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6時限目 バーンズ卿の嫌がらせ
しおりを挟む貴族学校には様々な分野のエキスパートが集結し、教鞭を振る。魔導学、魔導薬学、動物学、軍事学、地理学、史学などなど。著名な教師が行う講義は、三万冊の図書に勝るとも言われている。貴族たちがこぞってソード・アカデミアを目指すのには、そういった理由もあった。
「一限目は魔導学か」
就任二日目の朝。
ダンテは昨日回収したクラス名簿と時間割を持って、教室へと向かっていた。朝のホームルームを終えれば、実践戦闘までダンテがやることはない。後は他の教師陣に任せれば良いはずだった。
教室の扉を開けると、今日はきちんと4人揃っていた。
「おはよー、先生。昨日はよく眠れました?」
一番前に座ったシオンがダンテに声をかけた。
「ここの布団硬くなかったですか?」
「兵舎の布団よりだいぶマシだよ。それより、イムドレッドはいないのか」
イムドレッド・ブラッド。
出席簿の一番下に刻まれた彼は、一ヶ月前の日付を境に全く出席しなくなっていた。暴力事件を起こして停学になっていたが、とっくに処分は解かれているはずだった。
「いったいどこに行ってるんだ?」
「うーん……どうでしょうね」
困ったようにシオンは言った。その表情から、イムドレッドのことは触れられたくなさそうな話題なのだと、ダンテは悟った。
「……まぁ良い。後で対処するか。おい、リリア。なぜさっきから目を合わそうとしない」
ダンテは後ろの席でむくれているリリアに声をかけた。口を開こうとしない彼女の代わりに、ミミが代弁した。
「昨日のお風呂を覗いたから、怒っているみたいニャ」
「本当に知らなかったんだ。許してくれ」
「だってニャ。どうするニャ? ミミは許しても良いと思うニャ」
「ムゥ……ミミが言うなら良いけど」
「……私も構わないと思う。むしろ……」
「マキネスには聞いていないニャ」
ミミの言葉を遮られてマキネスはしょんぼりと肩を落とした。そっぽを向いていたリリアは、改めて座り直すとぺこりと頭を下げた。
「先生、私も怒り過ぎました。ごめんなさい」
「……すまなかった、俺も気をつける」
「一件落着。優しい世界ニャ」
「さてさて、そろそろ魔導学の時間だが……教授が来ないな」
ダンテは壁にかけられた時計の位置を確認した。授業開始の時刻が過ぎている。ホームルームついでに教師に挨拶をしようと思っていたが、到着が遅れているようだった。
シオンが退屈そうに身体を伸ばした。
「珍しいですね。教授が遅れてくるの」
「もうちょっと待つか……」
教壇の椅子に座って、教授が来るのを待つ。しかし、5分過ぎようが、15分過ぎようが、来る気配は全くなかった。
20分を過ぎても来ないので、さすがに痺れを切らしたダンテはだるそうに立ち上がった。
「忘れてるのかもしれんな。ちょっと連絡してくる。自習でもしていてくれ」
「はーい」
廊下に置かれている通話機のボタンを押して、ダンテは校舎内の案内人に繋いだ。コール音の後すぐに、初日にダンテを案内した女性の声が聞こえた。
「はい、アカデミアB棟事務室です」
「ダンテだ。魔導学の教授が来ないんだが」
「旧校舎の……。少々お待ち下さい」
女性が通話機を置くとバタバタと何かを言い合う声が聞こえた。不穏な空気を感じ取りつつ、ダンテが聞いたのは信じられない言葉だった。
「来られないそうです」
「来られない?」
「今朝の職員会議で決まったそうです。クラス『ナッツ』には教授を派遣しない」
「おいおい待ってくれ。授業はどうするんだ」
「私が言えるのはそれだけです」
ダンテの返答を待たずして、女性は通話を切断した。がちゃりと通話機を下ろす音が虚しく廊下に響いた。
「まじかよ……」
教授が来られないのでは、授業ができない。訳がわからないが、それが職員会議で決まったということであれば、誰かが手を回したのは間違いない。
(いったい何がどうなっているんだ)
ふつふつと怒りが湧き上がっていた。
自分に知らされていないことはともかくとして、生徒たちに対してあまりに横暴が過ぎる。この学園の人間が何を考えているのか、ダンテにはさっぱり理解ができなかった。
ダンテのストレスはマックスに達していた。
