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キスのバリエーション
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「篠瀬さん、どうかしましたか」
総務部に戻って仕事を再開しようとすると、隣の席の戸塚くんに声をかけられた。
問いかけの眼差しを送ると、「顔が赤いから」と指摘される。
「具合悪いですか」
先日倒れたところを間近で見たせいだろうか。
戸塚くんが探るような瞳をこちらに向けている。
「ち、ちが……午後の仕事に遅刻するかと思って、その……ちょっと走ったから。それで」
ぶんぶん首を振って否定しながら、私はさらに顔に熱が集まるのを感じていた。
顔が赤いのは神尾くんのせいだ。
足腰の立たなくなってしまった私が落ち着きを取り戻すまで、神尾くんは狛犬の姿で寄り添ってくれていた。
おかげで昼休みが終わる頃には調子を取り戻して、私はしっかり立ち上がることもできたのだが。
別れ際。
人型に戻った神尾君がふと、かすめるように私の首筋に触れて、言ったのだ。
「それじゃ、また」
たった一言。たったそれだけ。
なのに体が瞬時に先刻のキスを思い出して、反射的に熱を灯しはじめた。
恥ずかしくて、ドキドキして、私は真っ赤になりながら逃げるように部署に戻ってきたのだ。
「調子悪いわけじゃないならいいですけど」
ふい、と顔を背けて、戸塚君が自分のパソコンを叩き始める。
そっけなく見えるが心配してくれたのだろう。
ありがとう、と言いたくて体を戸塚君の方へ向けると、別の場所から声がかかった。
「篠瀬さん、ちょっといい? これ今日中に終わらせたいんだけど、ここまで手伝ってくれないかな」
いくつか年上の先輩、牧野さんが見せてきたのは彼女が営業部と組んで行なっている仕事の資料だ。
今日中とは急だな。
あれをよけて、あれはやって、と頭の中で自分の仕事の組み直しをしながら私は当然のようにそれを受け取ろうと手を伸ばした。
「それ俺がやりますよ」
素早く資料を攫ったのは、戸塚君だ。
え、と反射的に戸塚君を見た私と先輩に顔も向けず、戸塚君が資料に目を落とす。
「篠瀬さん、今日が締めの仕事あるって言ってたじゃないですか。それに綾辻さんの仕事も、山本さんの仕事も一部頼まれてましたよね。なんでもかんでも引き受けて仕事増やしすぎなんですよ」
「そうなの?」
牧野さんが驚いたように目を見開いて私を見た。
「え、と。はい。でも」
頑張ればできない量じゃない。
大丈夫です、と言いかけたところで、再び戸塚君が言葉を挟んだ。
「細かいところの支持をもらえれば、俺にもできそうです。俺がやるんでもいいですか」
直接問われて、牧野さんが「まあ」と首を縦に振る。
「そうね。篠瀬さんこの間倒れたばかりだもんね。よく考えたら私たちも篠瀬さんにばかり頼りすぎだわ。じゃあ。悪いけどこれは戸塚君がやって」
「はあ。あと、牧野さんは人にもの頼む時に相手の都合を先に聞くようにした方がいいですよ」
こちらがぎくりとするほどど直球の言葉を投げる戸塚君に、一瞬、肝を冷やす。
やなやつねー、と顔をしかめて、それでも牧野さんはそれ以上戸塚君に突っかかったりはしなかった。
そのまま簡単に仕事の引き継ぎをする二人を見て、ことが穏便に片付いたことを知る。
言い方は粗雑だが、思ったことを言えるのはすごい勇気だ。
私にはないものを持っている戸塚君がちょっとだけ羨ましかった。
打ち合わせを終えて席に座り直した戸塚君に、今度こそ「ありがとう」とお礼を言う。
ちら、とこちらに目をやると、少し考えて戸塚君が口を開いた。
「感謝してくれるなら、今度晩飯付き合ってください」
「え」
仕事を終えたらさっさと帰宅する印象の強かった戸塚君の、意外な提案に少し驚く。
部署内でも部署外でも、人との交流にはあまり興味がなさそうに見えたのに、めずらしいこともあるものだ。
「うん。いいよ」
快諾すると、戸塚君はひとつ頷いて、それきり黙々と仕事をこなし始めた。
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