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冷静沈着なインテリ眼鏡騎士の女難。
皇帝陛下を警護し、私室まで送り届けたノーザンは訓練場に向かった。
午前の兵士達の訓練は終了しており、訓練場の隣に作られた兵士用の食堂が鍛錬を終えて腹を空かせた兵士達で賑わっていた。
皆から母の様に慕われている料理人バネッサの、威勢が良く明るい声が聞こえる。
今朝目を覚ましてから身体を疲弊させる程動かしていないノーザンは空腹でもなく、食堂には入らずに兵舎の脇にある屋外の休憩所に来た。
この場は芝生で覆われた広場で、訓練が終わった後の兵士達が半裸で昼寝をしたり、談笑したりする場として使われる。
兵士以外も立ち入りは自由で、若い兵士と城内でお付き合いをしている侍女の恋人が差し入れを持って来たりなんて事もあったりする。
今はほとんどの兵士が食堂に殺到している様で、芝生の広場は人があまり居らず読書にはもってこいてな程に静かだった。
ノーザンが木陰に腰を下ろして本を開くまでは。
「ノーザン様!わたし、ノーザン様のお好きな果実を使ったお酒を持って来ましたのよ!」
「ワタクシはノーザン様のお好きな鶏を蒸した物を挟んだパンをお持ちしましてよ!」
「いえ、ノーザン様、わたくしは…!!」
兵士以外も立ち入る事の出来るこの場に、珍しく一人でいるノーザンの姿を見掛けた女性陣が、これはチャンスだとばかりにハイエナの様にノーザンに群がった。
恋する女性達の剣幕と、その逞しさが苦手なノーザンはその場から逃げ出したかったが、木を背に腰を下ろした状態で上から女性達に覗き込む様に囲まれてしまい、立ち上がる事も出来ない。
「いや…あの、お嬢様がた…私は貴族でもない、しがない兵士の一人ですし…私なんかより…もっと良い方が…。」
たじたじになりながら、目をギラつかせた女性陣に何とか落ち着いて貰いたいと冷静になるよう諭すノーザンだが、ノーザンは自身が女性達にとって優良物件である事に気付いてなかった。
平民の出身であるノーザンは、騎士爵を与えられているが貴族ではない。
だが、貴族である近衛隊長の腹心の部下で副隊長を任されており、皇帝陛下からの覚えも良い。
この先、叙爵され貴族となる可能性が高く、まだ平民の今なら同じく平民出身の娘も婚姻関係を結び易いし、下級貴族の娘達にとっても、見目麗しく勤勉でありながらも自己主張の強くないノーザンは、夫にするには色々と都合が良く、ツバを付けておきたい相手となる。
にじり寄る女性陣に囲まれ逃げ場を失ったノーザンの耳に、聞き慣れた声が届いた。
「いくら優秀な騎士であるノーザン様でも、一度に皆様のお相手をするのは無理ですわよ。
だからノーザン様が選ぶのです。
ここの皆様がたがノーザン様をお喜びさせたいとお届けになられた数々の品。
その中から、ノーザン様が一番嬉しく思ったモノをお届け下さった方とならば二人きりのお時間を作れますと。」
ノーザンを取り囲んだ女性達が声のした方に一斉に目を向ける。
そこには無造作な三編みに眼鏡をかけ侍女服に身を包んだミーシャが、ぬぼーんと立っていた。
新たなライバル出現か!?と声の主を見てみれば、何とも冴えない見てくれの侍女の登場に、女性らしく身なりを整えた女性達はハんッと勝ち誇った様な、安堵と嘲笑にも似た笑いを溢した。
「み、ミーシャ嬢…」
「ノーザン様、覚悟をお決め下さい。
この場を逃れる為だけに本心を偽るのは無しですわよ?
それに、どれも選べないなんてのもかえって皆様に失礼です。
ちゃんと選んで下さい。
ノーザン様が、貢がれて嬉しかった物を。」
「貢がれてって………。」
ノーザンは今まで誰かに何かを貢いで欲しいなんて思った事も無い。
まして、こんな下心だらけのプレゼントなど、むしろ受け取りたくない。
助け舟を出してくれたのだと思ったミーシャは、「父がノーザン様を呼んでますわ」とか言って、ここから自分を逃してくれるのかと思ったのに…。
どれもこれも不必要で、選べないモノの中から、無理矢理マシなモノを選べという。
そうでないと納得させられないと。
助けるどころか、答えを出すまで解放させないと逃げ場を失わされた。
ノーザンは溜め息をついて、改めて女性陣の持ち寄った貢ぎ物と言う名の品を見ていった。
それなりに好きな果実にしなくても良い加工をした果実酒……
空腹ならば美味しく頂けるが、今は胸焼けしそうな蒸し鶏のサンド……
巷で噂だそうだが口にしたいとも思わないナッツ菓子……
若い兵士の間で人気だそうだが全く必要の無い革の手袋など……
正直な所、どれもこれもいらん!!!
