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こわい、と、ごめんね。
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昼に、と提示された取引は結果的に言えば流れてしまった。
と、いうのも部長を通じて正式に辞令の下りた新しい仕事の件で、新部署への顔見せ、打ち合わせ、グラフィックレコーディングについて改めての説明等、昼休み返上で目まぐるしく動いていていたからだ。
当然神尾君も同席しているので、二人揃っての拘束である。
部署打ち合わせが昼休みに食い込んだ段階で、神尾君は一度だけちらりと腕時計を確認したが、それだけだった。
総務部に戻ると周りの配慮もあって、こちらは時間をずらした昼食をとることができたけれど、神尾君の方がどうだったのかは分からない。
いずれにしても「追ってする」と言われていた連絡も来ず、こうして一日が終わろうとしていた。
「篠瀬さん」
とんとん、と肩を叩かれて、私はパソコンから顔を上げた。
帰り支度を済ませた戸塚君がこちらを見ている。資料用動画を停止しイヤホンを取ると、戸塚君が口を開いた。
「仕事、終わりそうですか」
問われて初めて、フロアに人気がないことに気がつく。
窓の外は真っ暗で、壁時計は後少しで二十一時を回ろうとしていた。
「もうこんな時間……」
集中しすぎて時間の概念を忘れていた。週明けからこれはちょっと飛ばしすぎだ。
伺うような眼差しで戸塚君が問う。
「俺、手伝えることありますか」
「ありがとう。でも大丈夫。キリのいいところまで見たら帰るよ」
動画は実際の会議でグラフィックレコーディングを使用した時のものだ。
さすがに同じような会社の映像は手に入らなかったようで、NPOなど市民活動で記録されたものをいくつか、資料とともに渡されていた。
急ごしらえとはいえ用意周到なところを見ると、神尾君がこの戦略にかけてきた時間が垣間見える。
だからこそ少しでも早く自分のものにしたかったし、何より見ているうちに興味も湧いてきた。
勉強するのが面白い、という感覚は久しぶりだ。
「やっぱり負担かかりすぎじゃないですか」
不服そうな戸塚君が、私を気遣う。
「そうかな。でも面白いし、嫌じゃないよ。戸塚君こそ、私の仕事いくつか引き継いでくれたでしょ。大変じゃない?」
「別に、あれくらい」
言いかけて、戸塚君の瞳が何かに気づいたように一点を凝視した。
視線を追って振り返ると、帰り際に覗きに来たのだろうか、荷物を持った神尾君がこちらに近づいて来る。
「お疲れ様です。二人とも遅いですね」
「お互い様でしょ。この人に至ってはあんたが回した仕事のせいで残ってるんですよ」
「と、戸塚君、戸塚君」
棘のある言い方に私は慌てて戸塚君をたしなめる。
他部署でも神尾君は戸塚君の先輩だ。
無礼な物言いに、しかし神尾君はにっこり笑うだけでそれを受け流した。
「それなら俺が手伝いますよ。どこでつまずいてますか」
「い、いえ、つまずいたわけではなくて……その、どうしたら実践的な技術を身につけられるだろうって考えていて」
「イラスト化についてのことですか、それとも構造化についてのことですか」
「こ、構造化についてです」
話が早い。
切り返された質問が的確で私は舌を巻いた。
会話を可視化するために必要なポイントは、二つだ。
何をイラスト化するのか、どう構造化して描き分けるのか。
自分に足りないのは、会話内容をホワイトボードの上でどのように展開していくのかという構造化知識だと考えていた。
そのあたりを動画から抽出学習できないかと思っていた訳なのだが……。
神尾君が戸塚君とは逆の席を引いて私の隣に座る。
広げた資料をごそごそかき分けて、何枚かの資料を引き抜いて見せた。
「構造化についてはここに少し集めてあります。発想法と構造化手法の種類についてまとめていますが、その図解はこっちに」
「あ、本当だ。一通り目を通したつもりでしたが、そっか、そういうことだったんだ、この資料……」
「意味が分かってから見るのと、そうでない時に見るのとでは違いますからね」
はあ、とため息をついたのは戸塚君だ。
諦めたように席を立って、言う。
「じゃあ俺帰りますけど。篠瀬さんも適当なところでちゃんと切り上げてくださいよ」
「あ、うん。──戸塚君!」
返事を返した時には、もう後ろ姿だった。慌てて呼びかけると、戸塚君が肩越しに振り返る。
「気にかけてくれてありがとう」
お礼を言うと、ちょっとだけ肩を竦めてそのまま背を向けて去ってしまった。
相変わらずそっけないけど、こちらを気遣うような心遣いは最初の頃には見られなかったものだ。
少しずつ変わってきた戸塚君に、私はちょっと嬉しくなった。
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