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疑念
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清吉は苛立っていた。
先代からこの伊勢屋を受け継いで、今まで男手一つで育ててくれた父に孝行をしよう、楽をさせてやろうと意気込んではいたが、何を思ったか芸者なんかを嫁にしてうちへ迎え入れる始末。
母は清吉が幼い頃に病で他界した。これまでも男だけでは何かと不便だろうと縁談を持ちかけられたこともあったが全て断っていたし、廓通いをするような父でもない事は清吉が1番わかっていた。「古い友人のつて」と父は言っていたが、それだけでは納得しきれはしない。
何より10も歳の離れぬ相手に、義理とはいえ母と呼べるわけもなく。店の切り盛りに口を出さない事だけは清吉にとっての救いではあるが、こんな昼日中に足をほっぽりだして呑気に茶をすすっているのも、はしたないと思わないのかと気に触ってしまう。
心にも無……くはない悪態もつい出てしまう事に、自分でも少々情けなく感じる。
言ったところでこたえる人でもないのだが。
「あら清吉さん、おかえりなさいまし。裏から入らずとも表から入られたらよろしいのに。主が裏から帰るなんて、『 どこぞの女にでも会ってたのかしら?』なんて言われりゃ店の暖簾にかかるってなもんでしょ?」
ほら、嫌味で返された。カラッとしてイタズラっ子の様な笑顔で言うもんだから
こちらも毒気が抜けてしまう、だが言われっぱなしも癪にさわる。
「荷渡しに来た船頭さんの相手をしてたからこちらの方が近いってだけですよ。ちょうどお昼時ですし、表へ回って中の者に気を使わせるのもなんでしょう。まぁお菊さんは気なんて使ってなさそうですし、わたしも気を使わずに済むってもんです」
「あらあら、なんなら三つ指ついて『 おかえりなさいませ旦那様』とでも迎えてさしあげましょうか?」
「よしてください、気持ちが悪いです」
「ひっどいな~気持ち悪いなんて、あたしの柄じゃないのはわかってますけどねぇ」
「あなたと違って私は忙しいんです。無駄話に付き合ってもいられないんで失礼しますよ」
この人には憎く思っていてもなぜか調子を狂わされる、さっさと退散しようと菊の前を横切って行こうとしたところ、縁側に面した床の間の襖が開いた。
「なんだ清吉、帰ったのか。お菊もここに居たんだね」
そこにいた男はがっしりした体格、頑固そうな見た目に温厚な笑顔を浮かべる頭には、白髪も少し混じっている。この店を1代で築いて守ってきた貫禄たっぷりなこの男。伊勢屋の先代、清兵衛だった。
「あなた、おかえりなさいまし。お早いお戻りでしたね」
「寄り合いが思いのほか早く終わってね、せっかくだからお菊と食事へ行こうかと誘いに帰ったんだ。何か食べたいものはあるかい?」
「まぁ嬉しい!あたしはなんでもいいですよぅ、あなたが選んでくださいましな」
「……おかえりなさい、お父つぁん。わたしはまだ仕事が残ってますので」
やれやれと息をついて清吉はその場を去ろうとする。
「おい清吉、お前も一緒に行かんか?たまには三人水入らずといこうじゃないか」
「よしてくださいよ、私がまさに『 水』でしょうが。どうぞお二人でいってらっしゃいまし」
手をハタハタと振りながら去っていく息子の背中を見ながら、清兵衛は清吉の気持ちを考えると仕方の無いことかと感じていた。清吉はお菊の事をよく思ってはいない。女中や職人連中は、最初こそ態度を定めあぐねていたが、お菊がカラッとした明るさで接するうちに伊勢屋の身内として受け入れて打ち解けていった。
それも清吉の気に入らないところであろうと思う。外から入ってきて間も置かずに皆と馴染んでしまうのだから、自分はそれに救われてはいるが清吉にとっては面白くないだろう。
「すまんなお菊……、誰に似たのか頑固なところがあるからなぁ。優しい子だからね、心底憎くも思っては無いだろうと思うんだが……」
「いえ、清吉さんは立派な方ですよ。あんなに大勢の人を束ねて、立派に二代目としてお店大事と励んでおられます。清吉さんがあたしを気に入らないのも無理のない話ですし」
「いつかあいつもわかってくれる時がくる。だから何を言われても気にしないでくれるとありがたい」
と苦笑する清兵衛。
「そこはあたしも悪いんですよ、気にはしてませんが、言われるとついポロッと言い返しちゃうんですよ。さっきもちょこっとやっちゃいましたしね」
