仏の顔

akira

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噂の女

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 時は江戸、ここはとある宿場町。
 街道を通る旅人も多く、目ざとい行商人たちが威勢よく売り口上をあげる。宿に酒場に問屋に廓、様々な店が建ち並び、そこかしこで女たちは亭主の愚痴を言い合い、子供たちは元気に走り回っている。
 そんな活気溢れるこの町も夕暮れにさしかかり、女たちは長屋へ帰り夕飯の支度を、子供たちは口々に「また明日ね」と別れを告げ家路につく。1日の仕事を終え汗にまみれ腹を空かせた男たちは、そのまま女房の待つ家へ帰る者、まだ帰らずどこかへ寄ろうかと思案する者など様々だった。


 「いや~今日もよく働いたねえ、疲れた疲れたっと」


 汗とホコリにまみれた手拭いをパタパタとはたいていた男に、職人風情の男が声をかける。


 「よう八っつぁん、今あがりかい?おいらもだよ、どうだいこれから1杯?」


 と猪口をクイッとあおる仕草で誘うのは左官屋の吉三、馴染みの相手に応えるのは大工の八兵衛。


 「おう吉さん、そうはしてえんだが……最近かかあがうるさくってよう」

 「ここいらじゃ有名な呑んべぇの八っつぁんがまるくなったもんだねえ、近頃おいらと呑んじゃいねえじゃねえか、1杯くらい付き合ってくれよ」

 「ん~……まいっか、行くか」

 「いいんだ、まぁそれでこそ八っつぁんだよ」


 へへっと笑いながら片付けた大工道具を肩に担ぎ、行きつけの酒場へと歩き始めた。


 「そういや吉さん、あの人の良かった金貸しの新造とっつぁんだがよ。亡くなってどんくらい経つっけな?」

 「なんだい急に、新造とっつぁんか……3年くらい経つっけなあ。それがどうかしたのかい?」

 「いやな、あのとっつぁん若ぇ女房がいたろ?確か元は芸者で名前は……忘れたなぁ」

 「あ~いたなそういや。えらく器量良しだったと思うが、とっつぁんが逝っちまってから姿見ねえなあ」

 「それなんだよ!薄情なもんだねぇ女ってやつは。吉さんとこも気いつけなよ?カミさんべっぴんさんだからよ、未だに言い寄る男がいるって話だぜ?そこ行くってえと、うちのかかあは大丈夫だな。オレも大したツラはしてねえが、あいつも他に貰い手なんてねえしな。ははっ!」

 「んな事言ってやるなよ、気のいいカミさんじゃねえか。って新造とっつぁんの話じゃなかったかい?」

 「あ~そうだそうだっと。んでよぅ、金貸しにしちゃ取り立ても厳しくないしいい人だったんだがよ?そこはとっつぁんも男さ、廓に通って入れあげた女を見受けしてえらく幸せそうだったのに……流行病いでトンころりさ」

 「結構歳くってたからなぁ……どうせ老い先短い余生と踏んで、金目当てで一緒になったんじゃねえか?金の切れ目が縁の切れ目って言うしよ?」

 「どうせそんな事だろうなぁ、女ってのは怖えもんだな。だがオレぁ思うんだがよ?傍から見りゃとんでもねえ女だが、とっつぁんにすりゃキレイな嫁に看取られて逝ったんだし……それはそれで幸せだったのかなぁってさ」

 「金の亡者と思いきや、一皮剥きゃ死に花添える仏様ってか?まぁそんな事ぁとっつぁんにしか分からねえやな」


 そんな取り留めのない話に花を咲かせつつ、行きつけの酒場が近づいてきた頃、旅支度を整えた女とすれ違い八っつぁんがはっと振り向く。


 「おいおい八っつぁん、女の一人旅なんてさほど珍しかなかろうに。まぁパッと見べっぴんさんだったがよ、声かけてきてやろうか?」

 「よせやい!それこそかかあに殺されっちまうよ。じゃなくてよ、な~んか見覚えがある気がすんだよなぁ……」

 「気のせいじゃねえか?ただでさえ毎日ひっきりなしに人が通るんだからよ。それに今時そんな引っ掛け文句じゃぁ小粋な女は捕まらねえぜ?」

 そんなつもりじゃないと反論する八兵衛の背中を押し、縄のれんをくぐっていく2人。
 開けた障子の奥からは、一夜の憩いに興じる賑やかな声が漏れている。
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