大神様のお気に入り

茶柱まちこ

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三章『私の神様』

(零)

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 妹のことが大嫌いだった。父さんと母さんは私だけのものだったのに、それをあいつは横取りして奪っていったから。
 妹が生まれてから、我慢ばかりの日々だった。本当は父さんとお話ししたかったのに、母さんと遊びたかったのに、私の相手はいつも憎たらしいあの婆だった。
 私は両親にとって、いらないモノになってしまった。大きくなった私よりも、小さくて可愛い妹の方が好きになってしまったのだ。
 ――なのに、あいつは両親を死なせた。二人の愛を一身に受けていながら、物の怪を引き寄せて殺したのだ。
 私にはもう、妹が物の怪以上に邪悪な存在にしか見えなかった。どうして、こんなモノがこの世に生まれてきたのだろう。盲目でまともに自立もできない欠陥品のくせに、のうのうと生き残った妹──地獄に堕してやらなければ、物の怪に襲われて死んだ両親があまりに浮かばれない。
 だから、私はあいつを何度も殺そうとした。なんでもいい、とにかく痛くて苦しい罰を与えなければならないと思った。けれど、忌々しいことに──私が妹に危害を加えようとするたび、それに勘づいた婆が妨害してくるので、いずれも失敗した。

 怒りでおかしくなりそうだった私はある日、鉈切山の神社にお参りに行った。どうにかして妹を懲らしめてやれないかと考えて、大神様の力に縋ろうとしたのだ。
 どうか妹に罰を与えてください、と私が祈った時、

「あれまあ、とんだ神頼みをする人間がいたもんだ」

 と、拝殿の中から声がした。
 私が顔を上げたのと同時に、拝殿の中から本当に大神様が出てきて、さすがの私も腰を抜かした。

「妹を殺したくて仕方がないたァ、また物騒なことを言うねえ」

 大神様はそう言って、薄笑いを浮かべながら私を覗き込んできた。
 意外なことに、大神様は狼の姿をしていなかった。彼は左目に眼帯をした、若い男の姿で現れたのだ。私が今まで見てきたどの男よりも眉目秀麗な顔立ちで、星空のように美しい紺色の髪をしていて、神様と呼ぶに相応しい見た目だった。
 大神様は呆然とする私に、こう言ってきた。

「ちょうどいい、俺もお前の妹が生贄に欲しかったんだ。村人どもにどう差し出させるかずっと考えていたんだが、お前が手伝ってくれるなら、事も上手く運ぶだろう」

 大神様いわく、妹は神様にとって、とても美味しそうな霊力を持った、特別な人間なのだという。まだ体が小さくて未熟だから、一番美味しくなった状態の妹を生贄として差し出してほしい、というのが大神様のお願いだった。

「なに、難しいことは要求しねえさ。お前は今までどおり、妹を少しばかり虐めてやればいい。煮詰まった不幸は、良質な霊力をさらに熟成させるんだ。酒造りのようなもんだと思えばいい。もちろん、動いてもらったぶんの対価は払おう。人でもモノでも、お前の望むものをくれてやるよ」

 引き受けてくれるか? という大神様の問いに、私は一も二もなく頷いた。妹を好きなだけ虐められて、生贄として体よく追い出すこともできて、さらにご褒美までもらえるというのだ。こんなに美味しい話はない。
 大神様はさらにこう続けた。

「いいか? 生贄は時が来るまで絶対に殺すなよ。お前が立ち回りやすいように、村人にはまじないをかけといてやる。村人たちはお前を慕うようになり、妹を疎むようになるだろうから、上手く使うといい」


 ──そうして、私は神様の助けを借りながら、今までやってきた。なぜか婆だけまじないにかからなかったのが謎だったけど、それはさして大きな問題にはならなかった。
 村人はみんな私の味方だ。妹は呪われた忌み子で、婆は忌み子をかばう異端者――私は妹を酷く虐めても、怪しまれることなく有利に動くことができた。
 やがて、妹は成長し、唯一邪魔だった婆が死んだ。大神様は機を見計らって、鉈切山のふもと一帯に大雪を降らせた。米や野菜を作れないと困り果てた村人たちの間に、生贄を出そうという話が持ち上がったところで、私は妹が大神様への生贄に選ばれるように差し向ける。
 村人と共謀して、妹を大神様のいた拝殿に閉じ込めて──計画は全て上手くいった。妹を生贄に差し出した私は、村で一番の富と権力を持つ家に嫁ぎ、誰からも愛される幸せな暮らしを手に入れた。

