐにこちらを見た。
「……これ着てればさ、お前、気付くかと思って」
「気付くって何……」
 と言いかけたところへ冷たい風が吹きぬけていく、落ちてきた雪片に彼はため息をついた。
「あーあ、降ってきちゃった」
 街灯を反射した雪が細かく光りながら散っていく中、ぼんやりと夜空を見上げている彼の姿はどこか現実感が希薄で、ふとこのまま消えてしまうのではないか、と奇妙な錯覚に囚われる。錯覚だと解っているのに襲ってきたのは苦しいほどの恐怖、思わず名前を読んで走り寄れば、彼は驚いたような顔をした。
「何だよ、怖い」
「や、……えっと、」
 錯覚に怯えたとは口に出来ず、間の抜けた返事をすれば、服を取り返しに来たのだと勘違いしたらしい、
「分かった、返すって。これ、良いコートだよなぁ、俺のサイズあればいいのに」
 と言いながらコートを脱ぎ、こちらの手に押し付けると、代わりに自分のコートを羽織る。ジッパーを引き上げながら、彼は屈託無く笑ってこちらを見上げた。
「昼間は天気良かったからさ、運動がてら自転車で来ちゃったんだよな……車で来ればよかった」
 庇の下に寄せてある自転車の方へ歩いていく彼の後姿を眺めながら戻ってきたコートの袖に手を通せば、まだ残る体温が柔らかく胸を刺す。
「また来週な」
 と自転車に乗って去っていく彼とは反対に、ひとまず荷物を取りに戻りかけた時、急ブレーキの音とガシャンという大きな音がした。ぎょっとして駐車場の外まで走り出てみれば、スピードを上げたまま去っていくトラックと、自転車ごと倒れている彼の姿が目に入った。

 一瞬、心臓が凍る。

 駆け寄って肩を抱き起すと、
「あー、やっちったなあ……完全に俺の不注意。何とか轢かれるのは回避したけど」
 とこちらを見上げて苦笑するのへ、とりあえず大事ではなさそうだとほっとする。
「怪我は?立てそう?」
「へーきへーき。ちょっと足捻っただけ」
 と笑う彼を介添えして立ち上がらせる、確かに足首を痛めているようで、しっかりと立てない彼の代わりに自転車を起こしてやった時、小さなため息が聞こえた。
「……俺、何やってんだろうな」
 普段はあまり聞かない自嘲気味な声と翳りのある表情に心が波立つ。
「ごめん、助かった。それじゃ、」
 と取り繕うように明るく言う彼の腕を掴んだ。
「ちょっと待って。今日は送ってく」
「や、大丈夫だって。それに俺んちのが遠いし」
「だからだよ。雪も降ってきたのに、その足で1時間以上かけて帰るなんて無理」
 真正面から正論をぶつければ、彼は再びため息をついた。
「じゃあ、……頼むわ」


-----------------------------------------


 職場を出て直ぐ、雪は予想もしなかった本降りとなった。
「結構降ってきたな」
 助手席の窓から外を眺めながら言う彼に既視感を覚える、3年前のあの日も同じようにこの都市で珍しく雪が降る中、こうして職場から車で一緒に帰ったのだ。一つの大きな仕事が終わり、同僚達と成功を喜び合いはしたものの、打ち上げの習慣のない部署だったから、自分達だけで家で祝杯を挙げようということになって。
 車中、いい歳をした大人ふたり、子供のようにはしゃいでいた記憶が懐かしい。
 今はどこかぎこちない沈黙が流れる中、彼は何を考えているのだろうかと思った時、隣で小さく笑う気配がした。独り言のように、
「……懐かしいな。前もこのくらい雪降ってなかったっけ」
 と呟くのへ、ああ、彼も同じことを考えていたのかと気付いた瞬間、思わず彼の方を見てしまいそうになるのを押さえ、
「足の具合、どう?」
 とさりげなく訊いた。
「んー、ちょっと痛くなってきたかな……そんなに酷くはないけど、熱持ってる感じはする」
「家に湿布とかある?」
「いや、そういうのはほんっとにうち、何にもないんだよな。痛み止めなら……探せばあるはず」
 と心もとなそうに苦笑するのへ、
「じゃあ、うちに来て。手当出来るから。土日は病院やってないし、出来る処置はしておいた方がいいよ」
 と続けた自分の声の冷静さに驚く。
「は?やだよ、金曜のこんな時間にすげえ迷惑じゃん」
「今更何言ってんの。昔は金曜日のたびに来てたくせに」
 簡単に言えば、彼はそれ以上何も言わずに再び窓の外を眺め出す。彼の家に向かう道と自宅へ向かう道の分岐点で、こちらも黙ったまま自宅へ向かう、会話のなくなった車中とは反対に、外は風の鳴る音が酷くなっていた。


