夜紅譚

黒蝶

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第7章『十五夜の戯れ』

第55話

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「みんなにちょっと手伝ってほしいことがあるんだ」
消された人間が戻ってきたのを確認した後、インカムで呼びかける。
『未解決ってことですか?』
「そうじゃない。実は…」
…そして、その夜。
「なんでこんなところで、」
「演舞の練習中なので静かにお願いします」
「あ、ああ…」
「写真撮ったらバズるかな?」
「本人が嫌がるから撮影禁止だ。護れないなら帰ってください」
他のみんなと協力して、いすゞの舞を邪魔させないようにした。
必死に舞う姿はやはりこの世のものとは思えないほど美しく、見惚れる人間が現れるのも頷ける。
だが、今回失敗すればその分降りかかる災厄はとんでもない量になるだろう。
《…終わった》
「お疲れ。これ、よかったら飲んでくれ」
《…随分な変わり者もいたものだ》
そう言いながらも、いすゞはお茶を受け取ってくれた。
先生から聞いた話とは少しずれるけど、どうしても伝えたいことがある。
「…いすゞ」
《なんだ?》
「これはあくまで私の勝手な想像だけど、いすゞの字ってこう書くんじゃないか?」
木の枝で地面に五十の鈴と書くと、いすゞはとても驚いた顔をしていた。
「一節によると、この場合の鈴には幸福という意味がくわわるといわれているらしいんだ。
だからきっと、おまえの面倒を見てくれた人は幸せになってほしかったんだと思う」
《幸せ…》
まだしっくりこないようで、そう小さく呟く。
それもそうだ。呪いのような意味だと思ったものが愛情そのものだったんだから。
「少なくとも、私はそう考えた」
《誰かの幸せ…そうか、そうだったらいいな…》
少しだけ明るくなったいすゞの表情を見て安心した。
自分なんかどうなってもいいという自棄が消えた気がしたから。
《私はそろそろ還るとしよう。他の者にも礼を伝えておいてくれ》
「分かった。また会おう」
《妖相手にそんな事を言うのか。…面白い奴だな》
いすゞは風にのってどこかへ消えてしまった。
あれほど騒いでいた人間たちも主役がいなくなったことに気づき、次々解散していく。
「お疲れ様でした」
「みんなもお疲れ。あと、手伝ってくれてありがとう」
「それにしても、めちゃくちゃ綺麗でしたね」
「…ああ、私もそう思う」
普段視えない人間にも視えていたのは、おそらく広まった噂と融合しかけていたからだろう。
もし来年以降同じようなことがあったとしても、視られるのは私たちだけだ。
「貴重な経験だったな」
「ですね!」
陽向はとても明るく笑っていて、近くにいる桜良も楽しそうだ。
周りに残った人々を照らすように、ほぼ丸くなった月に優しく見守られている気がした。
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