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【聖者の薔薇園-プロローグ】
195.ほんとのきもち
しおりを挟む「わ、わたし…私は…」
動揺でゆらゆらと揺れる瞳。徐々に後悔の色が滲む表情をじっと見ても何か思うことも無くて、悲しみだけがずっと止まないままだった。お兄さんが何か言おうと口を開く度びくっとなって、ライネスにむぎゅむぎゅ抱き着いてしまう。
沈黙が流れる中ぷるぷる震えていると、やがてお兄さんが再びぽそりと呟いた。
「ご…ごめんね…いや、ごめんなさい…わたしは、なんてことを…っ」
君を傷付けたい訳じゃなかった。そうお兄さんが語った瞬間、またもや三人の怒りがぷっつんしたらしい。最早怒りというより呆れのような視線を向けて、けれど聞くだけ聞いてやるかと言いたげに肩を竦める。
ぽろぽろと涙を流し、ぐすぐすと鼻を啜って嗚咽を漏らして、そうして思いのままに喋るお兄さんの姿は、まるで無垢な子供のようだと思った。
「初恋だったんですっ…九年ほど前に、神殿で君に出会って…運命だと、思ってしまいました…っ」
嗚咽ばかりで聞き取りづらい、けれど必死に語られたお兄さんの話は、かなり衝撃的なものだった。
お兄さんが僕を初めて見かけたのは、僕が三歳の頃。例の庭師小屋の火事のあと、神殿に運ばれた僕を治癒したのがまさかのお兄さんだったらしい。
その時、僕に一目惚れ…してくれた?した、みたい。神官になれば当然の如く女神を崇めて聖者を愛すると思っていたから、マーテルでも聖者でもない僕に好意を抱いてしまった事実を、運命と思い込んでしまったようだ。
多くの神官の中で、マーテルではなく全く別の人間を愛しているのは自分だけ。そう思えば思うほど、僕とお兄さんの関係が神が定めた運命だと確信するようになり。
いつ自分が僕の『運命の相手』であることを名乗り出ようかと。そう思っていた矢先、思わぬ事態が起こった。
「いつからか、光魔法の威力が弱まり始めて…不思議なことに、それは君への愛を育めば育むほど、悪化するのだと不意に気が付きました…いつしか光の魔力は完全に消え…私の属性は土に変わっていました…」
マーテルへの信仰を忘れ、代わりに増していく恋情。消えた光属性の力と、渋々といったように刻まれた新たな属性を前に、お兄さんはある結論に辿り着いた。
「君は悪魔の子なのだと…。悪魔の子を愛する私にお怒りになった女神が、私から光を奪ったのだろうと…!」
「……は??」
熱を増していくお兄さんの語り。それを容赦なく遮ったのは、低く地面を這うようなライネスの声だった。
完全にライネスを畏怖しているのか、お兄さんはぐっと黙り込んで恐る恐る視線を上げる。般若の形相を浮かべるライネスに「ひぃっ!!」と声を上げ、ぷるぷる震え始めた。
そんなお兄さんを侮蔑の眼差しで見下ろし、ライネスは一切の容赦なく淡々と吐き捨てる。
「被害妄想過ぎて笑えない。どうして悪魔は自分の方だという可能性を考えなかったの?誰がどう見てもフェリは天使側だと分かる筈だけれど。身の程を弁えず天使を狙う愚者に神が罰をお与えになったとは思わなかったの?」
「ぐはッ!!」
これがおーばーきるというものか。そんな感想がぽつりと湧いて、白目を剥いてぴくぴく痙攣するお兄さんがちょっぴり可哀そうになった。
流石のトラードも「うわぁ…」とドン引きしているし、ローズは無言でこくこく頷いている。僕は…うぅん…こわいからなにも言えないでござる…。
それに本当に、お兄さんの言っていることが理解出来ないから。どうして一目惚れで運命の相手だと思うのだろうとか、悪魔の子だという飛躍した結論を出せるのだろうとか。
あと…ただ、こわい。お兄さんがこわい…。
「っで、でも!!じゃあ私が女神ではなく彼を愛したのは何故ですか!運命でなければ何なんですかぁ!!」
「元々光属性の素質が無かったから、マーテルの影響受けずに普通に好きな奴を好きになれたんだろうな。実際光魔法、使えなくなってんでしょ?運命とかじゃなくてお前が無能なだけじゃね」
「……主に捨てられ愛する人間にも嫌われるとか、お前どうして生きてるんだ。生きる意味、あるか。死んだ方がお前も人類も救われるんじゃないか」
「ッかはァ!!」
ほんとうのおーばーきるを見てしまったでござる…。
涙をふきふきしながらあわあわ見守っていると、不意にバッ!と顔を上げたお兄さんが泣きながら僕に向かって声を上げた。
「私の天使!君は嫌いとかそんなっ、そんなこと思わないよね!?いや、思いませんよね!?君は優しいからそんなっ!!」
必死の表情に一瞬だけ心がぐらりと揺れた。
完全に追い詰められているような顔には、弱い。一方的に糾弾される姿を見るのは怖くて、苦手だ。
以前まではこういう姿に、一度目の人生での自分を重ねてしまうことが多かった。だから自分がされても、怒れない。本当の気持ちを言えない。嫌いは尚更、悲しい言葉だから。
けれど、最近は少しだけ考え方が変わった。全て一緒にしちゃだめなんだ。一緒じゃない時もあるんだって。ディラン兄様とトラードの件で怒りが湧いたあの時、僕はそのことをようやく理解した。
ローズに以前教わったことを、今でも鮮明に覚えている。
「ぼ…ぼくは…」
手が震える。本当に言ってもいいのだろうか。
嫌な言葉は、人を傷付ける。ここで本当の気持ちを言ってしまうのは、それは傷付けるために言うのと同じで…でも、傷付けるのは怖い…。それでも、それでも…。
震える手を、更に大きな手にぎゅっと温かく包まれる。視線を上げて優しい金色の瞳を見た途端、不思議なくらい恐怖と不安が掻き消えた。
悪くないんだよ、って言ってくれているみたいで。
「……僕、好きじゃない…怖い、だけ」
ぽつりと呟く。空気が…主にお兄さんの周囲を漂う空気と雰囲気が、その時ぴたりと凍り付いた。
「お兄さん、だれなの。僕しらない。ぜんぜん、覚えてない。こわい。好きじゃない。知らない人、ぎゅーとふにふに。うれしくない。きもち、わるい」
「ぅ……」
「きもちわるい」
「ぁ…ァ…」
かんかんかん、と試合終了の鐘が鳴ったみたいな、そんな空気の後。
白目を剥いて口から泡を吹いたお兄さんが、ちーんと倒れて抜け殻になってしまった。
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