 これで、何不自由ない生活が送れる。私にようやく幸せが訪れる。――はずだった。


 *


「どういうつもりだ、ヒノ!? お前には人の心がないのか!!」

 未だに雪が降り止まない、ふもとの農村にて――ヒノはある朝、結婚したばかりの夫から、いきなり罵声を浴びせられた。廊下どころか家中に響き渡りそうな大声だったので、さすがのヒノも動揺した。

「ど、どうなさったのですか、旦那様? わたくしがなにか……」
「どうしたもこうしたもあったものか! お前、女中の子供にわざと水を浴びせたらしいな。聞いたぞ」

 ひっく、と声が喉の奥に詰まるのを、ヒノは感じた。
 自分の行いを非難され、怒鳴られるなど、ヒノはまったく想定していなかったのだ。
 夫は大神様のまじないのおかげで、ヒノに心酔している。ヒノのすることはすべて正しくて、対抗する者はどんな理由があろうと許されない――彼はそういう認識をするはずなのに。

「こんなに寒い中で、小さな子供に水を浴びせるなんて、何を考えているんだ! 風邪を引いてこじらせでもしたらどうする!」

 ――どうして今、彼は明確にヒノをなじってきているのだ!
 こんなに鬼気迫る表情の夫を、ヒノは見たことがなかった。しかし、ヒノはこの程度で怯むような気弱な性格ではなかった。

「ま、待ってください! 私はただ、行儀の悪い子供のしつけをしただけです!」
「しつけだと?」

 目尻を吊り上げる夫に、ヒノは毅然とした態度で頷く。
 いくらヒノとて、理由もなく子供に水を浴びせるような鬼ではない。彼女がそんな行動に出たのには、のっぴきならぬ正当な理由があったのだ。

「先日、所作のなっていない女中を注意していたのです。こんなことでは大旦那様に恥をかかせてしまうと。そうしたら、急にその女中の子供が口を挟んできたものですから」

 人が親切心で指導してあげているというのに、子供は生意気にも母親をかばい、ヒノを『鬼』だの『意地悪』だのと罵ったのだ。だから、彼女は子供を黙らせるために、桶いっぱいの水を引っかけてやった。ただ、それだけなのだ。
 その事実を冷静に、淡々と説明するヒノだが、夫の怒りが収まる様子はない。

「では、連日その女中に暴言を吐いていたのも、すべて指導のためだったと? あれではただの虐めだと、他の女中も顔をしかめて俺に訴えてきたのだぞ」
「言いがかりです! 私はただ、貴方の妻として正しい行いをしようとしていただけで……」

 確かに、あの後子供は大泣きしたし、やり過ぎたような気はした。しかしそうさせたのはあの子供であって、ヒノに非はないはず。
 一体、誰が私を極悪人のように仕立て上げたのだ。あの小賢しい妹ですら、告げ口などしなかったのに──と、ヒノは歯噛みした。

「お袋や姉からも、お前の嫁としての態度は最悪だと聞いているぞ。そんなお前がどの面下げて女中の指導をしようと言うんだ」
「最悪ですって!? 貴方はあの人たちの言うことを真に受けているのですか!」

 夫の察しの悪さに、ヒノは腹が立って仕方がなかった。姑も小姑も、ヒノに何かと難癖をつけていびろうとしているのは明らかなのに、夫はどうしてそれに気づいてくれないのか。

(ああ、ムカつく! 私よりも親や兄弟のほうが大事だっていうの!?)