-----------------------------------------


「……こんなに腫れてるって思わなかった」
 眉を寄せる彼の足元に座ると、確かに足首は赤く腫れて、傍から見ても炎症を起こしているのが分かった。湿布を貼り、包帯代わりにサポーターで固定する。
「一応歩けてるし、多分骨とか腱まで異常ないと思うけど……様子見ておかしいようだったら週明けすぐ病院行って」
「ん、そうする」
「簡単だけど夜食用意するから、食後に痛み止め飲めば少し楽になると思う」
 と薬箱を片付けながら言うと、彼は真面目な顔でこちらを見た。
「ありがとう。お前がいてくれて助かったわ。……何か、今になって……さっき事故ってたらと思うと怖くなってきた」
 普段は造作なく笑う彼が上手く笑えないのを見て、隣に腰を下ろす。
「……大丈夫?」
「うん」
 力なく頷く彼の表情はどこか疲れており、思わず肩に手を掛けた。
「俺も怖かったよ。倒れてるの見た時、トラックに撥ねられたんじゃないかって。……もし、お前がいなくなったらどうしようって」
 真面目に言えば、こちらを向いた彼の目から涙がぽつり、と零れ落ちる。
「あ、ごめん」
 と慌てたように横を向き、手のひらで目を拭いながら、
「俺、やっぱ何か今日変なんだよ。……おかしいな、疲れてんのかな」
 と笑うのを眺めながら、ああ、自分が待っていたのはこれなのだと冷静に考える。3年前のあの雪の日、この部屋で彼と寝た時からずっと。



-----------------------------------------


 彼とは同期だった。
 たまたま新卒の合同研修で隣り合わせ、使っていたボールペンが好きなバンドのツアーグッズだったのを彼が目ざとく見つけ、
『俺もこのバンド好き!周りにあんまり知ってる奴いないんだけど』
 と屈託なく話しかけてきたのがきっかけだった。大学で上京したのに加え、お世辞にもコミュニケーション力が高いとは言えなかった自分にとって、生まれも育ちも東京の彼は垢抜けて自由闊達に見え、最初の方こそやや気圧されはしたものの不思議と気が合い、同じ部署に配属されたということもあって、友人としても交流するようになった。
 周囲から本当に仲が良いねと言われるのはいつものこと、自分でも親友とはこういうことを言うのだろうなと何も疑わなかったはずなのに、奇妙な違和感を覚えるようになったのはいつ頃からだっただろうか。
 多分最初は入社3年目の頃、彼に恋人が出来た時のことだったと思う。見た目は平均以上、明るくて人と関わるのが上手な彼は入社当時から女性社員から人気があったし、これまでも彼女がいたことはあったけれど、いつも短期間でいつの間にか別れているというのがお決まりのパターンだった。お前といる方が楽、と笑っていた彼に安心していたのかもしれない。
 だが、その彼女が出来てからは今まで自分と一緒にいた時間は目に見えて減った。本当に大切にしていることは彼の言動から分かったし、親友なら応援してやるべきだと頭では理解しているつもりだった。寂しいと感じるのは仕方のない副作用、誰しもあることだと自分に言い聞かせても、胸の底で澱のように溜まった焦りで時折吐きそうになる。
 これは自分も周囲と同じように恋人を作らなければならないという焦りに違いないと結論付けはしたものの、いざ自分にも恋人が出来てみると、その焦りが消えていないことに気付いた。