菊も苦笑しながら言う。
「かまわんさ、じっとうつむいて黙っていられても嫌なもんだろう。お前がそういう人だから、わたしは救われているんだよ」
やはり女将さんの選んだ人に間違いはなかった。この人なら、自分を取り繕わなくても受け入れてくれる、大事にもしてくださるし心底幸せだと菊は実感していた。
「あたしの先の亭主の事……あなたには話していましたよね?あなたとも結構歳が離れてますでしょ?色々考えてると、あたしっていつまでもお子様なのかなぁってふと思うんですよ」
たははっと笑いながら言う菊に清兵衛も笑顔で応える。
「ん~お子様……という訳ではないけれど、放っておけなくなるんだろうね。わたしは、お菊はそれでいいと思っているよ。それにきちんと一人の女性として見初めたのだからね」
パーッと顔を赤く染める菊。
「な、な、なにを恥ずかしげもなくそんな事おっしゃるの!?あたしだってそんな事言われりゃ照れるんですから!」
「はっはっは、まぁいいじゃないか本当の事なんだし」
「それに、あなたってうちの店に来るような方でも無かったし、女将さんとは知り合いだったのかもしれないけど……。どうしてあたしなんかを嫁にもらってくれたのか、未だに不思議で仕方ないんですよ」
「あぁ、それはまだ話してなかったね。わたしも今ので少しは照れているんだ、また今度話してあげるよ」
菊はまたはぐらかされたと思いつつ、気にはなるが深くは考えていなかった。自分を受け入れてもらった幸せがここにある、それ以上何を望むのかと。
清吉との不仲だけは何とかしたいと常々思ってはいたが、それも時間をかけて少しずつ距離を縮めていくしかないと感じていた。
「さてと、清吉は行ってしまったし二人で出かけるとしようか。表で待っているから支度をしておいで」
「そうですね、すぐに支度しますね。あっ、すみませんあなた」
「どうしたんだい?」
「昼はちょいと人と会う約束をしていたんです、せっかく誘ってもらって申し訳ないんですけど……」
「あぁそうだったのかい。ならどうだい?夜に屋形船でちょいと一杯やるってのは?」
「それは素敵!ありがとうございます、楽しみにしてますね」
「かまわないよ、気をつけて行っておいで」
清兵衛はひとつも気を悪くすることなく、昼食をとりに奥へと入っていった。
「なーんであんなに出来たお人があたしなんかと…、あたしゃ幸せもんだね。っと、支度して早く行かないと」
店の方では、昼食もそこそこに清吉が帳簿を整理していた。そろそろ店の皆も仕事に戻ってくる頃だろうと段取りを整えていたところ。
「お出かけですかい奥様?いってらっしゃいやし」
「皆さんお疲れ様!今日も怪我のないようにね」
などと声が聞こえてきた。お父つぁんと出かけるんだなと特に気にもしなかったが、見かけたのは菊一人だった。
「お父つぁんは一緒じゃないのか?」と独り言をこぼし思案する。
そう言えばお菊さんがこの家に来てから、ちょくちょく一人で出かけているのを見たことがある。不信に思い始めたらどんどん気になってくる。
「お父つぁんはもう歳だ……。まさか他に男でもいるんじゃないのか?癪だがお菊さんは見た目もいいし、よもやお父つぁんとはこの屋の財産が目当てで一緒になったのか?まさかまさか、そこまでの人とは思いたくはないが……」
「……んな、……か旦那。若旦那!」
「うわーっと!?な、な、なんだいどうしたんだい?」
一人ブツブツと考え込んでいると、昼食から戻った女中の一人が声をかけてきていた。
「さっきからなにやらブツブツと考え事してるみたいでしたけど、どうかしたんですか?」
「い、いやいやいや。お前には関係の無いことだよ……、聞いてた?」
「いえ、何をおっしゃってたかまでは聞こえませんでしたけど……」
「そ、そうか。それならいいんだよ。それよりもこの後澤井屋さんへ出向く予定だったんだが急用ができた、番頭さんに代わりに行ってきてくれるように言ってきてくれないかい?」
「はぁ、わかりました」
そう言うと首をかしげながらも女中は奥へさがっていく。清吉は帳簿をしまい、今しがた出ていった菊を追っていった。
「……自分でも馬鹿げていると思いたいが……」
もし考えてしまった悪い方向へ向かうのなら、伊勢屋を預かる二代目として放ってはおけない。自分が何とかしなければならないという気持ちが清吉を動かしていた。
