7 / 241
一章
7.救世主2(ガウ視点)
新たに出来た小さな主は、結局私に隷属の首輪をつけることはしなかった。
焼印を押すこともせず、寧ろ肩に残された過去の焼印を、腕の利く医者を呼んでわざわざ治療してくださった。
まるで手負いの獣を慰めるような、そんな慈愛に満ちた瞳が擽ったい。
右目を縦に切り裂くように刻まれた大きな傷も、主様は微塵の嫌悪もその瞳に宿さず真っ直ぐ見つめる。お陰で、私は徐々にこの傷を『勲章』であると前向きに受け入れられるようになった。
都合の良い夢かと錯覚するほど、突如として訪れた幸福な日々。
そんなある日、別館の構成員達にふと吐かれた言葉に、私は己の立場を改めて思い知ることになる。
『愛らしいルカ様の護衛が下賤な獣人とは。高潔なルカ様が汚れてしまう』
『早々に殺処分した方が賢明だというのに。全くルカ様も何をお考えになっているのやら』
衝撃を受けた。ショックを感じたのはその言葉自体にではなく、ふいに思い知らされた残酷な事実に対してだ。
私の存在が、純粋無垢な主様を穢す?私が傍に居ることによって、主様が汚れてしまう……。
湧き上がったのは深い懺悔の念と自己嫌悪だ。私を救ってくださった主様を、今度は私がお守りしたいと、そう思っていたのに。
まさか、私の存在自体が、あのお方を汚してしまっていたなんて。
私を嘲る人間の構成員達を前に、ただ呆然と立ち尽くすことしか出来ない。
思わず毛の生えた耳を隠すようにして後退った直後、ふいに凛とした声が空間を裂いた。
『──馬鹿なことを言うな。殺処分なんて、そんなことしない。ガウは俺のだ』
構成員達が焦燥をあらわに振り返る。その先に立っていたのは、いつもは幼げな表情を怒りで顰めた主様だった。
主様の姿を視認すると、途端に構成員達は忙しなく謝罪を口にしながら立ち去っていく。その背中を呆れ顔で見据えた主様が、呆然とする私のもとに静かに近付いた。
『……ごめんなガウ。あんなこと言われて……ここが嫌だって言うなら、遠慮しないで伝えてくれ。俺が勝手に拾っただけで、ガウにはあの時、拒否権なんてあってないようなものだったから』
沈んだ声で紡がれた言葉に身体が強張った。
それはつまり、私をここから追い出す可能性を示唆しているのだろうか。
何故……私が、獣人だから?気紛れに拾ったは良いものの、もう私に飽きてしまって……だから、私を捨てようとしているのだろうか。
どうすれば、一体どうすれば主様の関心を引ける?どうすれば、捨てられずに済む?
ようやく出会えたたった一人の救世主。そんな貴方を繋ぎ止める為なら、私は神に逆らうことだって、この命を地獄の業火に投げ捨てることだって出来る。
私の醜い傷を『勲章』と例えてくださった。貴方の為なら、私は何だって……。
『ガウ。何か言いたげだな。意見があるなら、ちゃんと声に出さなきゃだめだぞ』
知らず無表情を崩していたらしい。憔悴した私の顔を見た主様は、優しげに眦を緩めてそう呟いた。
その穏やかな声音が私の背を押す。私は床に膝をつき、ただじっと黙り込んで見守ってくださる小さな主に懇願した。
『……私は貴方様のものです。この命を捨てる際は、どうか主様の御手で殺してください』
主に我儘を語るなど、奴隷の風上にも置けない。
汚らわしい獣人如きが、直々に主の手に掛けられる最期を望むなど。
獣人の殺処分というと、本来であれば殺処分対象となっている獣人を、何体か纏めて燃やすという効率化された処分方法だ。
だと言うのに、高貴な方の手に掛けられる……まるで人間のような死に方を望む、そんな私の我儘は、確実に度が過ぎている。
分かっていても、一度表に出た願望は止められない。
この出過ぎた我儘で激昂した主様に殺されるなら、それは寧ろ本望と言える。