 焦りの正体を恋だと自覚し始めたのもその頃で。

 感傷に浸る代わりに自分が考えたのは、どうしたら“親友”として彼の傍にいられるかということだった。報われない恋に嘆く時間があるのなら、どんな形にせよ、彼を失わない方法を見つけたかった。
 完璧な親友として数年経った頃、彼に当時付き合っていた女性との結婚話が持ち上がった。いつかはこの日が来るのだと覚悟していたつもりでも、さすがに平静を保つのが難しく、どうしようかと考えていた矢先、上司から3年間の海外赴任の話を打診された。
 プロジェクトの内容はまさに自分がやりたいことだったし、新婚になるかもしれない彼と物理的な距離を取れるのも有難く、閉塞状態に陥っていた思考にも感情にもようやく風が通ったような気がする。3年でまずは自分を立て直そうと決め、人気のない休憩室で彼に転勤の話をした時、返ってきた反応は予想外のものだった。
『え、行くなよ』
 こちらの腕を掴み、怯えたように言う彼を呆気に取られて見つめていると、発言した当の本人はもっと驚いたらしい、慌てて手を放した。
『あ、いや……急だったからちょっとびっくりして。寂しいけど、お前のキャリアだもんな』
 と声だけは普段と変わらず、ただその表情はどこかぎこちない。
 
 この時から時折、彼は不自然な表情や態度を見せるようになった。

 同期としての闘争心とも見えず、それが何なのか分からないまま、思考は自分に都合良く、彼も自分と同じ感覚を持っていないだろうかという淡い期待に繋がっていく。そんなことがあるはずはないと自分を戒めながら迎えたあの雪の日、状況は一変した。
 本来ならあの時が赴任前の最後の仕事だったし、引継ぎやら何やらで忙しくなる予定だったから、彼と二人で会えるのはその日だけだった。最後は何も考えずに楽しく過ごしたいと願った通り、まるで新卒の頃に戻ったかのようにずっと笑ってばかりいて。
 夜もだいぶ更けた頃、笑い疲れたのか、彼は床にごろりと横になると急に静かになった。酒もかなり入っていたし、眠ってしまったのかと思って覗き込むと、ぼんやり天井を見上げている。
『……すっごい勝手なこと言うんだけど。お前の転勤さ、凄いことだし応援しなきゃって分かってるんだけど、全然感情が追いついてなくて。……正直、今でも行かなきゃいいのにって思ってる』
 酷い話だろ、と自嘲気味に言うのへ、
『でも、ずっと行ってるわけじゃないから。3年で戻ってくるよ。……ただ、結婚式には出られないかもしれないけど』
 と返せば、彼は再び黙り込んでしまったが、やがてぽつりと呟いた。
『俺、どっか壊れてんのかな。……お前がいないとダメ』
 その言葉の意味を考えるより先に、彼の手が伸びてこちらの腕に触れた。
『なあ、……傍にいてよ』
 その瞬間、意味を考えることを放棄する。その意味によって自分の行動が変わることはないと悟ったからだった。腕に触れている手を掴んで指にキスをする、ぼんやりこちらを見上げている目の色にも手首の力にも拒絶がないのを確認したのが最後の冷静さで。

 彼に触れている間は“今”しかなかった。

 夜が明けたら考えなければいけないこと、話さなければならないことがたくさんあるのは分かっていても、今、両手で彼を捕まえているのは自分だという悦びの前には全てどうでもいいことのような気がした。今まで知らなかった表情も声も仕草も、知ってしまったことへの罪悪感は少しもなく、寧ろもっと早く知るべきだったのではないかとさえ思えてくる。
 明け方、余韻の中でまどろんでいると、腕の中にいた彼が起き上がった。カーテンを少し開け、積もった雪で灰白く染まった外を眺めているのへ、
『……風邪引くから、おいで』
 そっと声をかけると、おとなしく戻ってきた彼はこちらを覗き込んで、小さく笑った。
『お前、ほんっとにいい奴だな。……ありがとう、俺の最低に付き合ってくれて』
 笑っているのにどこか辛そうな表情を黙って見つめていると、彼は自分に言い聞かせるように続ける。
『俺は、お前みたいないい奴を壊しちゃいけないんだよ。これ以上、……近くなったら、俺はきっと、調子に乗ってもっと最低になる。だから、』
 とこちらの唇に指で触れて。
『……これは、忘れて。今までみたいに、親友でいて』
 彼の頬に零れている涙を奇妙なほど冷静に眺めていたことは今でもはっきりと覚えている。



