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ハルモニア解放編

第219話 新たなる個体

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 ~アトモス軍営~

 アトモス軍との友好の為にアゲウス様の幕舎を訪れてからの記憶がない。
 私は小国の上級士官だからこそ、大国の代表とより良い関係を築かなくてはいけないのに……前後不覚となり、アトモスの医務官にお世話になっている。

 しかも、脚と脚の間……かなり違和感を感じる。

 いや、この際、私の違和感とかどうでもいい。とにかく、アゲウス様にお詫びを申し上げなくては!

「ヘレナ様、どこに行かれるのですか?」

「アゲウス様に感謝とお詫びの言葉を申し上げたい。医務官殿の治療には感謝している。だが、夜が更ける前にどうしても会わなくてはいけないのだ」

「まだフラフラではございませんか」

 医務官の言うとおり、少し頭がフラフラする。立ち上がったは良いものの、これではさらなる醜態を晒すかもしれない。

 そう考えてベッドに戻ることにした。

「アゲウス様からはあなた様の国とは今後とも友好的な関係を、そう言付けを賜っております。そして今日はゆっくり休み、明日の朝に自軍へと帰るといい、そう仰ってましたよ」

 医務官はそう言ってアトモス軍の紀章を私の手の上に置いた。それは紛れもなく友好の証でもあった。

「大切なお身体ですので、どうかご自愛ください」

「……?」

 医務官の言葉に多少の違和感を感じたが、彼女をこれ以上困らせるのもアレなので、大人しく眠ることにした。



 ☆☆☆



 ~インペリウム陣営~


「あ、あの……」

 ロイが簡易テントをテスティードに積み込んでいると、亜麻色の髪の女が話し掛けてきた。

「どうかしたのか?」

「体調が悪いので、少し休ませて欲しいのですが……」

 よく見るとかなり高級な女性用の軍服を着ている。明らかに他国の上級士官だろう。
 本人の言うとおり体調が悪いらしく、お腹を押さえて歩きづらそうにしている。

「ロイ殿、出発の準備ができました」

 ルフィーナがテスティード前方からやってきた。

「悪い、行軍までまだ時間あるよな? この人、体調が悪いみたいでユキノに診てもらいたいんだが」

「この方は……フィリル国の方ですね」

「聞いたことない名前だな」

「申し訳ない、先に名乗るべきでしたね。私はヘレナ・バードマン、フィリル国の上級士官で、位はナイトであります」

 この連合には小国も多数参加していると聞く。だとすればありえない話ではない。
 ナイトの位、そして上級士官となれば……名門の出か。

「ヘレナ様、私はルフィーナと申します。あなた様が来た方角は山道からだと思いますが……どうでしょうか?」

「はい……大国アトモスと友好をと思い、挨拶に伺った帰りです」

 それを聞いたルフィーナは少し考え込んだあと、ロイへと向き直った。

「ロイ殿、恐らくユキノ殿の手に余る案件かと思います。帝国の医務官に引き渡すのがいいかと」

「あ、ああ……ルフィーナがそう言うなら、そうしようか」

 少しルフィーナの対応に違和感を感じたが、俺はヘレナを帝国軍営の医務官へと案内することにした。

 ヘレナを医務官に引き渡したあと、俺とルフィーナは幕舎の外で待つことにした。そして少しして医務官だけが外に出てきた。

「彼女の容態ですが……おめでた、と言うことになります」

「はぁ? おめでたって……妊娠ってことか?」

「ええ、そういうことになります」

 王国軍と交戦していないとはいえ、ここは戦場だ。あまりに場違いな結果に困惑するしかなかった。
 どう答えたらいいかわからず、ルフィーナに視線を向けると、彼女は得心がいくのか少しだけ頷いた。

「医務官殿、彼女は昨夜アトモスへと向かったそうです。そして、その帰りに体調が悪くなったと」

「やはりそうですか」

「おいおい、話についていけないんだが……。俺にもわかるように説明してくれ」

「では私から」

 ルフィーナが声を潜めて説明を始めた。

「アゲウス様に悪い噂があると話しましたよね?」

「ああ、覚えてる。女癖が悪いんだろ」

「その通りです。綺麗な女性であれば、使者であろうと手を出すほどに手が早いと有名です。しかも、彼は水魔術の達人であり、戦闘以外にもそれを向けるほどに視野の広い御方です」