どちらにせよ幸福だと息を吐いた瞬間、伏せた頭上から主様の苦い笑いが聞こえてハッと顔を上げた。
見えたのは愛らしい苦笑を浮かべた主様の姿。首を傾げると、ぼそりと主様の呟きが耳に届いた。
『なんでここの人たちって、いちいち物騒なんだろう……まったくガウも困ったやつだな』
私は主様を困らせているのか……!と慄く私を見下ろし、主様がふいに溜め息を吐いた。
『ガウ。つまりガウは、俺と一緒にいたいって言ってるんだよな?そういうことだよな?』
『……はい。恐れながら』
『あーもう!別に恐れなくていいの!ガウの気持ちを純粋に聞いてるだけなんだからっ』
ぷんすかという擬音が聞こえてきそうなほど、愛らしく頬を膨らませた小さな主。
主様は私の頬を両手で包み込み、天使の如き笑みをふわっと浮かべた。下賤な獣人の身体に触れて、あろうことか笑顔すら向けてくださったのだ。
私の気持ちを聞いているだなんて、主様は本当におかしなことを仰る。奴隷である獣人には私的な思考など認められていない。
拒否など以ての外だ。ただ機械的に肯定を口にして任務を遂行する。それだけが獣人である私に許された権利なのだ。
だというのに、私の気持ちを聞いているとは、一体どういうことなのか。
そんな疑問が顔に表れてしまっていたのか、主様は眉尻を下げて微笑んだ。
『俺はガウの話をしているんだ。ガウの話なんだから、最終的に一番大切にするべきなのは、ガウの気持ちだろ?』
その言葉に、堕ちた。
私の気持ちという慣れない言葉を口にする主様に、私はその時、完全に堕ちてしまった。
このお方に命を……いや、魂を捧げよう。輪廻の全てを捧げよう。
何千年も続くと言われる輪廻。その一つに過ぎない今世が、きっと数百の輪廻で最も幸福に違いない。だからこそ、今のうちに全てを捧げるのだ。
私が持ち得る永久を、この小さな主に。
* * *
主様の寵愛を受ける奴隷は私だけだと、傲慢にも思っていた。
主様は基本、あらゆる物事や人間に無関心だ。誰が相手であってもある程度の信頼関係を培うが、実はそれ以上を心から望んでいるわけではない。
誰よりも優しいお方。だが同時に誰より淡白で、ある意味ベルナルディに相応しい子供であると言える。
そんな主様だからこそ、私の中にも慢心が生まれていた。
まさか、あの主様が自ら進んで身内に引き入れたいと望む相手が現れるなんて。そんなことは微塵も想定していなかった。
主様が望んだ男は、巷で『切り裂きジャック』と呼ばれ恐れられる人間。
噂を聞く限りただの快楽殺人鬼。そんな人間を愛らしい主様の傍につけるなど危険極まりない。
主様が奴を見つけ出す前に裏で排除してしまおうか。そんなことを思ったのは一度や二度ではない。だが、それによって落胆する主様の表情を想像すると……やはり、その策を実行することは出来なかった。
結局、個人的な策を何一つ実行出来ぬままその日は訪れた。
主様は初めて別館の門を越え、汚らわしいスラム街へと足を運んだ。直々に赴かなくとも、命令をくだされば私が数分で奴を連れ帰るというのに。
それだけ話題の『切り裂きジャック』が欲しいのか。
獣人の声を不必要に発し、主様の御耳を汚してしまうわけにはいかない。
当然不満など口に出来るわけもなく、私はただ無言で主様の後を追った。
そうして、望みの『切り裂きジャック』をついに目前にした主様は、私を置き去りにして奴に駆け寄った。あろうことか、私に下がれと命令して。
「お前、俺の“家族”になれ!」
明確な温もりが籠められたその言葉。私にさえ紡いでくださらなかったその言葉を、主様は奴に向かっていとも簡単に掛けた。
主様の家族になるだなんて恐れ多い。スラム育ちの殺人鬼が、高貴なご身分の主様に直々に望まれ、あまつさえ家族という特別な地位を与えられるだと?