-----------------------------------------


「……もう、止めない?」
 洟を啜っている彼に向かって静かに言えば、
「やだ」
 何を止めるのかとも聞かずに即答するのへ思わず笑うと、彼は釣られたように小さく苦笑した。
「笑うなよ、これでも……3年間努力したんだから。ちゃんと、お前がいなくても一人で立っていられるように」
「で、努力の結果は?」
「……バツイチで、後輩に役職抜かされて、トラックに轢き殺されそうになった挙句に今、盛大にボロ出してる」
 とため息をつく彼の頭に手のひらを置いた。
「じゃあ、その努力止めようよ」
「だから、やだってば。……お前を壊すのだけは嫌だって言ったじゃん」
「俺は壊れないよ?というか、そもそもお前が思ってるようないい奴じゃない」
 と言いながら、頭を撫でる。
「3年前にお前に“親友でいて”って言われた時、俺、親友止めようって決めたんだよね。でも、お前がもう一度、やっぱり俺がいないとダメだって言ってくれるの待つつもりだったから、赴任してる間はずっと“親友”のフリしてた。……だからね、俺は今、凄く嬉しいの。お前がボロ出してくれて」
「……めっちゃ怖い」
「ごめん。でも多分、ボロ出してくれてなかったら、もっと怖いことになってたかも。だから、これ以上要らない努力しないで」
 3年間、ずっと抑え付けてきた言葉を祈りにも似た思いで口にする。彼はしばらくじっとしていたが、やがてこちらを向き直って腕を掴んだ。
「あの時も言ったけど、……俺、ホントにお前に対して最低になれる自信あるぞ。依存しまくるし、きっと束縛もする。他にも……、何でか分かんないけど、お前相手だと、本当は出しちゃいけない部分が出てくるから色々大変だと思う」
「俺にとっては、お前がいなくなることが“最低”なの。それ以外だったら何でもいい。……ちょっと楽しみですらある」
「すっげえ変態じゃん」
「そうだよ、……安心した?」
 そっと言えば、彼は観念したように小さく頷いた。安堵したのと覚悟を決めたのが混ざった表情の中に、何とも形容しがたい表情――苦しそうにも見えるのにどこか恍惚とした――があって、ああ、ようやく手に入ったと言う鋭い悦びで満たされていく。
「じゃあよろしくな、変態」
 照れ隠しなのか、普段通りの軽口に戻って笑うのを抱きしめる、薄赤くなった耳に唇を付けて囁いた。
「こちらこそ。……たくさん待った分、覚悟してね」



