王都から追放されて、貴族学院の落ちこぼれ美少女たちを教育することになりました。

スタジオ.T

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29時限目 孤独の呪い

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 異界物質。世界の向こう側の神秘。
 肉体と共存するほどの強い異界物質を持つ家系は、世界中探しても片手の指ほどしかいない。そしてフラガラッハ家のそれが瞳を通して継承されてきたものだとするならば、ブラッド家のそれは臓器にあった。

 あらゆる毒を溶かし、そして毒そのものを精製する臓腑ぞうふ。彼らが作成する毒物は人を殺害するという目的に関して、最も優れているものだった。いかなる英雄豪傑えいゆうごうけつであろうとも、食の内に含まれた致死量を遥かに超えた毒素には敵わない。彼らはその力でもって、陰謀にまみれた貴族社会をのし上がってきた。

 ブラッド家の長男、イムドレッドの幼少期は永遠と続く締め付けられるような痛みと共にあった。彼はずっと両親の精製する毒物を飲まされて生活してきた。毒物に対する耐性を身体に覚えこまさせるために、ブラッド家で代々繰り返されてきた方法だった。

 異界の臓器を所有する身体と言えど、決して完璧な訳ではない。死ぬことはないが、毒によってもたらされる症状が人体を襲う。発熱、痛み、吐き気、倦怠感けんたいかん、皮膚の炎症、毒の種類によってはそれが何週間も続く。

 イムドレッド・ブラッドにとって、それは終わることがない日常だった。死んでしまいたいと思うことが何度もあった。自分が何のために生きているのか分からない。なんでこんなに苦しい思いをしているのか分からない。なんでこんな辛い思いをして、明日を生きなければならないのか分からない。

 分からないことだらけだった。

 このまま生きながらえたところで、何が待っているというわけでもない。薄汚い暗殺稼業だ。褒められることも、讃えられることもない。世界の影で一生を終えて死んでいく。ブラッドの血は、彼にとって剥がれ落ちることのない呪いだった。

 いつまでも。
 いつまでもいつまでも。
 いつまでもいつまでもいつまでも痛みは続いた。

 頭のうちから燃え上がるような熱が、彼の心をむしばんでいった。そこに救済はない。ブラッド家の人間にとってそれは当然の痛みで、定められた通過儀礼だった。同情こそあれ、手を差し伸べてくれる人は一人として存在しなかった。辞めて良いと言ってくれる人間はいなかった。

 イムドレッド・ブラッドはどうしようもなく孤独だった。

 イムドレッド・ブラッドはどうしようもなく痛み以外の感情に憧れていた。嘔吐すること以外に叫ぶことを知りたかった。倦怠感を吹き飛ばしてくれるような希望に焦がれていた。

「こんな力、いらない」

 その願いとは裏腹に、十歳になる前に彼はブラッド家屈指くっしの毒物生成者へと成長した。もはや彼の両親の毒素でさえも、彼に対して注射針以上の痛みを与えることはできなかった。永遠に終わらない日常は、嘘のように去っていった。ブラッド家の正式後継者として認められたイムドレッドは完全に自由になった。

 地獄のような日常は終わりを告げた。

 けれど、孤独は消えなかった。

 誰にも理解されない恐怖は、痛みが終わろうが彼の中に残留し続けた。その孤独はさらなる内側をむしばんでいった。冷たい風が吹いていて、彼の心は荒れ果てた大地のように寂れていった。

 痛みに耐えて、ひらけた景色には何もなかった。

 未来はどうしようもなく暗くて、陰鬱いんうつだった。他の生き方も分からない。イムドレッドはただぼんやりと部屋のベランダから、外の景色を眺めていた。ここから見える幾人かは、いずれ自分が殺す人間だ。