選べるか、こんな中から貰って嬉しい物なんか!
ノーザンは額に手を当て項垂れ、大きな溜め息をついた。
「ノーザン様、これは私からの貢ぎ物ですわ。
私はこれを贈りますので、今日の午後を私と過ごして下さいませ。」
ミーシャは侍女服のスカートについたポケットから一冊の本を取り出してノーザンに、差し出した。
「昨日発売の王国騎士物語の2巻ですわ。
カーキとフォーンが活躍しますわよ。
何とこの本、作者のガルバンゾー先生の直筆サイン入りですの。」
「ええッ!!
もう、近場では売り切れて手に入らなかった幻の2巻!
ガルバンゾー先生のサイン入り!?
そ、それ、下さいぃ!!!」
項垂れて腰を抜かした様に木の根元でへたり込んでいたノーザンが顔を上げ、シュタッと勢いよく立ち上がった。
「……という訳で皆様、ノーザン様の本日の予定は埋まってしまいましたわ。
皆様は、また別の機会にノーザン様に逢瀬を申し込んで下さい。」
ノーザンの手に本を渡したミーシャが、ぬぼーんとした表情のまま皆に向けペコリと頭を下げた。
ノーザンの服の袖を右手の指先で摘んでクイッと引っ張り、ミーシャはノーザンを連れてその場を離れようとした。
ノーザンに詰め寄っていた一人の令嬢が、立ち去ろうとしたミーシャの左手首を無遠慮に掴む。
「待ちなさい!!侍女風情が偉そうに仕切って何様のつもりなの!?
ノーザン様を渡しなさい!
ワタクシが誰だが分かっているの!?ワタクシは男爵家の……」
「渡しなさいって、ノーザン様は物ではありませんよ。」
ミーシャは掴まれた腕を振り払い、左手指先を鼻筋の上にやって眼鏡をクイと上げた。
「貴女が誰かなんて知りません。
こんな無礼を働くなんて、貴女も私が誰かを知らないのでしょう?
陛下に直々にお声掛けされてお城で侍女をやっている、伯爵令嬢なのだとは。」
ミーシャは眼鏡の奥で不躾な令嬢をキッと睨んだ。
「えっ…!伯爵令嬢……し、失礼を致しました…」
令嬢は慌てる様にミーシャから手を離し、他の女性達も萎縮して静かになった。
令嬢らしい教育を一切受けていないミーシャは自身を伯爵令嬢だなんて思ってはいないが、伯爵の地位を持つガインの娘なのだから一応は伯爵令嬢だ。
これは意外に使えるとミーシャがニヤリとほくそ笑む。
「ミーシャ嬢…すまない、助かったよ…。生きた心地がしなかった…。」
「助けたつもりはありませんの。
私、ノーザン様を困らせるお願いをしに参ったんですもの。」
ノーザンの袖を摘んだまま、兵舎脇の芝生の休憩所から城に来たミーシャは、ノーザンを引っ張る様にして城内を歩き続けた。
「私を困らせる?ミーシャ嬢は私をどこへ連れて行くつもりだい?」
女性が苦手なノーザンではあるが、ノーザンにとってミーシャは苦手意識が一切働かない唯一の女性だ。
女性らしくないからというのもあるが、ノーザンにはミーシャからの距離感がちょうど良い。
「私の部屋です。今日は私がノーザン様を独占しましたもの。
結婚を前提にした、お付き合いを……
いわゆるイチャイチャをしませんと、あの令嬢達に申し訳が立ちませんんから。」
「イチャイチャ!?み、ミーシャ嬢と私が!?」
ミーシャに渡された本を大事に胸に当てる様に持ったノーザンの顔が青くなり、すぐに赤くなった。
女性が苦手なノーザンではあるが、女性を嫌いなワケでもない。
興味を持てる様な女性に巡り合う機会が無かっただけで、独身主義なワケでもない。
━━そう言えば…私はミーシャ嬢と共に居たり、彼女に触れる事に嫌悪感は無い。
隊長が国境で怪我をしたと聞いた時も、ミーシャ嬢を支えてやらねばと心から思った……
彼女とならば、私は…………━━
皇帝の部屋の並びにあるミーシャの部屋。