-----------------------------------------



 何故か今、仕事の話をされている。話が途切れたところで控えめに、
「……その話さ、今じゃなくて良くない?」
 と言ってみると、彼はばつの悪そうな顔をした。
「……まあ、うん」
「前から思ってたんだけど、こういう時に仕事かお笑いの話するよね」
 と続けると、彼は無言で毛布を被り、こちらに背を向けるのへ思わず笑う。毛布ごと後ろから抱え込みながら、
「何、自覚あった?」
 と訊けば、毛布の中からくぐもった声がする。
「……一応」
「うーん、ピロートークしろとまでは言わないけど、さすがにもうちょっと何かないのかなって」
 毛布から引っ張り出しながら言うと、不機嫌そうな顔で僅かにこちらを振り向く。
「苦手なんだよ、この時間が」
「そう?でも、する時は苦手そうじゃないじゃん」
 苦手どころか、たいていは彼の方から誘ってくる。何か楽しい悪戯でも思いついた子供のように腕を引いて、なあ、しよ?と囁かれれば、こちらに拒む選択肢はない。その割に、事後はこれでもかというくらい早く切替たがる癖には何となく気付いてはいた。急速に冷めるのは生理現象だとしても、さすがに引っかかる。
「や、そうなんだけど……、我に返るっていうかさ、うわ、ホントにお前としたんだっていう」
 と言いながら耳の先が薄赤くなるのを呆気に取られて見つめていると、彼は眉間に皺を寄せた。
「何だよその顔」
「ごめん、でも、あまりにも思考がピュア過ぎてびっくりしてはいる」
「そうだよなあ、……いい加減慣れないと」
「いいよ、慣れなくて。可愛いから」
 思わず本音が出るのへ、今度は彼が呆れたように、
「お前、……ホントに変態だなあ。そういうとこが面白いと思うけど」
「じゃあもう一回抱いていい?」
「じゃあ、の意味が分かんねえよ」
 と苦笑しながら、それでもこちらの肩に手をかけて、顔を覗き込む。
「……でも、お前とするのは、好き」
 自覚があるのかないのか、びっくりするほどストレートに煽って来るのも彼の癖、そこも含めて可愛いのだと改めて考えながら煽られた通りにする。
 肌に触れる手のひらや指に、最初は必ずくすぐったがって無遠慮にケラケラ笑うのを心が折れないように辛抱すれば、少しずつ彼の表情も反応も変わって来る。恐らく女性と付き合っていた頃は知らなかったであろう快楽に戸惑いと照れがあるのか、顔を背けたり、なんとか反応しないように頑張って耐える姿が可愛いと思うのだけれど、同時に自分の中の一番暗い欲が暴れ出す。
「顔、見せて」
 引き剥がした彼の手に指を絡めてシーツに押し付け、反対の手で額にかかった髪を梳くと、ぼんやりした目が見上げてくる。
「……何」
「いや、やっぱり可愛いなと思って」
「一回眼科に行け」
「俺、視力1.2あるからね」
 と笑えば、不満そうな顔をされた。さすがに“可愛い”と言い過ぎたのがいけなかったのかもしれないとその顔を眺めながら反省しかけたところで、指をぎゅっと握り返された。
「……おしまい?」
「ん?」
「続き、しねーの?」
 と呟くのへ、ああ、不満だったのはそこだったのかと思うと、欲がさらに強くなる。
「しないわけないでしょ」
 と言いながら指を解いて肌を辿り、触れられるのを待ちかねていた芯に触れると、とっくに零れていた露で指が濡れた。括れを親指の腹で擦りながら、人差指を先端の窪みに押し当てると、さらに溢れてきた露で濡れた音が立つ。
「結構焦れちゃってたね、ごめん」
 耳に唇で触れながら言えば、
「そういうこと言わなくていい」
 とやや不機嫌そうな声が返ってくるけれど、蕩けた表情と紅潮した肌がそれを肯定している。少しでも動きを緩めれば、やだ、と掠れた声で、先を強請るようにこちらの手に腰を押し付けてくる。本当にこれで元既婚者か、所謂マゾっ気があるというのとも違うけれど、彼の秘められた性癖を埋められるのは自分だけだという奇妙な確信があって、それが強烈な愉悦と独占欲に繋がっていく。
 ふと彼の手が頬に触れる、唇に笑いが掠めたと思ったら、
「お前さ、すっげぇエロい顔してんの。……普段は涼しい顔してんのに」
 などと言う。
「そりゃあね、引かれるくらいヤバいことばっかり考えてるから」
「知ってる。すげえむっつり」
 と楽しそうに腕を回してぎゅっと抱き着いて、額を肩にすり寄せてくすくす笑う。
「……でも、このむっつりなとこが可愛いんだよなあ」
「めちゃくちゃ煽るじゃん、今日。さっきのじゃ足りなかった?」
「んー、そういうんじゃねーけど、……でも、もうちょっと欲しいかも」
 半分照れたような、それでも期待を含んで濡れた目がこちらを見上げる、引きずり出された劣情のままに彼の体を持ち扱う。うつ伏せにさせて腰を抱え上げ、足開いて、と短く言えば、綺麗な背中までが淡く染まる。
「この体勢、……恥ずかしいからやだって、いっつも言ってんのに」
 文句を言いながらもこちらの言う通りにしてくれる彼を見下ろしながら、独占欲が飢えたような支配欲に置き換わるのを感じた。
「ローション足すよ」
 声をかけると小さく頷いて枕にしがみ付く、どこか緊張して強張った仕草とは裏腹にローションを絡めた指は呆気なく呑み込まれていく。さして苦痛もなさそうだなとは思うけれど、念のために、
「痛くなければ、挿れていい?」
 と訊けば、うん、と素直に頷いて。
 己の熱を少しずつ彼の体に沈めていくと、さすがにやや苦しそうな吐息が漏れる、指よりは苦しいだろうなと申し訳ない気がして、ごめん、と呟くと、彼は枕に顔を埋めたまま微かに首を横に振った。
「へーき、……だから、して」
 切ないような声で促されればこちらのリミッターも停止する、本能的に動き出すと甘さを含んだ艶のある声が上がった。最初のうちこそ羞恥の方が強いらしく、枕やシーツを口元に押し当てて声を抑えようとしていたけれど、これまでの経験で得た彼の一番感じる箇所を一番好きな角度と強さで、時間をかけて幾度も穿てば、ついには堪え切れなくなって快楽に弱い彼の本性が現れる。
「それ、……だめ、気持ちい………、……ッ、」
 うわ言のように喘ぎ、背を波立たせる彼を貪りながら、もっと感じさせてやりたいと暗い欲が己を唆す。
「ちょっと動かすよ」
 繋がったまま彼の上体を起こして膝で立たせ、壁に手を突かせて背中を抱いた。
「なに………?」
「こういうの好きじゃない?」
 と耳や首筋を舌でなぞり、返事は待たずに深く突くと壁に爪を立て、無理、と泣き出しそうな声が零れる、それでも自分の推測が間違っていなかった証拠には、あっという間に恍惚とした表情になって、こちらの動きに合わせて自ら腰を遣う。どんな要求も従順に受け入れるようになった彼に支配欲を満たされていると。
「……も、イキたい」
 と彼が限界を訴える。
「うん、いいよ」
「おまえと、……いっしょがいい」
 ぼうっとして舌が回らないのか子供のような言い方で、一昔前のティーンエイジャーかというようなことを言うのへ思わず笑い、快楽に苛まれて火照り切った体を抱きしめる。
「じゃ、一緒にいく?」
 と囁けば、嬉しそうに頷くのへ、片手で彼の腰を掴んでグラインドを加速させ、同時にもう一方の手で彼の張り詰めた芯を強めに扱く。
「や、……っ、あ、イ、くっ、……ッ」
 背を反らせ、全身を震わせながら先に果てた彼の中へ叩き付けるようにして己も果てる、へたり込んだ彼の体を抱きかかえながら、いつも一回目より二回目の方が良いんだよなとぼんやり思いかけたところで、彼が吐息と共に謎の言葉を口にした。
「……壁射」
「……はい?」
「人生初の、壁射」
 壁を汚してしまったことを指すのは十分分かったけれど、せっかく艶のある雰囲気で終わったのに、いきなり覆さなくてもいいではないかと思う。仕事の話をし出した一回目の後より酷い気がする。
「俺、寝るから掃除しといて」
 さっさと毛布を被る彼と、たった今まで腕の中で乱れていた彼とは本当に同じ人物だろうかと疑い出した時、毛布から顔を出した彼がにやりと笑った。
「変態君にはこのくらいしないと、バランス取れないだろ」
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