気がついた時には、校舎に乗り込み校長室の門を叩いていた。こういう手合いはトップに直談判するのが最も早い。頭に血が登った彼は、感情に任せるままその黒塗りの大仰な扉を叩いた。中から秘書らしき人の声が聞こえた。
「どなたですか? 今、来客中です」
「昨日配属されたダンテだ。すぐ終わらせるから、話しだけでもさせてくれ」
扉の向こうで話し声が聞こえた。声を聞く限り、複数の男が話し合っていたようだった。長々と話し声が聞こえたあとで、さっきの声の女性が扉を開けた。
「どうぞ、お入りください」
部屋に招かれて、中の光景を見てダンテは全てを理解した。
ゴテゴテとした彫刻類で飾られた室内には、秘書の他に三人の男がいた。脂汗をかいた中年の男が校長で、骸骨のように痩せた男が教頭。着任前に会った二人の他に、もう一人、来客がいた。
趣味の悪いカールした口ひげと、人を見下すようなニヤニヤ笑い。そして風船のように膨らんだ腹。彼にとって忘れられるはずがなかった。
「バーンズ卿……!」
ダンテを王都から追放した張本人だった。カウチに腰掛けた彼は、ちょうど校長と教頭と向き合っていた。青筋を立てて、入ってきたダンテを見て、バーンズ卿はわざとらしく「おやぁ」と言った。
「いつぞやの王都兵じゃないか。どうしたんだ、こんなところで?」
「……そうか、あんたが手を回していたのか」
「何のことかな。私は馴染みの母校を訪ねて、校長先生と教頭先生と楽しくお茶をしていただけだが」
校長から差し出されたカップを手にとって、バーンズ卿は優雅に紅茶を飲んだ。向かい合う校長たちはずっと媚びるような笑いを浮かべていた。ごますりを絵に描いたような光景だった。
カップをソーサーに置くと、バーンズ卿は改めて口を開いた。
「……聞くところによると、この学園には四つ目の落ちこぼれクラスがあるとか。魔導もまともに使えないどころか、亜人まで紛れ込んでいる」
「も、申し訳ない、バーンズ卿。わたくしどももアイリッシュ卿に依頼されて仕方なく」
「まったく、あの狸ババアのやることは分からないな」
校長の言葉に、バーンズ卿は頷いた。まるで舞台にでも立ったような大げさな手振りと声で彼は言った。
「教育方針は貴校の自由だ。亜人や落ちこぼれ貴族や、素行不良の教師を雇うことに賢老院としては何も言わない。だが私も貴校のために少なからず寄付を行っている。大事な息子を通わせている身としては、貴重なリソースがそんな下らない場所に払われるのは納得がいかない」
「もっともでございます」
「というわけで改革が必要だったというわけだ」
目の前で繰り広げられる会話を聞きながら、ダンテの堪忍袋は爆発寸前だった。へらへらと笑う校長たちを見て、ダンテは拳で壁を叩いた。びくっと校長たちが肩を震わせる。
「要は金で脅した。おい、ここにいるのは教育者じゃなかったのか?」
「わ、わたしたちは……」
「目上のものには敬語で話すんだぞ、ダンテ先生。私はただ提案をしたまでだ。ソード・アカデミアとしては、旧校舎に教授陣を派遣しない。教員会議で決まった。そうだね?」
バーンズ卿の言葉に、校長たちはカクカクと玩具のように頷いた。
「……胸糞悪い」
「いつまでも、アイリッシュ卿の好きにはさせない。放校処分になったあかつきには、私があなたを地の果てまで送り込んでやる」
もうこれ以上、ダンテにはどうすることもできなかった。
持っている力の種類が違う。ここでバーンズ卿を殴り倒したところで、事態がひどくなるだけだ。気は晴れるかもしれないが、そこで全てが終わってしまう。
震える拳を握りしめて、ダンテは言った。
「……了解しました」
「素直だなぁ。最初からそうだったら良かったのに。ま、もう遅いけどな」
腹の底で燃え上がるような怒りを感じながら、扉を閉めた。
同時にドッと肩に疲れがのしかかってきた。教室で待つ彼らに何と説明すれば良いのか分からなかった。
(まったく前線基地の方がよほどましだった)
教授陣がいない中で、授業を行えるのは自分しかいない。
果たして、まともな授業が自分にできるのだろうか。壁の隅に追い詰められたネズミのような気分だった。
嫌な想像を振り払いながら、ダンテは本校舎を後にして、生徒たちの待つ教室まで帰って行った。
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