皓皓、天翔ける

黒蝶

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第3章『迷子』

第16話

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「あの、氷雨君」
「どうかした?」
「…ごめんなさい」
「なんで謝るの?」
「対応があれでよかったのか分からない。それから、あの車掌さんに嫌な思いをさせちゃったなって…」
忘れ物がないか確認しながら車両をまわって、誰もいないことを確認して氷雨君に話しかけた。
砕けた話し方になってしまったし、子どもへの対応も私が独断でしたことだ。
「……う」
「え?」
「いいと思う。対応も、あの車掌に対する態度も」
彼はぽつりぽつりと話し出す。
「俺は、お客様が最後まで笑顔でいてくれればそれでいいと思ってる。
あの女の子にとって、君は頼れるお姉さんだった。…そんなふうに感じていたお客様が、嬉しくないはずがない」
「…ありがとう」
誰かに褒められたのはいつ以来だろう。
あの場所では何をやっても叱りつけられて、暴力をふるわれるのは当たり前だった。
折角褒めてもらえたのに、また眠気が襲ってくる。
「君はよく眠くなるんだね」
「ご、め、」
「謝らなくていい。心配せず休んで」
体から力が抜けて、宙に浮いたような感覚に陥る。
なんだか心地よく感じてしまうのはどうしてだろう。


「ご、ごめんなさい!いいこにするからぶたないで…」
「うるさい!」
嫌な音が鳴り響く瞬間からはじまった。
「ただいま…」
「お、おにいちゃ、」
「やめて。ひまりのことは殴らないでって言ったでしょ?」
「おまえらさえいなければ、もっと幸せな人生を歩めたのに!」
ふたりには給食がある。
それを持って帰ってふたりで分けているようだった。
「今日はこれくらいしか余らなかったんだ。少なくてごめん」
「おにいちゃんとふたりならおいしいよ」
「……そっか。いつかお父さんが迎えに来てくれるから、そうしたらお腹いっぱいご飯を食べよう」
「うん!」
兄妹は支え合って生きている。
ふたりきりの家族で、たったひとつの希望を待ちながら。
場面が切り替わり、ぐったりしたふたりが映し出される。
「おにい、ちゃん…寒いよ……」
「毛布かぶってて。食べ物、パンしかなかったけど、食べられそう?」
「あ、ありがとう。おにい、ちゃんは?」
「俺はいいよ。お腹、すいてないんだ」
まだ夜は冷えるというのに、真っ暗な部屋でふたり並んで倒れている。
恐らく電気が止まってしまっているのだろう。
お兄さんが何度スイッチを押しても、エアコンの電源が入ることはなかった。
「…ひまり、もし、元気になったら…また、手紙交換しよう」
「うん。楽しいね」
「温かいところに行けば、きっと、幸せに……」
お兄さんは、それを最後に何も話さなくなった。
そんな彼にひまりちゃんは自分がかぶっていた毛布をかける。
「これで、さむくない?ふたりで、あったかいところ行きたいね」
ひまりちゃんの体からも力が抜けていき、隣に倒れこむ。
大人たちがばたばたと入ったときにはもう遅かった。


「…いつもよりうなされてたね」
「迷惑をかけてごめんなさい」
体を起こすと同時に涙が止まらなくなる。
「そんなに怖い夢だったの?」
「ちょっと、苦しくなった。…ふたりは、幸せになれるよね?」
「分からない。けど、俺はそう信じてる」
あんなに寒いなか、お腹もすかせて…考えるとすごく苦しい。
どんな言葉をつくしても言い表せなかった。
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