【R18+BL】空に月が輝く時

hosimure
BL
仕事が終わり、アパートへ戻ると、部屋の扉の前に誰かがいた。 そこにいたのは8年前、俺を最悪な形でフッた兄貴の親友だった。 告白した俺に、「大キライだ」と言っておいて、今更何の用なんだか…。 ★BL小説&R18です。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

初体験

nano ひにゃ
BL
23才性体験ゼロの好一朗が、友人のすすめで年上で優しい男と付き合い始める。

素直じゃない人

うりぼう
BL
平社員×会長の孫 社会人同士 年下攻め ある日突然異動を命じられた昭仁。 異動先は社内でも特に厳しいと言われている会長の孫である千草の補佐。 厳しいだけならまだしも、千草には『男が好き』という噂があり、次の犠牲者の昭仁も好奇の目で見られるようになる。 しかし一緒に働いてみると噂とは違う千草に昭仁は戸惑うばかり。 そんなある日、うっかりあられもない姿を千草に見られてしまった事から二人の関係が始まり…… というMLものです。 えろは少なめ。

死ぬほど嫌いな上司と付き合いました【完結】

三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。 皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。 涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥ 上司×部下BL

溺愛じゃおさまらない

すずかけあおい
BL
上司の陽介と付き合っている誠也。 どろどろに愛されているけれど―――。 〔攻め〕市川 陽介(いちかわ ようすけ)34歳 〔受け〕大野 誠也(おおの せいや)26歳

処理中です...