先ほど皇帝陛下を私室まで送り届けたばかりのノーザンが再び皇帝陛下の部屋の前を通る。
そして案内されたミーシャの部屋。
うら若き乙女の私室に呼ばれ、二人きりになると言う事は……
ミーシャ嬢はイチャイチャせねばと言った。と言う事は……
好き合う男女がするような、そういう事も多少は許されるのだろうか……
そんな考えが浮かんだノーザンの顔が赤くなる。
「ノーザン様、どうぞ。」
「それでは…」
ドアが開かれ中に案内される。
普段クールなノーザンが明らかに動揺し、ガチガチになりながらミーシャの部屋に足を踏み入れた。
「おかえり、ノーザン。」
ミーシャの部屋の小さなテーブルにつき、紅茶を飲みながら、にこやかに微笑むキリアン皇帝がノーザンに声を掛けた。
「……………えっ?」
ミーシャの部屋に数歩入った所でノーザンの足が止まった。
状況が飲み込めずに困惑するノーザンの背後で、バタン、ガチャッとドアが閉められ鍵が掛けられる。
前門の狼、後門の虎な状況に陥ったノーザンは前にも後ろにも進む事が出来ず、硬直したように身動きが取れなくなってしまった。
茶を飲み干したキリアンがテーブルの上にカップをコトリと置く。
「さぁノーザン。洗いざらい吐いて貰おうか。」
「じっ尋問ですか!?一体何の!!
まさか皇帝陛下暗殺未遂に関与しているとか思われてませんよね!?」
普段冷静なノーザンが珍しく慌てふためいている。
今日一日、数年分の感情の起伏を使ったんじゃないかって程、ノーザンは色んな思いをさせられた。
さっきまではミーシャ嬢と二人きりになるのだと、この歳になって初めて女性に対し胸が高鳴る思いをした。
そのドキドキが、今は処刑待ちの罪人の様な恐怖のドキドキに変わってしまっている。
「そんな事、思うわけ無いじゃないですか。
私達が聞きたいのは、ノーザン様がパパとキリお兄ちゃんとの関係を正しく把握しているかどうかです。
毎回、匂わせ振りな事を言ってましたでしょう?ノーザン様は。」
「パ…パパ?キリお兄ちゃ……おふっ!!」
ミーシャはノーザンの背後から、ガツッと乱暴に椅子をぶつけた。
不意をつかれて膝カックン状態になったノーザンは、椅子にドサッと派手に腰を落とし、ミーシャはノーザンが腰掛けた椅子をガガガガッと力任せに押してキリアンと向かい合わせるようにテーブルにつかせた。
テーブルに両肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せたキリアンが向かい側に座ったノーザンにニイッと目を細めて笑んだ。
「単刀直入に訊ねよう。ノーザン、お前は
ガインが俺の妻だと知っているな?」
━━……これ、知ってますと正直に答えたら処刑?
いや、知りませんでしたと答えた所で、陛下自ら隊長を「妻」だと、その立場を肯定して訊ねてらっしゃる。
今、知ってしまった事になってもやはり処刑?━━
「ノーザン様が陛下の問いに狼狽えるなんて……
それに珍しい表情をなさってますわね。汗が凄いですわよ。」
「……わ、私は……知っておりました。
何らかの情報を見聞きして確証を得た訳では御座いませんでしたが。
以前より陛下の隊長への愛しき者に向けるべく眼差しには気付いておりましたし、皇太子殿下であった頃には切なげに隊長を見るお姿も……」
ミーシャに渡されたハンカチで汗を拭いながら、下手に隠すのは却って良くないとノーザンは正直に話す事にした。
冷静になって考えてみれば処刑なんて事は無いだろうが、この先自分にどのような処分が下るかが分からない。
秘密を知る者は城には居させられないと、地方の砦に行けと言われるかも知れない。
「ほう、そんな以前から俺がガインを好きだと知っていたのか……
だとして、なぜ今、俺とガインが結ばれたと知った?