薄寒くなってきた秋風に吹かれ、清吉は襟元をキュッと締めた。
先代からこの伊勢屋を受け継いで、今まで男手一つで育ててくれた父に孝行をしよう、楽をさせてやろうと意気込んではいたが、何を思ったか芸者なんかを嫁にしてうちへ迎え入れる始末。
母は清吉が幼い頃に病で他界した。これまでも男だけでは何かと不便だろうと縁談を持ちかけられたこともあったが全て断っていたし、廓通いをするような父でもない事は清吉が1番わかっていた。「古い友人のつて」と父は言っていたが、それだけでは納得しきれはしない。
何より10も歳の離れぬ相手に、義理とはいえ母と呼べるわけもなく。店の切り盛りに口を出さない事だけは清吉にとっての救いではあるが、こんな昼日中に足をほっぽりだして呑気に茶をすすっているのも、はしたないと思わないのかと気に触ってしまう。
心にも無……くはない悪態もつい出てしまう事に、自分でも少々情けなく感じる。
言ったところでこたえる人でもないのだが。
「あら清吉さん、おかえりなさいまし。裏から入らずとも表から入られたらよろしいのに。主が裏から帰るなんて、『 どこぞの女にでも会ってたのかしら?』なんて言われりゃ店の暖簾にかかるってなもんでしょ?」
ほら、嫌味で返された。カラッとしてイタズラっ子の様な笑顔で言うもんだから
こちらも毒気が抜けてしまう、だが言われっぱなしも癪にさわる。
「荷渡しに来た船頭さんの相手をしてたからこちらの方が近いってだけですよ。ちょうどお昼時ですし、表へ回って中の者に気を使わせるのもなんでしょう。まぁお菊さんは気なんて使ってなさそうですし、わたしも気を使わずに済むってもんです」
「あらあら、なんなら三つ指ついて『 おかえりなさいませ旦那様』とでも迎えてさしあげましょうか?」
「よしてください、気持ちが悪いです」
「ひっどいな~気持ち悪いなんて、あたしの柄じゃないのはわかってますけどねぇ」
「あなたと違って私は忙しいんです。無駄話に付き合ってもいられないんで失礼しますよ」
この人には憎く思っていてもなぜか調子を狂わされる、さっさと退散しようと菊の前を横切って行こうとしたところ、縁側に面した床の間の襖が開いた。
「なんだ清吉、帰ったのか。お菊もここに居たんだね」
そこにいた男はがっしりした体格、頑固そうな見た目に温厚な笑顔を浮かべる頭には、白髪も少し混じっている。この店を1代で築いて守ってきた貫禄たっぷりなこの男。伊勢屋の先代、清兵衛だった。
「あなた、おかえりなさいまし。お早いお戻りでしたね」
「寄り合いが思いのほか早く終わってね、せっかくだからお菊と食事へ行こうかと誘いに帰ったんだ。何か食べたいものはあるかい?」
「まぁ嬉しい!あたしはなんでもいいですよぅ、あなたが選んでくださいましな」
「……おかえりなさい、お父つぁん。わたしはまだ仕事が残ってますので」
やれやれと息をついて清吉はその場を去ろうとする。
「おい清吉、お前も一緒に行かんか?たまには三人水入らずといこうじゃないか」
「よしてくださいよ、私がまさに『 水』でしょうが。どうぞお二人でいってらっしゃいまし」
手をハタハタと振りながら去っていく息子の背中を見ながら、清兵衛は清吉の気持ちを考えると仕方の無いことかと感じていた。清吉はお菊の事をよく思ってはいない。女中や職人連中は、最初こそ態度を定めあぐねていたが、お菊がカラッとした明るさで接するうちに伊勢屋の身内として受け入れて打ち解けていった。
それも清吉の気に入らないところであろうと思う。外から入ってきて間も置かずに皆と馴染んでしまうのだから、自分はそれに救われてはいるが清吉にとっては面白くないだろう。
「すまんなお菊……、誰に似たのか頑固なところがあるからなぁ。優しい子だからね、心底憎くも思っては無いだろうと思うんだが……」
「いえ、清吉さんは立派な方ですよ。あんなに大勢の人を束ねて、立派に二代目としてお店大事と励んでおられます。清吉さんがあたしを気に入らないのも無理のない話ですし」
「いつかあいつもわかってくれる時がくる。だから何を言われても気にしないでくれるとありがたい」
と苦笑する清兵衛。
「そこはあたしも悪いんですよ、気にはしてませんが、言われるとついポロッと言い返しちゃうんですよ。さっきもちょこっとやっちゃいましたしね」
菊も苦笑しながら言う。
「かまわんさ、じっとうつむいて黙っていられても嫌なもんだろう。お前がそういう人だから、わたしは救われているんだよ」
