夜紅譚

黒蝶

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第13章『聖夜の贈り物』

第110話

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『すぐ向かいます』
「駄目だ」
『狂った人間相手に無茶ですって!』
「無理でも無茶でもやるしかない」
せめて簪だけでも渡せないか考えていると、誰かが私と狂気に染まった人間の間に立つ。
「結月…」
「私も戦えないけど、いないよりマシでしょ?」
「頼む。この簪を護って女性に返してあげてほしい」
結月は大きなため息をひとつ吐き、ふたつ返事で引き受けてくれた。
「仕方ないわね。…これ以上怪我増やさないようにしなさいよ」
「ありがとう。穂乃と白露にかいつまんで事情を説明してあるから、一緒に持っていってくれ」
猫耳少女はそのまま走る。
目の前にいるただの人間は、やはり理性が吹き飛んでいるようだった。
「ねえ、あなたもこっち側になろうよ」
「こっちってどっちだ?」
「惚けないで。こっち側は楽しいの!」
カッターナイフをふりまわしながら、愉しそうに話し続ける。
「我慢しなくていい。自分が思ったようにならなかったら従わせればいい。
そうしていれば、ストレスからも解放される!素晴らしいと思わない?」
「……」
周囲に札を投げ、カッターを持った腕を掴む。
そして、その体を抱きしめた。
「ちょっと、何するの…」
「それだけ苦しみを抱えてきたんだな」
「今更そんなこと言われても、なびいたりしないよ?」
「それでもいい。けど、誰かを傷つける覚悟がないなら刃物を置いてほしい。
…君を苦しませた人間はどうにか見つけるから、頼ってくれないか?」
少女の体が震え、力が抜ける。
刃が腕に傷をつけたが、そんなことは気にしていられない。
「……もう、いいの。私が頑張る理由はなくなったから。どんな理不尽にも耐えられたのは、お母さんがいてくれたから。
でも、もういない。ひとりぼっちは寂しいよ。お母さんがいないなら、生きてる意味がない」
「大切な人に死なれるのは辛いよな。全部意味がないように感じてしまう。
だけど、これだけは覚えておいてくれ。…君を大切に思っている人がかならずいるってこと」
「大切……」
少女はそのまま倒れこみ、それと同時に真っ黒な着物を纏った少女が現れた。
《何故邪魔をする?》
「邪魔したつもりはないよ。簪を探してるんだろ?それがどういう経緯か知らないが、人間を暴走させた」
《あの人さえいれば、それでイイ!》
狂ったように攻撃してくる少女のことを怖いとは思わない。
背後に気配を感じ、攻撃を避けたところで叫んだ。
「白露!」
周囲には風が吹き荒れ、少女は身動きがとれない状態になる。
《ナニヲ……》
「探しものはこれだろ?」
簪を見せると、少女ははっとした顔でこちらを見る。
《私の、簪…》
「見つけたんだ。だからもう、誰かを憎んで自分を削るような真似はやめろ」
《あ、あの人からの…そう、もういいのね…》
少女はそれだけ呟くと、簪を手に姿を消した。
「ありがとうふたりとも。助かったよ」
「お姉ちゃん…」
休みたいところだが、これからやることが山積みだ。
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