しかもガインが妻の立場で。」
「………見ていれば分かりますが。特に隊長。
分かり易すぎて……以前は絶対にする事の無かった顔…。
何て言いますか、初恋が実ったばかりのうぶな少女の様な表情をしたりするでしょう?」
ミーシャとキリアンが「それな!!」と言わんばかりに同時にノーザンを指差した。
午前の兵士達の訓練は終了しており、訓練場の隣に作られた兵士用の食堂が鍛錬を終えて腹を空かせた兵士達で賑わっていた。
皆から母の様に慕われている料理人バネッサの、威勢が良く明るい声が聞こえる。
今朝目を覚ましてから身体を疲弊させる程動かしていないノーザンは空腹でもなく、食堂には入らずに兵舎の脇にある屋外の休憩所に来た。
この場は芝生で覆われた広場で、訓練が終わった後の兵士達が半裸で昼寝をしたり、談笑したりする場として使われる。
兵士以外も立ち入りは自由で、若い兵士と城内でお付き合いをしている侍女の恋人が差し入れを持って来たりなんて事もあったりする。
今はほとんどの兵士が食堂に殺到している様で、芝生の広場は人があまり居らず読書にはもってこいてな程に静かだった。
ノーザンが木陰に腰を下ろして本を開くまでは。
「ノーザン様!わたし、ノーザン様のお好きな果実を使ったお酒を持って来ましたのよ!」
「ワタクシはノーザン様のお好きな鶏を蒸した物を挟んだパンをお持ちしましてよ!」
「いえ、ノーザン様、わたくしは…!!」
兵士以外も立ち入る事の出来るこの場に、珍しく一人でいるノーザンの姿を見掛けた女性陣が、これはチャンスだとばかりにハイエナの様にノーザンに群がった。
恋する女性達の剣幕と、その逞しさが苦手なノーザンはその場から逃げ出したかったが、木を背に腰を下ろした状態で上から女性達に覗き込む様に囲まれてしまい、立ち上がる事も出来ない。
「いや…あの、お嬢様がた…私は貴族でもない、しがない兵士の一人ですし…私なんかより…もっと良い方が…。」
たじたじになりながら、目をギラつかせた女性陣に何とか落ち着いて貰いたいと冷静になるよう諭すノーザンだが、ノーザンは自身が女性達にとって優良物件である事に気付いてなかった。
平民の出身であるノーザンは、騎士爵を与えられているが貴族ではない。
だが、貴族である近衛隊長の腹心の部下で副隊長を任されており、皇帝陛下からの覚えも良い。
この先、叙爵され貴族となる可能性が高く、まだ平民の今なら同じく平民出身の娘も婚姻関係を結び易いし、下級貴族の娘達にとっても、見目麗しく勤勉でありながらも自己主張の強くないノーザンは、夫にするには色々と都合が良く、ツバを付けておきたい相手となる。
にじり寄る女性陣に囲まれ逃げ場を失ったノーザンの耳に、聞き慣れた声が届いた。
「いくら優秀な騎士であるノーザン様でも、一度に皆様のお相手をするのは無理ですわよ。
だからノーザン様が選ぶのです。
ここの皆様がたがノーザン様をお喜びさせたいとお届けになられた数々の品。
その中から、ノーザン様が一番嬉しく思ったモノをお届け下さった方とならば二人きりのお時間を作れますと。」
ノーザンを取り囲んだ女性達が声のした方に一斉に目を向ける。
そこには無造作な三編みに眼鏡をかけ侍女服に身を包んだミーシャが、ぬぼーんと立っていた。
新たなライバル出現か!?と声の主を見てみれば、何とも冴えない見てくれの侍女の登場に、女性らしく身なりを整えた女性達はハんッと勝ち誇った様な、安堵と嘲笑にも似た笑いを溢した。
「み、ミーシャ嬢…」
「ノーザン様、覚悟をお決め下さい。
この場を逃れる為だけに本心を偽るのは無しですわよ?
それに、どれも選べないなんてのもかえって皆様に失礼です。
ちゃんと選んで下さい。
ノーザン様が、貢がれて嬉しかった物を。」
「貢がれてって………。」
ノーザンは今まで誰かに何かを貢いで欲しいなんて思った事も無い。
まして、こんな下心だらけのプレゼントなど、むしろ受け取りたくない。
助け舟を出してくれたのだと思ったミーシャは、「父がノーザン様を呼んでますわ」とか言って、ここから自分を逃してくれるのかと思ったのに…。
どれもこれも不必要で、選べないモノの中から、無理矢理マシなモノを選べという。
そうでないと納得させられないと。
助けるどころか、答えを出すまで解放させないと逃げ場を失わされた。
ノーザンは溜め息をついて、改めて女性陣の持ち寄った貢ぎ物と言う名の品を見ていった。
それなりに好きな果実にしなくても良い加工をした果実酒……
空腹ならば美味しく頂けるが、今は胸焼けしそうな蒸し鶏のサンド……
巷で噂だそうだが口にしたいとも思わないナッツ菓子……
若い兵士の間で人気だそうだが全く必要の無い革の手袋など……
正直な所、どれもこれもいらん!!!
