クラシオン

黒蝶

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月下の芙蓉

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「逃げてきた、とは?」
一瞬その言葉の意味が分からず、そのまま呆然と立ち尽くしてしまう。
「本来であれば、今夜は婚礼の顔合わせだったはずなのです。しかし、私は愛がない形だけの婚姻は無意味だと思っています。
...マスター、あなたはどうお考えですか?」
芙蓉妃相手に嘘を吐いても仕方がない。
非難されるのを承知で淡々と考えを述べた。
「俺には、恋や愛というものが分かりません。...ただ、そういった感情がなく形だけだったなら、いつかきっと壊れてしまうのではないかと」
「...成程。そうですね」
「あとは、相手の方とお話するのがいいと思います。...自分の気持ちに蓋をして結ばれる縁など、きっといいものではありませんから」
彼女ははっとしたように顔をあげる。
嫌なことは嫌だと言っても構わないのだと、彼女は考えたこともなかったのだろう。
他の妖精たちを困らせないように自分が我慢すればと思ったのかもしれない。
...だが、それでは駄目なのだ。
「我慢しすぎれば、いつか自分自身を壊すことになりますよ」
「こんな単純なことにも気づけないなんて、私は本当に馬鹿ね。
ありがとう。一旦話をしてみます」
砂時計の砂はもうすでに落ちきっている。
時間はそれほど残されていないということか、悩みが晴れたからなのか。
「どうして杖を使っているのか、と尋ねても失礼になりませんか?」
「私の羽は、月光を浴びなければただ羽ばたくことさえ難しいからです。一種の病のようなものらしいのですが、詳しいことは分かりません」
そこから先を訊いてしまってもいいものかと悩んでいると、こつこつと窓をたたく音がする。
外を見てみると、そこにはシルキーが迎えにきていた。
「姫様。もしお見合いがお嫌でしたら、」
「嫌というよりは、私には大切な人がいるのです。私が舞いの練習をしていたのは、その方に捧げたいからであって...」
話している彼女たちの背中に、いつもどおりの言葉をかける。
「ありがとうございました。...迷った際は、またのお越しをお待ちしております」
ふたりが歩く道を、柔らかな月光がいつまでも照らしていた。
片づけを済ませ、ポケットに仕舞った砂時計をただ見つめる。
『困ったときはこれを道しるべにするんだ。砂時計は嘘を吐かないからね。
俺の宝物だけど、これは──にあげよう。これから先、君に必要になるはずだから』
...どうしてあなたは俺にこれを託してくれたんですか。
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