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仕事を見つけること

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…とりあえず、時雨のメモに従って、赤い看板の出ている店を右に曲がる。

すると、ちょっと落ち着いた佇まいの店が一軒あった。
看板を見る。
ーーミミズが這ったような文字が書いてある。

さて、入ろうか入るまいかと悩んでいると、カランカランと扉が開いた。

「いらっしゃい。」

そこにいたのは、中年の男性だった。

「秦とこの坊ちゃんから聞いてるよ。入りな、tentazioneティンタツィオーネへようこそ。」

その人は私たちを店に引き入れる。


ーー


中は、コーヒーの香りで満ち満ちていた。

「わぁ……」
「君が花子ちゃんかい。」

男性は、棚の上からミルを引き出すと、豆を入れて回しだす。
コリコリコリという音が店内に響いた。

「は、はい!」

花子が返事をする。

「広瀬が美味しいって言ったんだって?」
「お、恐れ多い事ですが。」
「そう縮こまらないでくれ…あ、俺は若木 功平わかき こうへい、みんなマスターって呼ぶ。」

マスターはミルから豆を取り出すと、抽出する。
しばしの無言の後、私達の前にコーヒーが出された。
いい香りが、鼻を通り抜ける。

「召し上がれ。」

そう言われて口をつける。

「なっ、」

花子はすぐに飲み干すと、目を爛々とさせて語る。

「わ、私コーヒーは詳しくないのですが、このコーヒーは大変美味です!」
「そりゃ何より。」

マスターは花子の隣に、もう1つコーヒーを置いた。
見た目は変わらない。

花子は、そちらも口をつけ…ようとしてやめる。


「これは…豆が違うのですか?」
「ご明察。」

花子は、ゆっくりとカップを傾ける。
マスターはその様をジーッと見つめていた。

「さっきのより香りは高いですが、ちょっと飲みにくいですね。」
「いい舌だ。」

マスターは満足したように頷いた。

「花子、ここで働かないか?」
「…へ?」

今の声、どこから出したんだろう。

「うちで、お茶を淹れないか。」
「は、蓮音様…」
「様?」
「じゃなくて、蓮音さん!」

マスターは、明らかに怪訝な顔をした。
私は素知らぬフリして、手を振る。

「いいんじゃない?」
「し、しかし…」
「お前、時雨からのメモ読んでないのか?」

…自分の名前しか読めない、なんて言えない。
マスターはペラっとその1枚を見せる。

「“花子、バイトにどうですか”って書いてある。」

そんな事が書いてあったのね。

「わ、分かりました。」
「うん、どうぞよろしく。」
「お願いします。」


こうして花子は、明日以降このティンタツィオーネでバイトをする事に決まった。
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