選べるか、こんな中から貰って嬉しい物なんか!
ノーザンは額に手を当て項垂れ、大きな溜め息をついた。
「ノーザン様、これは私からの貢ぎ物ですわ。
私はこれを贈りますので、今日の午後を私と過ごして下さいませ。」
ミーシャは侍女服のスカートについたポケットから一冊の本を取り出してノーザンに、差し出した。
「昨日発売の王国騎士物語の2巻ですわ。
カーキとフォーンが活躍しますわよ。
何とこの本、作者のガルバンゾー先生の直筆サイン入りですの。」
「ええッ!!
もう、近場では売り切れて手に入らなかった幻の2巻!
ガルバンゾー先生のサイン入り!?
そ、それ、下さいぃ!!!」
項垂れて腰を抜かした様に木の根元でへたり込んでいたノーザンが顔を上げ、シュタッと勢いよく立ち上がった。
「……という訳で皆様、ノーザン様の本日の予定は埋まってしまいましたわ。
皆様は、また別の機会にノーザン様に逢瀬を申し込んで下さい。」
ノーザンの手に本を渡したミーシャが、ぬぼーんとした表情のまま皆に向けペコリと頭を下げた。
ノーザンの服の袖を右手の指先で摘んでクイッと引っ張り、ミーシャはノーザンを連れてその場を離れようとした。
ノーザンに詰め寄っていた一人の令嬢が、立ち去ろうとしたミーシャの左手首を無遠慮に掴む。
「待ちなさい!!侍女風情が偉そうに仕切って何様のつもりなの!?
ノーザン様を渡しなさい!
ワタクシが誰だが分かっているの!?ワタクシは男爵家の……」
「渡しなさいって、ノーザン様は物ではありませんよ。」
ミーシャは掴まれた腕を振り払い、左手指先を鼻筋の上にやって眼鏡をクイと上げた。
「貴女が誰かなんて知りません。
こんな無礼を働くなんて、貴女も私が誰かを知らないのでしょう?
陛下に直々にお声掛けされてお城で侍女をやっている、伯爵令嬢なのだとは。」
ミーシャは眼鏡の奥で不躾な令嬢をキッと睨んだ。
「えっ…!伯爵令嬢……し、失礼を致しました…」
令嬢は慌てる様にミーシャから手を離し、他の女性達も萎縮して静かになった。
令嬢らしい教育を一切受けていないミーシャは自身を伯爵令嬢だなんて思ってはいないが、伯爵の地位を持つガインの娘なのだから一応は伯爵令嬢だ。
これは意外に使えるとミーシャがニヤリとほくそ笑む。
「ミーシャ嬢…すまない、助かったよ…。生きた心地がしなかった…。」
「助けたつもりはありませんの。
私、ノーザン様を困らせるお願いをしに参ったんですもの。」
ノーザンの袖を摘んだまま、兵舎脇の芝生の休憩所から城に来たミーシャは、ノーザンを引っ張る様にして城内を歩き続けた。
「私を困らせる?ミーシャ嬢は私をどこへ連れて行くつもりだい?」
女性が苦手なノーザンではあるが、ノーザンにとってミーシャは苦手意識が一切働かない唯一の女性だ。
女性らしくないからというのもあるが、ノーザンにはミーシャからの距離感がちょうど良い。
「私の部屋です。今日は私がノーザン様を独占しましたもの。
結婚を前提にした、お付き合いを……
いわゆるイチャイチャをしませんと、あの令嬢達に申し訳が立ちませんんから。」
「イチャイチャ!?み、ミーシャ嬢と私が!?」
ミーシャに渡された本を大事に胸に当てる様に持ったノーザンの顔が青くなり、すぐに赤くなった。
女性が苦手なノーザンではあるが、女性を嫌いなワケでもない。
興味を持てる様な女性に巡り合う機会が無かっただけで、独身主義なワケでもない。
━━そう言えば…私はミーシャ嬢と共に居たり、彼女に触れる事に嫌悪感は無い。
隊長が国境で怪我をしたと聞いた時も、ミーシャ嬢を支えてやらねばと心から思った……
彼女とならば、私は…………━━
皇帝の部屋の並びにあるミーシャの部屋。
先ほど皇帝陛下を私室まで送り届けたばかりのノーザンが再び皇帝陛下の部屋の前を通る。
そして案内されたミーシャの部屋。
