皓皓、天翔ける

黒蝶

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第28章『泥水に咲く花』

第166話

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《絵、ですか?》
「嫌じゃなければお願いします。私の心に、あなたの絵が残っているので…」
こんな言い方でよかっただろうか。
だけど、お世辞でもなんでもなくて、本心だった。
必死にもがいてきた少女の絵は、とてつもない力を持っている。
《でも、画材壊されちゃってますし…》
「こちらにセットがあります。お好きなものをお使いください」
画材の良し悪しなんて分からないから、最近ワゴンに入れたばかりのカタログを見せる。
収納箱と呼ばれている場所があるらしく、そこから取ってくる仕組みだ。
《素敵…。あれもこれも、本当に使っていいんですか?》
「はい。誰にも遠慮することなく、描きたいものを描いてください」
《ありがとうございます。どうしようかな…》
少女の目に光が宿る。
やっぱりこのお客様は純粋に絵が好きで、ずっと向き合って行きたかったんだ。
決めつけるつもりはないけど、ひとつひとつ画材を手にとる姿は大切にしていることがよく分かる。
《あの…ワッフル、また持ってきてもらえませんか?》
「勿論です。飲み物をすぐにお持ちします。えっと、こちらのテーブルに置くようにしますね」
《ありがとうございます》
描いているところを邪魔したくなくて、料理を運んでからは少し離れた場所で見ていることにした。
他に困っているお客様がいないか見たりしたけど、特にできることはなく時間だけが過ぎていく。
《できた…》
からんと鉛筆が転がる音がして、星空から沢山の花が降ってくる風景が描かれたスケッチブックを渡された。
《ごめんなさい。私が普段見ていた屋上の景色と、こうあればいいという花を追加して描いてみたんですけど…変、ですよね》
「いいえ。私はこの絵、好きです。ありがとうございます」
《よかった…。そう言ってもらえてほっとしました》
少女の心に、少しでも寄り添えただろうか。
ひとりじゃないって、今までやってきたことは無駄なんかじゃなかったって感じてほしい。
《生きている間にあなたみたいな人に会えていたら、少しは違ったものの見方をできたかもしれない》
「え…?」
《否定しないでいてくれて、私の絵を素敵だって言ってくれてすごく嬉しかったんです。
ワッフルがちょっとだけ甘く感じられるようになりました。…ありがとう。私なんかでも、ここにいる意味はあったのかもしれない》
少女がどんな生活を送っていたのか、全てを知ることはできない。
それでも私は、何度だって伝える。
「私は、あなたを素敵だと思いました。絵も、絵に対する情熱も」
《…心、こめられていましたか?》
「はい。私はそう感じました」
少女は満足そうに微笑んで、私にスケッチブックをくれる。
《今夜のお礼に。…本当に感謝しています》
作られたものでも、周囲の様子をうかがったものでもない真っ直ぐな笑顔。
少女はさいごまで美しかった。
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