「戦闘以外にも魔術の使い道を考えるのは、悪いことじゃないよな」

 戦闘以外に魔術を活用する。それはきっと温かく平和な世界に必要な思考だと俺は思っている。
 だが、彼女達の言い方から察するに、事態はそう簡単なものでもないらしい。

「ここからは噂の域を出ない話になります。あの御方はその……水魔術で女性を妊娠させる技術に精通していると噂されてます。その技術はインキュバスも舌を巻くほどだと……」

 インキュバス……サキュバスから受け取った子種を女に注ぎ込んで望まぬ妊娠をさせる魔族、だったか。それが舌を巻くほどってよっぽどだぞ。

「だが、昨日の今日だぞ? デキたとか分からないだろ」

「だから噂の域を出ないのです。確たる証拠もありませんし、ビショップにそう言った嫌疑をかけることもできません……。ただ、約半年で産まれてくるので何らかの力が加わってるとしか思えないのです」

「それも、奴に接触した者ばかり……か?」

 ロイの問いかけにルフィーナは静かに頷いた。本当はみんな確信をもっている。だけど、手が出せない相手だからせめて噂を流すことしかできない、か。

 貴族ってのは……どうしてこうもクズばかりなんだ。


 ☆☆☆



 体調が安定してきた。帝国の医務官殿は外で話し込んでいる。私の部隊は昼から行軍を始めると言っていたので、そろそろ戻らないといけない。

 起き上がろうと毛布を持ち上げたところ、黒い何かが毛布の中にいて、私は悲鳴を上げようとした。

「────ッ!?」

 何故か声が出ない。毛布の中にいた黒い何かはニュルリと立ち上がり、その姿を私の眼前に晒した。

 頭から黒いシーツを被ったような姿のそれは、最近伝承保管機関から発布された新種【クリミナル】だった。

『ヒトハ ダークエルフヲツクッタ。キンキニフレタ。ユエニ セカイヲ リセットスル』

 身体が動かない、頭に直接声が響いてくる。ダークエルフの誕生なんて、遥か大昔の出来事を言われてもどうしようもない。

 そもそも、たかが新しい種族如きで何を目くじら立てる必要があるだろうか?

『アラタナシュハ サラニアラタナシュトマジワリ ソノハテニアルノハ カミヲモコエル キュウキョクノシュノタンジョウ ソウナレバ セカイハ コワレル』

 仮にそれが事実としても、それこそ遥か未来の話ではないか。私もある程度は聞かされている。お前たち、クリミナルは……過去に敗れた悪性を司る神の残滓だと。

 数が多いだけの有象無象の存在が、ヒトをリセットするなどと大口を叩いたものだ。

『ソウダ ダカラコソ ヒト ノ ジョウホウ ソシテ アラタナ コタイヲ モトメル』

 な、何を言っている! ヒッ!

 黒いクリミナルの身体から触手のようなものが生えて、それが私のヘソにグリグリと押し付けられた。

『ヒト ノ カンジョウ ト ジョウホウ ソシテ アラタナル コタイ ノ タンジョウダ』

 触手の触れた部分から少しずつ同化が始まった。痛みはないが、腹を中心に黒い筋が血管のように全身へと広がり始めた。

 身体を捩って抵抗するも、すでに体内に溶け込んだクリミナルを除去することもできない為、無駄な足掻きでしかない。

 拒絶反応で身体がガクガクと痙攣する。少しずつ自分の身体じゃなくなっていくのを感じる。
 生きたい、もっと生きたかった。こんなことなら、家出してでも自由に生きてみたかった。

 後悔と絶望……それは目尻に一粒の涙となって零れ落ちた。

『オマエハ クイーントナルノダ』

 ヘレナが最期に聞いた声は、冷たくドス黒い声だった。


Tips
ヒト
人間、エルフ、ドワーフ、魔族、その他知性ある存在の総称。
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