日記

岩久 津樹

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日記

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 日記
 
 某日深夜二時。某所の山間にある廃墟を訪れた俺は、左手にハンディカメラを持ちながら恐る恐る玄関を開けた。
 廃墟と言っても朽ち果てているわけではなく、一見すると少し古いだけの何処にでもありそうな二階建ての一軒家だ。ただ、玄関を開けるとカビ臭さが充満している。マスクをしているが、さほど効果は無いようで咳き込んでしまった。
「こんばんは。廃墟ハンターまさしです」
 俺はハンディカメラに向かって一人挨拶をした。動画サイトに載せるためだ。
 大学在学中に趣味で始めた廃墟探索の一部始終を、動画サイトに投稿したところ好評を博し、以来『廃墟ハンターまさし』の名前で四年ほど動画投稿を続けている。おかげで大学卒業後はフリーランスでライターの仕事を少ししながらも、ほぼ動画投稿だけで食べていけるようにはなっていた。
「今宵の廃墟はここ、S県S市にあるとある一軒家です。なんでもこの家、近所でも有名な心霊スポットになっているとか」
 ムードを出すために小さめの声でカメラに向かって話しかけながら、玄関から廊下の方を撮る。玄関には三組の汚れた靴が不自然なほど綺麗に並べられていた。埃まみれではあるが、女性用の靴と男性用のスニーカー、それに革靴が置いてあることは分かる。
 玄関横には靴箱があり、その上には苔だらけの水槽が置いてあった。中を覗いて見たが流石に生き物はいなかった。
 廊下に上がると床が軋んだ。これまでの経験からして、今程度の軋みであれば床が抜ける心配はないと歩みを進めた。
「さて、何か面白いものはあるでしょうか」
 真っ暗な廊下をハンディカメラに取り付けた小型の懐中電灯が照らす。壁にはいくつかの落書きがしてあったが、これらは地元の悪ガキ達が悪戯したものであろう。なんとも稚拙で滑稽な落書きがびっしりと壁を埋め尽くしている。他には変わった様子はなく、左手側にある扉を開けることにした。
「この部屋は……どうやら脱衣所のようですね。こっちにはお風呂場があります」
 脱衣所には洋服が散乱していたが、これは廃墟に忍び込んだ窃盗犯の仕業だろう。恐らくどの部屋も金目の物を探し回った跡があるはずだ。
「ここにも特に面白い物はないですね。他の部屋にも行ってみましょうか」
 期待していたよりも小綺麗で何も見当たらない廃墟に、退屈感を覚えながらも撮影を続ける。話すこともないため、家内を探索しながらこの廃墟の幽霊話しをすることにした。
「この廃墟……と言うよりは廃屋と言った方が正しいでしょうか。とにかくこの廃屋には女の幽霊が出ると近所では有名だそうです。なんでも失踪した夫をこの家で待ち続けた女が、死んでもなお夫を待ち続けているのだとか」
 何処かで聞いたことがあるような怪談話だ。話していてもなんも面白くはない。ただ、時間潰しにはなった。話し終える頃には二階にある部屋にたどり着いていた。
「ここは寝室でしょう。ベッドに化粧台もあります」
 書類や洋服が散乱した部屋を進むと、一冊の床に落ちているノートが目に入った。
「お、これは……日記ですね。名前は動画ではモザイクかけますが、この家の方の物で間違いなさそうです。人様のプライベートを覗き見するようで気が引けますが、視聴者の期待は裏切れません! 読んじゃいます!」
 一人張り切りながら、何処にでもある大学ノートの一ページ目を開いた。
 
 一月一日。
 今日から日記を付けることにした。毎日続けることが私の今年の目標。今日は愛する夫とおせち料理を食べた。「美味しい」と言ってくれて嬉しかった。とくに栗きんとんが美味しかったんだって!
 来月は三年目の結婚記念日。また喜んでもらえるようなプレゼントを用意しなくちゃ!
 
 一月二日。
 夫は今日から仕事。大晦日とお正月しか休みがないなんて大変!
 私は一日中年末に残した大掃除をした!
 以上!
 
 一月三日。
 三日目にして書くことが無くなった。だけど何もない日が一番幸せだよね!
 夕飯に作ったチャーハンが夫に大好評だった。
「母さんのチャーハンに似てる」だってさ。男ってすぐ母親と比べるよね。だけど嬉しかった。
 
 二月四日。
 絵に描いたような三日坊主だった。気付けば一ヶ月も立っていた。しっかりしろ私!
 明日はついに結婚記念日!
 夫にはスニーカーをプレゼントすることにした。夫は革靴を一つ持っているだけで靴には無頓着だから、喜んでくれるか不安だなー。
 
 二月六日。
 昨日は最高の一日だった!
 都内の高級ホテルの最上階にあるレストランを予約してくれて、なんとブランド物の鞄までプレゼンントしてもらえた!
 私があげたスニーカーも喜んでくれたみたいで良かったー。
 早速今朝、会社に履いて行ってくれた。本当に怖いほど幸せ!
 
 二月十四日
 今日はバレンタイン!
 夫と一緒にチョコレートを作った。作ったと言っても溶かして固めただけだけど。
 夫はチョコレートにアンパンマンの顔を描いていたけど、どう見ても化け物だった。そんな不器用なあの人が好きなんだけどね!
 