 シオン・ルブランが隣に引っ越してきたのは、そんなおりのことだった。貴族が住むには辺境の地で人気もない場所。彼の家は今にも没落寸前の弱小貴族だった。

 隣に殺し屋の一族が住んでいるとも知らない世間知らずだった。

 誰からも歯牙しがにもかけられない平凡な人間たち。イムドレッドは、彼らを見下していた。豊かとは言えない彼らの姿を、哀れむような視線で見ていた。

 お付きの人間すらいないのか。
 あんな貧相ななりで外に出て行くのか。
 家財を売って生活しているのか。

「あぁ、なんて惨めで生きるのが下手な連中なんだろう」

 特にあいつ。あの女みたいなガキ。引越しの時に来たが、背の低い金髪のおかっぱの息子は、顔もあげずに母親の後ろに隠れていたのを覚えている。

 そして案の定、引っ越した直後から近所の年上連中にいじめられていた。殴られて、物を盗られて、いつも半べそをかいている。家に帰ってきて母親の胸で延々と泣き続ける。

 泣き虫め。
 腹がたつ。
 くそったれ。

 その姿を見るたびに、イムドレッドの中にはらわたが煮えくり返るような感情があった。言葉では言い表せないほどの、感情の発露があった。どうしてあいつに、あんなに腹が立つのか分からなかった。たぶん、自分はああいう弱い人間が嫌いなんだろうとイムドレッドは思った。

「おい、お前」

 我慢しきれず、ある日とうとうベランダから彼に向かって言った。

「いつまで泣いているんだ。泣いたって何も解決しないだろ?」

 突然、へいの向こうから叫んできたイムドレッドに、少年はピクッと固まって目を見開いた。泣きはらした目の彼は、意外にもイムドレッドに対してむすっとした口調で言い返してきた。

「君だって……」

「あ?」

「君だって外から見てるだけだろ。何も知らないくせに。臆病者」

「……」

 本気でぶっ殺してやろうかと思った。
 俺ならこいつ含めて、全員三秒とたたずに殺してみせる。イムドレッドの頭に血がのぼった。

 何も知らないだと。

 俺は全てを知っている。全ての痛みを知っている。全ての恐怖を知っている。征服する喜びを知っている。その先にある果てのない荒野を知っている。

 イムドレッドは少年の瞳を見た。茶色にくすんだ邪気のない瞳。今にも泣き出しそうな弱々しい瞳。こいつこそ何を知っているんだ。

 ふざけるな。

「ジオルグ!」

 彼の家の向こうから呼び止める声があった。見るとい目を継いでつくられたボロボロのエプロンを着た、彼の母親が近づいてきていた。

「ダメじゃないの。仲良くしなきゃ」

「……お母さん、ごめん」

「謝るなら、この子にでしょ。ほら早く」

「ごめん、なさい」

 一転してしおらしい態度になった彼は、ぺこりとイムドレッドに頭を下げた。その姿を見て、母親の方は満足そうに頷いた。ちらりとイムドレッドの方を見ると、彼女はにこりと笑みを向けた。

「うちの子がごめんね。泣き虫のくせに、変に負けず嫌いなところがあって。ひどいこと言っちゃったよね」

 イムドレッドはうなずくことも、言葉を返すこともしなかった。
 ただ彼らと自分たちを隔てる塀を見ていた。彼らの庭と自分の庭をへだてている細長いくい。決して交わることのない世界の境界線。

「イムドレッド君、うちの子と同い歳だよね。良かったら仲良くしてあげてくれないかな? この子、ずっと友だちできていないの」

 あまりにも広く深い断裂だんれつを見た。

 でられる少年の姿を間近で見て、イムドレッドは自らの感情に気がついた。得体の知れない煮えたぎる怒りの正体を理解した。

 これは憧憬どうけいだ。

 俺はこいつがうらやましくて仕方がなかったんだ。その弱さが、その惨めさが、その頼りなさが、守られているという感情が欲しくて仕方がなかったんだ。

 ジオルグと呼ばれた少年は、澄んだ瞳で彼を見て言った。

「ねぇ、僕と友達になろう」

 俺は全ての恐怖を知っている。全ての痛みを知っている。けれどこの感情は知らない。

 俺は惨めだ。
 イムドレッドはその断裂を前に、ただ唇を噛み締めて、踵を返した。もう二度とそんなものを見なくて済むように、窓を閉ざして、粗末な暗闇で自分の世界を覆った。
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