やはり女将さんの選んだ人に間違いはなかった。この人なら、自分を取り繕わなくても受け入れてくれる、大事にもしてくださるし心底幸せだと菊は実感していた。
「あたしの先の亭主の事……あなたには話していましたよね?あなたとも結構歳が離れてますでしょ?色々考えてると、あたしっていつまでもお子様なのかなぁってふと思うんですよ」
たははっと笑いながら言う菊に清兵衛も笑顔で応える。
「ん~お子様……という訳ではないけれど、放っておけなくなるんだろうね。わたしは、お菊はそれでいいと思っているよ。それにきちんと一人の女性として見初めたのだからね」
パーッと顔を赤く染める菊。
「な、な、なにを恥ずかしげもなくそんな事おっしゃるの!?あたしだってそんな事言われりゃ照れるんですから!」
「はっはっは、まぁいいじゃないか本当の事なんだし」
「それに、あなたってうちの店に来るような方でも無かったし、女将さんとは知り合いだったのかもしれないけど……。どうしてあたしなんかを嫁にもらってくれたのか、未だに不思議で仕方ないんですよ」
「あぁ、それはまだ話してなかったね。わたしも今ので少しは照れているんだ、また今度話してあげるよ」
菊はまたはぐらかされたと思いつつ、気にはなるが深くは考えていなかった。自分を受け入れてもらった幸せがここにある、それ以上何を望むのかと。
清吉との不仲だけは何とかしたいと常々思ってはいたが、それも時間をかけて少しずつ距離を縮めていくしかないと感じていた。
「さてと、清吉は行ってしまったし二人で出かけるとしようか。表で待っているから支度をしておいで」
「そうですね、すぐに支度しますね。あっ、すみませんあなた」
「どうしたんだい?」
「昼はちょいと人と会う約束をしていたんです、せっかく誘ってもらって申し訳ないんですけど……」
「あぁそうだったのかい。ならどうだい?夜に屋形船でちょいと一杯やるってのは?」
「それは素敵!ありがとうございます、楽しみにしてますね」
「かまわないよ、気をつけて行っておいで」
清兵衛はひとつも気を悪くすることなく、昼食をとりに奥へと入っていった。
「なーんであんなに出来たお人があたしなんかと…、あたしゃ幸せもんだね。っと、支度して早く行かないと」
店の方では、昼食もそこそこに清吉が帳簿を整理していた。そろそろ店の皆も仕事に戻ってくる頃だろうと段取りを整えていたところ。
「お出かけですかい奥様?いってらっしゃいやし」
「皆さんお疲れ様!今日も怪我のないようにね」
などと声が聞こえてきた。お父つぁんと出かけるんだなと特に気にもしなかったが、見かけたのは菊一人だった。
「お父つぁんは一緒じゃないのか?」と独り言をこぼし思案する。
そう言えばお菊さんがこの家に来てから、ちょくちょく一人で出かけているのを見たことがある。不信に思い始めたらどんどん気になってくる。
「お父つぁんはもう歳だ……。まさか他に男でもいるんじゃないのか?癪だがお菊さんは見た目もいいし、よもやお父つぁんとはこの屋の財産が目当てで一緒になったのか?まさかまさか、そこまでの人とは思いたくはないが……」
「……んな、……か旦那。若旦那!」
「うわーっと!?な、な、なんだいどうしたんだい?」
一人ブツブツと考え込んでいると、昼食から戻った女中の一人が声をかけてきていた。
「さっきからなにやらブツブツと考え事してるみたいでしたけど、どうかしたんですか?」
「い、いやいやいや。お前には関係の無いことだよ……、聞いてた?」
「いえ、何をおっしゃってたかまでは聞こえませんでしたけど……」
「そ、そうか。それならいいんだよ。それよりもこの後澤井屋さんへ出向く予定だったんだが急用ができた、番頭さんに代わりに行ってきてくれるように言ってきてくれないかい?」
「はぁ、わかりました」
そう言うと首をかしげながらも女中は奥へさがっていく。清吉は帳簿をしまい、今しがた出ていった菊を追っていった。
「……自分でも馬鹿げていると思いたいが……」
もし考えてしまった悪い方向へ向かうのなら、伊勢屋を預かる二代目として放ってはおけない。自分が何とかしなければならないという気持ちが清吉を動かしていた。
薄寒くなってきた秋風に吹かれ、清吉は襟元をキュッと締めた。
応援ありがとうございます!
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