 三月十四日
 また日記サボっちゃった。反省反省!
 今日はホワイトデーだからと言って夫が夕飯を作ってくれた!
 焦げ焦げのハンバーグと味の薄い味噌汁だったけど世界一美味しかった!
 
 三月十六日
 夫に日記を見られた!
 お風呂上がりに部屋に入ると、床に夫が座っていたから何事かと声をかけたら、「全然日記続いてないじゃん」って笑われた。
 少し怒っちゃったけど許してあげることにした。
 
 三月十七日
 日記は別の場所に隠した。きっとバレないはず!
 今日から夫が三日間の出張だ。寂しくて寂しくて少しだけ泣いた。
 
 三月十八日
 こんなに長い三日間は初めてだ。夜に少しだけ電話をしたけれど、疲れているのか少し不機嫌だった。
 
 三月十九日
 今日も夜に夫に電話をしたら知らない女が出た。すぐに夫に代わって「会社の子がイタズラで出ただけ」と言っていたけど本当かな。
 帰ってきたら問い詰めてやる!
 
 三月二十日
 夫と大喧嘩をした。
 理由は昨日の電話の件。
 私はただ本当に会社の人だったのか聞いただけなのに、「疲れているんだからくだらない事を聞くな」って。
 どこがくだらないんだよ。ばか。
 
 三月二十一日
 夫が謝ってくれた。「昨日はごめん。疲れてたから言い方が冷たくなった。けど、電話の件は本当に会社の子だから、他の社員の奴らに聞いてもらってもいいから」と。
 だけど私の機嫌も悪くって、せっかく謝ってくれたのに喚いて大暴れしてしまった。
 気が付いたら夫は何処かに行ってしまった。ごめんね。謝ってくれたのに許せなくて。だから早く帰ってきて。
 
 三月二十二日
 夫はまだ帰ってこない。会社に電話をしたが出社していないらしい。夫の実家にも電話をしたがやはり帰っていないらしい。
 私は昨夜から一睡もできなかった。
 お願いだから早く帰ってきて。
 
 四月一日
 まだ夫は帰ってきていない。もう一週間以上経つ。
 今日はエイプリルフールだけど、夫がいなくなったことも嘘だったらいいのに。
 
 四月十五日
 ごめんね。私がいけないの。どうしてあの日あんなに声を荒げてしまったんだろう。どうして夫を信じてやれなかったのだろう。どうして……どうして……。
 
 四月十六日
 まだ夫は帰ってきていない。私はとにかく待ち続けることしかできなかった。あれからろくに食事も喉を通らない。そのおかげで痩せてきた。少しは綺麗になったかな。なんて考えてしまって一人笑った。
 ああ、早く帰ってきて。お願い。
 
 五月五日
 どうして夫は帰ってこないの?
 
 五月十日
 夫の居場所が分かった。分かったと言うよりは思い出したと言った方が正しい。
 早くあなたに会いたい。居場所も分かっているのに会えないなんて、私たち織姫と彦星みたいね。
 
 五月十五日
 思い返せば夫に日記を見られた日を境に何かが変わった気がする。
 もしあの日、日記を見られたことに対して怒らなければ、今まで通りの幸せな日々は続いていただろうか。
 お願い神様。あの日みたいにこの部屋の床に座って私の日記を読んで笑う夫に会わせて。
 
 五月二十日
 どうして思いつかなかったのだろうか。居場所が分かっているなら私から会いに行けば良かったのだ。
 
 日記はここで終わっていた。
「いやー、変な日記でしたね。旦那さんが一体どこに消えてしまったのでしょうか。それにしても、こんな日記があるってことは怪談話にも真実味が帯びてきましたね」
 俺は分かっていた。日記の中の夫の居場所を。そして妻の行方を。
 まず最初におかしいと思った点が、玄関にある三組の靴だ。
 もし本当に夫が何処に失踪したのであれば、靴は一組無くなっているはずだ。日記の中では確かに夫は革靴とスニーカーしか持っていないことが記述されている。
 それに日記の中の妻は、夫が失踪したにも関わらず警察に通報したような記述がない。それどころか三月二十二日を最後に他の人間と話をした様子もないのだ。つまり妻はこの家で一人で夫を待ち続けていたと言うことだ。
 妻が帰りを待っていたのは生身の夫ではなく幽霊の夫だ。恐らく三月二十一日に妻は夫を殺害してしまったのだろう。死体はきっとこの家の庭にでも埋めて、五月十日までは自分が殺してしまった事実を忘れるほどに精神に異常をきたしてしまったのだ。
 そして五月二十日。妻は夫に会いに……つまりは自ら命を絶ったということだろうか。
「ははっ、なーんて考察はどうでしょうか!」
 俺は自らの考察をカメラに向かって笑いながら話した。
『お願い神様。あの日みたいにこの部屋の床に座って私の日記を読んで笑う夫に会わせて。』
 不意に日記の一文が頭をよぎった。今の俺の状況はまさしく日記に記載のある状況ではないか。
 突然に不安感が押し寄せた。嫌な汗も頬を伝う。何故だか今は絶対に後ろを振り返ってはいけない気がする。
 今すぐ帰ろう。この動画はお蔵入りにしよう。そうだ、久しぶりにあいつに電話してみようか。それで飯でも行って今日の話をしてやろう。
 頭の中で必死に関係のないことを思考する。しかし不安感は一切消える様子がない。
 とにかく走って帰ろう。
 そう心に決めたその刹那、俺の耳元で確かに誰かが囁いた。
「やっと会えた」
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