仏の顔

akira

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親の心子知らず

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 「ん~、今日も天気だ茶も美味いっと」


 菊丸は庭に面した縁側から足を投げ出し、秋空を見上げて茶をすすっていた。庭木は整えられ、こじんまりした石灯籠が置いてある。豪華ではないが手入れが行き届いた落ち着いた雰囲気のこの庭は、菊丸のお気に入りの場所になっていた。


 「よくしてくださるし、いい人だし……。あたいにはもったいないくらい出来たお人だし、な~んであたいみたいなのをお選びになったのかしら?」


 そう、ここは辰巳屋ではない。ここはこの町でも有名な材木問屋『 伊勢屋』の庭内、物流の動脈である川沿いに作業場を構えた大きな屋敷である。とはいえ資材置き場や作業場がある分広いと言うだけで、主屋の部分はそれほどの広さはなく落ち着いた雰囲気の建物だった。
 菊丸は見栄を張る金持ちは見飽きていたし、この屋の主である清兵衛の性格が出ているように感じるこの雰囲気が菊丸は気に入っていた。

 なぜこんな所で悠長に茶をすすっているのか……、その理由は3ヶ月ほど前に遡る。



*****



 「女将さん!いったいぜんたいどういうわけだい!?」


 襖をピシャンと開き、勢いそのままに女将へ詰め寄る。


 「ああ、戻ったね。とにかくそこへ座んな。それとロク、ご苦労だったね。ここはいいから板場に戻んな。小染は座敷の準備をしてきといてくんな」


 女将は菊丸と二人にしてくれと言いたげに告げた。いや、でも……と言い返しかけた小染を制し、会釈だけをしてロクは小染の手を引いて部屋を後にした
 険しい顔をした菊丸は、女将から話を切り出すのを急かすように睨みつけている。


 「……ふぅ……。ロクから話は聞いたね?お前にとりゃ急な話だったろうが、驚かして済まなかったね」

 「えぇえぇ驚きましたともさ!このババア何をとち狂ったかと思いましたよ!」


 怒りを隠そうともせずそう言ってのけるが、女将は咎めはしなかった。


 「お前が怒るのはわかる、あたしに対して見損なったとも思っているだろう。親代わりとしてガキの頃から見てきたんだ、そのくらい知らいでかい」

 「……ならなんで!そうするならそうするでさ、なんで勝手に進めちまうんだよ!?何だかんだ言いながら、やっぱり傷モノの出戻りは迷惑なのかい!?」

 「あたしがお前の事を迷惑がってると思うのかい?見損なうんじゃないよ!それにそんな事言ってる奴がいるってのかい?すぐここに連れてきな!ぶちのめして川へでも放り込んでやるよ!」


 逆にあまりの剣幕に怒り出した女将に、菊丸は驚きを隠せなかった。


 「い、いや女将さん……、別に誰が言ったってのじゃなくて。なんて言うか、あたいが勝手に思ってたっていうかさ……」

 「は~~?なんだいそりゃ?あんたは本っ当に馬鹿な子だね!……いや、馬鹿はあたしか……。そんな事気にさせちまってすまなかったね」


 そう言い頭を下げる女将に菊丸はどう言っていいかも分からず、頭をあげてとあたふたするしかなかった。いつもと違う女将の雰囲気に、怒っていたこともどこかへ飛んでいってしまった。


 「あたしはね、お前の事は娘の様に思っている。お前だけじゃないよ、鶴丸だって小染だって、ロクだってそうさ。例えどんな理由でここへ来たのかは関係ない。だがうちで預かるからには、1人前にさせてやる、うちの子らに悪さを働くやつは許さない。そう思って今までやってきたのさ。
 だがこんな稼業さ、女どもは旦那衆に見初められて身受けされる時も来る。その時にうちの子を幸せにしてくれる、そんな人をあたしが選んで送り出してきた。お前だって、あたしが選んだ相手に間違いはなかったと知ってるだろ?」

 「確かに、新造さんはすごくいい方でした。元々ウマが合う旦那だなぁとは思っていたし、身受けの話があった時に嬉しかったけど不思議でもあったんです。自分で言うのもアレだけど、売れっ子だったし?他にも立派な位の旦那も数人女将さんに話つけに行ってたのも聞いてたし」

 「だがあたしが選んだのが新造さんだった。商売のこと考えりゃ別だが、あたしもあの方の人柄に惚れたからこそそうしたのさ。ただでさえこんな場所に流れ着いた子たちだ、うちから出すならせめて、人並みに幸せに暮らして欲しいと思うのが親心ってもんだよ」


 菊丸は女将を内心では母とも思ってはいたが、自分に対しても、他のみんなに対してもこれ程の想いを持っていたことに気付けなかった自分を恥じる思いだった。


 「……なんかごめんね、女将さん……。でもさ、そんな考えがあったのならなんであたいに前もって言ってくれなかったんですよ?」

 「お前の性格考えりゃそうもなろうさ。別に周りが気にしちゃいなかろうが、お前はどこか負い目を感じていた。それにまた前のように小染やロクも居るし、ここにずっと居たいと思ったんだろ?
だから何人か話が来たが、全部にべもなく突っ返したじゃないのさ」


 菊丸は芯をつかれて黙り込む。


 「それによっく考えな?お前がここを気に入って出たくないと思うのはいいさ。でもね、ここは廓だ。あたしが目を光らせてるから、そうそう滅多な事は起きやしないがね。ここには女の幸せなんてのはありゃしない、あるのは下心と打算とを金の天秤にかける駆け引きだけさ」

 「女将さん……」

 「そんな場所だからこそ、あたしは苦界に身を沈めざるを得なかった女たちを守るために、これまでやってきたつもりだよ。だから強引になっちまったのは謝るが、お前はいつまでもここに居ちゃダメなんだ。なに、ここを出たからといってここに来るなとは言わないよ、お前が顔を出しゃ小染もロクも喜ぶだろう。他の奴らもそうさ、もちろんあたしもだがね」


 そう言った女将の穏やかな笑顔が、菊丸の不安を拭いさっていった。
 菊丸は姿勢を正し女将に告げる。


 「ありがとう、女将さん……そこまで言わせといてわからないほど馬鹿じゃないつもりだよ。今度の話、女将さんにお任せします」



*****



 伊勢屋清兵衛に引き合わされたのはそのすぐ後だった。
 女将はとっくに準備を進めており、縁談はあれよという間に滞りなく進み、翌週には清兵衛の後妻に収まっていた。
 そんな事を思い出していたら、裏の庭木戸がすっと開き、着流しに羽織を着て、手に帳面を持ったすらっとした青年が入ってきた。


 「あぁこれはお菊さん、お暇そうでなにより」


 と隠しもせず嫌味を放ったのは、清兵衛と先の妻との間に産まれた伊勢屋の二代目の清吉だった。
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