うら若き乙女の私室に呼ばれ、二人きりになると言う事は……
ミーシャ嬢はイチャイチャせねばと言った。と言う事は……
好き合う男女がするような、そういう事も多少は許されるのだろうか……
そんな考えが浮かんだノーザンの顔が赤くなる。
「ノーザン様、どうぞ。」
「それでは…」
ドアが開かれ中に案内される。
普段クールなノーザンが明らかに動揺し、ガチガチになりながらミーシャの部屋に足を踏み入れた。
「おかえり、ノーザン。」
ミーシャの部屋の小さなテーブルにつき、紅茶を飲みながら、にこやかに微笑むキリアン皇帝がノーザンに声を掛けた。
「……………えっ?」
ミーシャの部屋に数歩入った所でノーザンの足が止まった。
状況が飲み込めずに困惑するノーザンの背後で、バタン、ガチャッとドアが閉められ鍵が掛けられる。
前門の狼、後門の虎な状況に陥ったノーザンは前にも後ろにも進む事が出来ず、硬直したように身動きが取れなくなってしまった。
茶を飲み干したキリアンがテーブルの上にカップをコトリと置く。
「さぁノーザン。洗いざらい吐いて貰おうか。」
「じっ尋問ですか!?一体何の!!
まさか皇帝陛下暗殺未遂に関与しているとか思われてませんよね!?」
普段冷静なノーザンが珍しく慌てふためいている。
今日一日、数年分の感情の起伏を使ったんじゃないかって程、ノーザンは色んな思いをさせられた。
さっきまではミーシャ嬢と二人きりになるのだと、この歳になって初めて女性に対し胸が高鳴る思いをした。
そのドキドキが、今は処刑待ちの罪人の様な恐怖のドキドキに変わってしまっている。
「そんな事、思うわけ無いじゃないですか。
私達が聞きたいのは、ノーザン様がパパとキリお兄ちゃんとの関係を正しく把握しているかどうかです。
毎回、匂わせ振りな事を言ってましたでしょう?ノーザン様は。」
「パ…パパ?キリお兄ちゃ……おふっ!!」
ミーシャはノーザンの背後から、ガツッと乱暴に椅子をぶつけた。
不意をつかれて膝カックン状態になったノーザンは、椅子にドサッと派手に腰を落とし、ミーシャはノーザンが腰掛けた椅子をガガガガッと力任せに押してキリアンと向かい合わせるようにテーブルにつかせた。
テーブルに両肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せたキリアンが向かい側に座ったノーザンにニイッと目を細めて笑んだ。
「単刀直入に訊ねよう。ノーザン、お前は
ガインが俺の妻だと知っているな?」
━━……これ、知ってますと正直に答えたら処刑?
いや、知りませんでしたと答えた所で、陛下自ら隊長を「妻」だと、その立場を肯定して訊ねてらっしゃる。
今、知ってしまった事になってもやはり処刑?━━
「ノーザン様が陛下の問いに狼狽えるなんて……
それに珍しい表情をなさってますわね。汗が凄いですわよ。」
「……わ、私は……知っておりました。
何らかの情報を見聞きして確証を得た訳では御座いませんでしたが。
以前より陛下の隊長への愛しき者に向けるべく眼差しには気付いておりましたし、皇太子殿下であった頃には切なげに隊長を見るお姿も……」
ミーシャに渡されたハンカチで汗を拭いながら、下手に隠すのは却って良くないとノーザンは正直に話す事にした。
冷静になって考えてみれば処刑なんて事は無いだろうが、この先自分にどのような処分が下るかが分からない。
秘密を知る者は城には居させられないと、地方の砦に行けと言われるかも知れない。
「ほう、そんな以前から俺がガインを好きだと知っていたのか……
だとして、なぜ今、俺とガインが結ばれたと知った?
しかもガインが妻の立場で。」
「………見ていれば分かりますが。特に隊長。
分かり易すぎて……以前は絶対にする事の無かった顔…。
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