同僚がモフ度の高い神獣でした。【R18】【本編完結】

雲間香月

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取引しましょう。キスをして。


 人の波から外れるようにして連れて行かれたのは、小さな会議室だった。

「どうぞ」

 扉を開けて、神尾君が私を中へ誘う。

「あの、使用許可は」

「そんなもの取ってるわけないでしょ。始業前ですよ」

 言いながら室内電灯を点け、神尾君が手近な椅子を引いた。

「座ってください」

「でも」

 渋る私に、神尾君が苦笑する。

「大丈夫ですよ。前にも言ったけど、俺、会議室の空きはチェックしてるんです。今日、この部屋は午後まで使用予約が入ってません。誰も来ませんよ」

 そういえば、以前もそんなことを聞いた気がする。
 恐る恐る示された椅子に座ると、神尾君も目の前の椅子に腰を下ろした。

「それで、何がどうしてそんな顔で出社することになったの」

 当然といえば当然の問いに、私は体を固くした。
 あの場から逃れたくてつい神尾君についてきてしまったけど、よく考えたら失恋した相手を目の前に二人きり、と言う状況は胸に来る。
 戸塚君以上に事情を打ち明けにくい相手を前にして、私は言葉に困った。

「篠瀬さん」

 固まる私の頰に、神尾君の指先がそっと触れる。

「こんな、泣きはらした目で……」

 指の背で頰を撫で、親指の腹で確かめるように目元をなぞる。

「何があったんです」

 ──ああ。

 久しぶりに聞く、神尾君の優しい声に心が震える。
 触れる指先の体温に、泣きたくなるほど切なさが込み上げた。

 ぼろ、と瞳から勝手に涙が溢れる。
 びっくりしたように神尾君が目を丸くして、篠瀬さん、と両手で私の頰を包んだ。

「泣かないで。どうしたの。具合悪い? どこか痛いですか?」

 質問を重ねる神尾君の手の中で、私はぼろぼろ涙をこぼし続けた。

 ──ああ。好きだ。神尾君が好きだ。

 とめどなく溢れる気持ちの代わりに、涙が落ちて止まらなかった。

「……もしかして、モフモフが足りなかったですか」

 至極真面目に神尾君が問う。

 そうだけど、そうじゃない。

 欲しかったのはモフモフじゃなくて神尾君との時間だ。神尾君が私に触れる、私が神尾君に触れる、そういう時間が欲しかったのだ。
 でも。

「神尾君……」

 掠れた声はずいぶん小さかった。
 それでも聞き取って、神尾君が「何ですか」と聞く体勢に入る。
 意を決して、私は神尾君にお願いした。

「と、取引がしたいです」

 一瞬、びっくりしたような顔をして、それから「やっぱり」と神尾君が納得する。

「最近篠瀬さんの前で狛犬の姿になってなかったですもんね。待ってください、今」

 頰から両手が離れて、私は慌てた。
 ざわり、と変化し始めた神尾君の手を両手で掴んで、「違います」と首を振る。

「そうじゃなくて、取引がしたいんです」

「だから」

 困惑する神尾君の言葉を遮って、私は繰り返した。

「取引してください」

 じっと私を見つめていた神尾君が、ややって息を飲んだ。
 キスをしてほしいと。

 口に出せなかった言葉を察したのだろう。
 迷うような沈黙に、私は悲しくなった。

 ──困らせている。

 こんな風にわがままを言うことでしか追いすがれないのかと、惨めさにまた、涙がこぼれた。

 と、私の手の中で神尾君の手のひらが人間のものに戻る。
 取られた手とは反対の手で、神尾君が私の頰にかかる髪をそうっと払った。

 ちゅ、と小さくリップ音を立てて神尾君の唇が私の頰に触れて、離れる。

「ちゃ、ちゃんとタイマーをかけてください」

 おざなりのキスでごまかされるのが悲しくて、私は必死にわがままを通した。

 反論もせず、神尾君が自分のスマホを取り出してタイマーをセットする。
 時間は一分。

 これがきっと、最後の一分になる。
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