仏の顔

akira

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蝉時雨

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 蝉が泣き、青葉が茂る雲ひとつない青空。梅雨も過ぎ、日に日に暑さが増してくる。
 通りを行き交う人々も額に汗を滲ませ、扇子や手拭いなどでパタパタとあおいでいる。
 影の方へ寄って行こうにも通りに影は少ない、お天道様は天高く、刻はちょうどお昼頃。

 大通りに面したその店は表に葦簾よしずをかけ、こまめに打ち水をまき、少しでも涼を取ろうとしている。店の中にはいくつかの床机に赤い毛氈が敷いてあり、そこに腰掛けた客たちが、お茶や団子を楽しみながら話に花を咲かせていた。

 そんな賑わいの中で、通り側の席に女が二人。団子片手にあーだこーだと歓談しているのは
辰巳屋芸者の菊丸と小染だった


 「姐さんにはやっぱりかなわないなぁ~。お座敷に戻って半年足らずで、もう辰巳屋1番の人気芸者に躍り出ようかってな勢いなんだもの」

 「そりゃ女将さんにあれだけ啖呵をきっちまったからにはね。生半可じゃあの人は納得しないもの、それより小染ちゃんだって、女将さんが言ってた通り随分腕を上げたじゃないか」

 「本当ですか~?姐さんにそう言ってもらえてうれしいです!ずっと姐さんが目標だったんですから、まだまだ背中は遠いですけどね……」


 タハハっと困り顔で苦笑する。この娘は昔からコロコロ表情が変わる見ていて飽きない娘だったなぁと思いにふける菊丸。
 またコロッと表情の変わった小染は最近女将さんに来客が多い事を思い出す


 「そういや姐さん、近頃えらく女将さんを訪ねる方が多いですけど、小耳にはさんだところですと、菊丸を是非に身受けしたいとおっしゃる旦那衆が増えてきてるみたいですよ?」

 「あ~……そういやそんな話もちらっとされてたっけねえ」

 「姐さんの人気とそんな話が重なって、鶴丸姐さんがまたご機嫌ナナメなんです。普段は厳しいけどいい姐さんなんですけどねぇ」


 辰巳屋には菊丸、小染の他にももちろん芸者衆を抱えているが、菊丸が去った後の辰巳屋の看板芸者と言えばその鶴丸であった。人に厳しく自分にも厳しい、凛とした雰囲気の女だった。


 「鶴ちゃんもいい子なんだけどちょっとキツいところがあるからねぇ、まぁそりゃあの子からしたら面白くないのもわかってるわよ?だからって遠慮するような事でもなし、あたいはあたいで必死にやるだけよ」


 「そういう事サラッと言えちゃうからかっこいいんだよなぁ」

 「おだてたって何も出やしないよ。それに身受け話だってあたいはあんまり乗り気じゃないなぁ。好きでやってる稼業だし、今更婚期に焦るのも馬鹿らしいし……。あたいが聞いた旦那衆ってのも『 帯に短し襷たすきに長し、さりとて褌ふんどしにゃ間に合わぬ』って感じかなぁ、とにかくあんまり乗り気じゃないのよ」

 「……なんか少~し、鶴丸姐さんの気持ちがわかった気がします……って冗談ですよぅ!」


 気にしちゃいないさ、と言いながら本当によく表情を変えるなと感心する。姐でもあり姉とも慕ってくれる相手だからというのは自惚れではないと思う
 そんな気持ちに浸りながらぬるくなった茶をすすっていると、通りの先の角から息せき切って走っている男が目に止まった。こちらへ駆けてくるのは辰巳屋の板前 喜六だった。


 「おーーい!ここに居たのか二人とも」


 こんな暑い昼日中に走ってきたもんだから、汗はダラダラ息もゼーゼーと肩を揺らしている喜六に茶と手拭いを渡してやるが、律儀にも手拭いは断って懐を探って自分のもので汗を拭った。喜六とは昔からこういう真面目なところのある男だった。


 「ぷはーっ、生き返った……。姐さんこんな所で油売ってたのかい」

 「だってお座敷までにはまだ刻もあるしさ、女同士のお茶会ってなもんさ。ロクもちょっと休んでいきなよ」

 「オレは板前だよ?今は仕込みだなんだと忙しいの」

 「それはそれは、ご苦労なこって。んでその忙しい板さんが仕事ほっぽり出してどうしたんだい?」

 「女将さんがすぐに菊丸を呼んで来いって、小染と一緒ならお前が行く方が見つけやすいだろってさ」

 「で、あたいらをきっちり見つけおおせたってわけか。大したもんじゃない」

 「でも姐さん、使いを出してまで呼びつけるなんて何かあったんですかねぇ?」


 そういう小染の言葉に、んーーと思案を巡らせる。

 「やっばいなぁ~、こないだ裾を引っ掛けて倒して割っちまった花瓶……?それとも女将さんお気に入りの煎餅食べちまったこと……?それとも~……」

 「あーあーあーー俺は何も聞いちゃいないよ~」


 と耳を塞ぎながら呆れているロク、それを見てケラケラと笑う小染。


 「ロク兄、怒って姐さんを呼びつけた訳じゃなさそうだけど何があったの?」

 「あぁそうだった、姐さん。女将さんが姐さんの身受け先を決めたから、さっさと帰ってこいってさ」


 あまりに突飛な話に菊丸は盛大に茶を吹き出してしまった。目の前にいた喜六は水浸し……ではなくお茶浸しである。


 「ちょちょちょいと何だって!?せっかく座敷に復帰して調子も上がってきたし、さぁこれからだって時にだよ?冗談でないよまったく!」

 「俺ぁ知らねえよ、女将さんの性格は姐さんの方がわかってるだろ?一旦言い出したらそうそう引きはしないよ?あ~あぁ、せっかく汗が引いてきたってのに今度は茶でびちゃびちゃだよ」

 「くだらない冗談言ってる場合じゃないよ!」


 これが小染のツボにハマったらしくお腹を抱えて笑っていた。


 「あのババアの事ならよっく知ってるよ!昔っからこうと決めたらてこでも曲げない頑固者だよ?何をとち狂ったか、当の本人に話もせずに勝手に決めちまうなんて酷すぎる」

 「それは女将さんに言ってくんなよ、俺だって伝えて来いって言われただけで何にも聞いちゃいないしさ」

 「姐さんまたお嫁に行っちゃうんですかぁ!?うち寂しいですよぅ……」

 「『 また』って言うな!こうなったらババアに直接問いただしてやる……。行くよ!小染にロク!」

 「あぁ、女将さんが何考えてるのか俺だって気になるしな」

 「あわわ、大将~お代置いときますね~」


 慌ててお金を出して二人を追いかける小染。

 菊丸は不安だった。やはり出戻りは何かにつけて目をつけられるからか?そんな事あたいは気にしちゃいない……。でも知らずのうちにやはり女将さんに迷惑がかかってたんだろうか……。そうならそうと言ってくれりゃ、くだらない事をのたまう奴らなんかガツンと言ってやるのに……。せっかくまたみんなで暮らせてたのに……。

 なんとも言いがたい感情を抱きながら三人は足早に辰巳屋へ帰っていく。

 蝉の声はうるさい程大きくなっていた。その声にこのモヤモヤした気持ちをかき消してほしいと思いながら。
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