 当初は情熱的に愛を囁いてくれて可愛い夫と思っていたが、蓋を開ければ母と姉の尻に敷かれているだけの腰抜けだ。嫁の言い分には一切寄り添わず、母親や姉と一緒になって叱りつけ、挙句の果てには女中やその子供もかばいだす始末。ああ、自分はなんて貧乏くじを引いてしまったのだ。
 ふつふつと怒りが噴き出しそうになっていたヒノだったが、ふと、彼女は気づいた。
 ──二人が騒いでいるのを聞きつけたのだろう家人たちが、いつの間にか周囲に集まってきていたのだ。

「は? な、なによ、貴方たち……なにか文句があるの!?」

 たじろぎながらも家人たちを睨み返すヒノ。しかし、大勢の人間たちから睨まれるのは想像以上に恐ろしいものだ。中にはなにか囁きあっている者もいる。ヒノは次第に、背中に冷や汗が滲んでくるのを感じた。

(なによ、これ……どうなっているのよ……!? 村の人たちはみんな、私の味方なんじゃなかったの!?)

 まさしく、孤立無援としか言いようのない状況だった。ここにいる誰もが、ヒノに対して一様に敵意を向けている。
 おかしい、おかしい、おかしい! どうしてこんなことになっているのだ!?
 ほんの数日前まで、にこにこ愛想を振りまいていた家人たちが、今日になっていきなり全員敵に回るなんて。狐か何かの悪戯としか思えない。あるいは、悪夢でも見ているのだろうか。 

「失望したぞ、ヒノ。お前の態度によっては処分も考慮しようと思っていたが、もう我慢ならん。おい! 誰かこいつを連れて行け。納屋にでも閉じ込めておけ!」
「そんな、何かの間違いよ! ――どうしてよ!? おかしいわよ!! 私はなにも悪いことしてないじゃない!! 悪いのはそいつらでしょ!!」

 男数人に押さえ込まれてもなお暴れるヒノだったが、結局、彼女の言葉に耳を貸す者は誰一人いなかった。
 ヒノはあっという間に納屋に放り込まれた。

「出して、出しなさいよ!! でなきゃお前ら全員、大神様の天罰が下るんだから!!」

 しばらく叫んでいたが、次第に叫ぶのにも疲れてきて、ヒノはその場に座り込む。
 怒りのやり場がどこにもなくて、ヒノは納屋の扉に爪をガリガリ立てた。

「どうして……? 私、本当に悪いことなんかしてないのに……なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの……!?」

 家人たちへの怒りで、はらわたが煮えくり返りそうだった。こんな時、以前なら腹いせに妹を殴ってやっていたところだが、その妹はもういない。妹は、大神の生贄になったから。

「まさか……私、大神様に騙されたの……?」

 もしかして、もう用済みだからと、捨てられたのだろうか。自分が欲しかったものは手に入れられたから、後に残されたヒノのことなど、大神はどうでもいいと考えたのだろうか。
 そんなこと、許されるものか。許してなるものか。ヒノはぎちぎちと指を噛みながら、恨み言を吐いた。

「許さない……よくも私をこんな目に……ッ大神! 祟ってやるッ、祟ってやるうッ!」


 *


 ヒノのこれまでの人生には、障害というものがほとんどなかった。妹はいつだって思うままに虐めることができたし、馬鹿な村人は簡単に騙して操れた。
 だから、これからも――自分は楽々と優位に立ち、上手く立ち回って生きていけるはずだと、信じて疑わなかった。
 けれど、それらはすべて、神がかけたまじないによるもの。その恩恵に過ぎない。まじないの効果がなくなれば当然、今まで無いことにされてきたヒノの所業は、一気に露見することになる。

 ヒノはその後、今までしてきた無数の悪事を村人に糾弾された。特に、彼女に想いを寄せていた多くの若い衆たちの間では、しばらく乱闘騒ぎが相次ぎ、村はいっとき修羅場と化した。
 結果だけ述べれば――ヒノは村人たちの総意で、村から追放される運びとなった。
 『大雪を止めるための二人目の生贄にしてはどうか』という会話も当初はあったものの、この提案は『こんな鬼のような女を生贄にでもしたら、神様に申し訳が立たなくなる』という理由で却下されている。
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