「主、さま……」
呟いた小声は雨音に掻き消され、主様の御耳を汚すことはなかった。
湧き上がるのは醜い嫉妬心。主様は私だけに舞い降りた天使だというのに、血濡れた殺人鬼がそれを奪うなど……そんなことは有り得ない。有り得てはならない。
獣人奴隷の分際で嫉妬をあらわに主様を抱き上げる。
そんな不敬にも主様は怒りを見せることなく、寛容な御心で私の愚行を許してくださった。
それだけではない。私へ罰を与えることもせず、あろうことか主様は、私へ慰めを与える為に汚らわしい獣耳に触れてくださったのだ──!
「俺はガウの声、とっても大好きだぞ。もふもふの耳もすごくかわいい」
御耳を汚す獣人の声を大好きだと、御手を汚す獣耳を可愛いと。
ついに私は狂ってしまったのだろうと錯覚するほど、その言葉は全てが慈愛と優しさに満ちている。
初めてお会いした時から天使の如きお方だとは思っていたが、まさか天使ではなく神の領域に達せられたお方だったとは。
「主様。私は貴方様をお慕い申し上げております」
「ん?ふふ、俺もガウのこと大好きだぞ」
身の程知らずにも抱いてしまった想いすらも、主様は寛容な御心で受け止めてくださる。
か弱いお身体を伏せて倒れてしまった主様を抱き上げ、気に食わない“兄弟”へ視線を向けた。
本音を言えば今すぐにでも排除してしまいたいが、主様のご命令とあらば無視するわけにいかない。
「妙な真似をしてみろ。即刻排除する」
「お前こそ、家畜以下の獣如きが僕の天使に触れるなよ」
何だって主様はこんな快楽殺人鬼を身内に引き入れようと考えたのか。
……いや、主様の御考えを私如きが悟ろうなど恐れ多い。今はただ、この狂人から主様をお守りすること、それだけを考えていれば良い。
愛らしい寝顔を晒して眠る主を、そっと腕の中に抱いて包み込んだ。
あなたにおすすめの小説
この世界は僕に甘すぎる 〜ちんまい僕(もふもふぬいぐるみ付き)が溺愛される物語〜
COCO
BL
「ミミルがいないの……?」
涙目でそうつぶやいた僕を見て、
騎士団も、魔法団も、王宮も──全員が本気を出した。
前世は政治家の家に生まれたけど、
愛されるどころか、身体目当ての大人ばかり。
最後はストーカーの担任に殺された。
でも今世では……
「ルカは、僕らの宝物だよ」
目を覚ました僕は、
最強の父と美しい母に全力で愛されていた。
全員190cm超えの“男しかいない世界”で、
小柄で可愛い僕(とウサギのぬいぐるみ)は、今日も溺愛されてます。
魔法全属性持ち? 知識チート? でも一番すごいのは──
「ルカ様、可愛すぎて息ができません……!!」
これは、世界一ちんまい天使が、世界一愛されるお話。
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
俺は夜、社長の猫になる
衣草 薫
BL
冤罪で職を追われた葵は、若き社長・鷹宮に拾われる。
ただし条件は――夜は“猫”として過ごすこと。
言葉を話さず、ただ撫でられるだけの奇妙な同居生活。
タワマン高層階の部屋で、葵は距離を崩さない鷹宮に少しずつ惹かれていく。
けれど葵はまだ知らない。自分が拾われた本当の理由を。
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!
ずー子
BL
戦争に負けた貴族の子息であるレイナードは、人質として異国のアドラー家に送り込まれる。彼の使命は内情を探り、敗戦国として奪われたものを取り返すこと。アドラー家が更なる力を付けないように監視を託されたレイナード。まずは好かれようと努力した結果は実を結び、新しい家族から絶大な信頼を得て、特に気難しいと言われている長男ヴィルヘルムからは「右腕」と言われるように。だけど、内心罪悪感が募る日々。正直「もう楽になりたい」と思っているのに。
「安心しろ。結婚なんかしない。僕が一番大切なのはお前だよ」
なんだか義兄の様子がおかしいのですが…?
このままじゃ、スパイも悪役令息も出来そうにないよ!
ファンタジーラブコメBLです。
平日毎日更新を目標に頑張ってます。応援や感想頂けると励みになります。
※(2025/4/20)第一章終わりました。少しお休みして、プロットが出来上がりましたらまた再開しますね。お付き合い頂き、本当にありがとうございました!
えちち話(セルフ二次創作)も反応ありがとうございます。少しお休みするのもあるので、このまま読めるようにしておきますね。
※♡、ブクマ、エールありがとうございます!すごく嬉しいです!
※表紙作りました!絵は描いた。ロゴをスコシプラス様に作って頂きました。可愛すぎてにこにこです♡
【登場人物】
攻→ヴィルヘルム
完璧超人。真面目で自信家。良き跡継ぎ、良き兄、良き息子であろうとし続ける、実直な男だが、興味関心がない相手にはどこまでも無関心で辛辣。当初は異国の使者だと思っていたレイナードを警戒していたが…
受→レイナード
和平交渉の一環で異国のアドラー家に人質として出された。主人公。立ち位置をよく理解しており、計算せずとも人から好かれる。常に兄を立てて陰で支える立場にいる。課せられた使命と現状に悩みつつある上に、義兄の様子もおかしくて、いろんな意味で気苦労の絶えない。
処刑エンドの悪役公爵、隠居したいのに溺愛されてます
ひなた翠
BL
目が覚めたら、やり込んだBLゲームの悪役公爵になっていた。
しかも手には鞭。目の前には涙を浮かべた美少年。
——このままじゃ、王太子に処刑される。
前世は冴えない社畜サラリーマン。今世は冷徹な美貌を持つ高位貴族のアルファ。
中身と外見の落差に戸惑う暇もなく、エリオットは処刑回避のための「隠居計画」を立てる。
囚われのオメガ・レオンを王太子カイルに引き渡し、爵位も領地も全部手放して、ひっそり消える——はずだった。
ところが動くほど状況は悪化していく。
レオンを自由にしようとすれば「傍にいたい」と縋りつかれ、
カイルに会えば「お前の匂いは甘い」と迫られ、
隠居を申し出れば「逃げるな」と退路を塞がれる。
しかもなぜか、子供の頃から飲んでいた「ビタミン剤」を忘れるたび、身体がおかしくなる。
周囲のアルファたちの視線が絡みつき、カイルの目の色が変わり——
自分でも知らなかった秘密が暴かれたとき、逃げ場はもう、どこにもなかった。
誰にも愛されなかった男が、異世界で「本当の自分」を知り、運命の番と出会う——
ギャップ萌え×じれったさ×匂いフェチ全開の、オメガバース転生BL。
余命僅かの悪役令息に転生したけど、攻略対象者達が何やら離してくれない
上総啓
BL
ある日トラックに轢かれて死んだ成瀬は、前世のめり込んでいたBLゲームの悪役令息フェリアルに転生した。
フェリアルはゲーム内の悪役として15歳で断罪される運命。
前世で周囲からの愛情に恵まれなかった成瀬は、今世でも誰にも愛されない事実に絶望し、転生直後にゲーム通りの人生を受け入れようと諦観する。
声すら発さず、家族に対しても無反応を貫き人形のように接するフェリアル。そんなフェリアルに周囲の過保護と溺愛は予想外に増していき、いつの間にかゲームのシナリオとズレた展開が巻き起こっていく。
気付けば兄達は勿論、妖艶な魔塔主や最恐の暗殺者、次期大公に皇太子…ゲームの攻略対象者達がフェリアルに執着するようになり…――?
周囲の愛に疎い悪役令息の無自覚総愛されライフ。
※最終的に固定カプ