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三章
67.黒幕の目的(後半アロルド視点)
前世は病弱で小心者な、ただの平和ボケした少年だった。
病室暮らしということもあって、血を見る機会は普通の人よりあったし、“死”という概念に向き合う機会も多かった。
けれどそれは既に“死”が終わっていたり、“死”と言っても穏やかなものだったりすることが多い。つまり俺は、“平和な国でのよくある死”しか知らなかったのである。
だから、たった今目の前で起こった“死”は衝撃だった。
つい数秒前まであの世なんてずっと先にあるみたいな顔をした人間が、突然生を奪われる。それも、自死や事故じゃなく、他人の手で。
それがあまりに衝撃的で、何より、怖かった。前世、死を目前にした時に感じたものよりもずっとずっと大きな恐怖を、その時俺は感じていた。
「──当主と坊ちゃまをお守りしろ!」
「──周辺の敵を全て捕らえろ!」
怒号にも似た指示や命令が辺りを飛び交う。
それがまるで遠くの場所で行われているみたいな、そんな感覚がして不思議だった。
声も音も全てが遠く聞こえる。父が俺を守るようにぎゅうっと抱き締めるその力も、俺達のすぐ傍を壁のように並んで取り囲むスーツの構成員達も、全部遠く感じた。
父が羽織っていたマントを剥ぎ取り、俺を頭からすっぽり隠すように覆って包む。俺の姿を隠すというよりは、俺の急所を隠しているのだとやけに冷静な頭で察した。
銃弾なんてどこから撃ち込まれるかわからない。存在自体を隠すことはもう遅い。だからせめて、急所を隠してくれているのだと。
いつもなら媚売りの為に『お父さまこそ隠れてくださいっ!』なんてクールなことを叫んでいただろう。でも、今はだめだった。
「っは……はぁ、ぅ、っ……!」
身体がガタガタと大きく震える。眩暈も動悸も収まらない。
徐々に荒くなっていく息は、荒いを通り越してもはや過呼吸の域にまで達していた。
変な汗が止まらない。目がぐるぐる回って、揺れて。震える手は父の服をきゅっと摘まむことすら出来なくて、結局拳を作って父の胸元に押し当てるだけが精一杯だった。
顔も全部、父に擦り付けるくらいの勢いで押し当てる。その度に父が抱き締める力を強めてくれるから、少し苦しかったけれど寧ろ安堵の方が上回った。
「ルカ、索敵に反応は無かった。もう周囲に敵はいない。だから安心……ルカ?ルカ、どうした?」
あぁ、父が何か言っている。何かを俺に伝えているみたいだ。
でもどうしよう。聞こえない。耳がおかしくて、なんにも聞こえない。重要な報告だったらどうしよう。どうしよう。
俺を包んでいたマントがぺらりと捲られる。暗闇に光が射し込んだけれど、その変化がとても怖かった。
暗くて何も見えなければ、怖いものを見ずに済むのに。光が射し込んでしまったら、全部見えてしまうじゃないか。痛いものも、怖いものも。
こわい、こわい。また目の前で“死”が起こったら……。それも、俺の知るよくある死じゃない。この世界だとよくあるかもしれない、けれど俺には縁のない恐ろしい一瞬の死が。
「あ、ぁっ、こ、こわぃ……やだ、やだっ……」
「ルカ?どうしたのだ、ルカ。ルカ、私を見ろ」
父の声が遠い。射し込んだ光が怖い。穏やかじゃない“死”が怖い。
思い出す。蘇ってしまう。一度経験した死を思い出してしまう。
大切な家族を前に、寂しいと嘆くことも出来ず、抵抗なんて出来るわけもなく問答無用で引っ張られる。その感覚が蘇る。
あの日の二の舞はごめんだ。別に死ぬのが怖いわけじゃない。それ自体はもう慣れている、別に怖くない。けれど、違う、俺が怖いのは……。
想像してしまったからだ。大切な家族へ別れの言葉も告げられず、敵しかいない場所でひっそりと、そして一瞬で息絶える。
その最悪の結末を、想像してしまったから。
「お、とうさま、とうさま……やだ、ここにいて、ぎゅってしてぇ……っ」
死が近い。家族と離れたくない。俺の死を見ていてほしい。独りで死ぬのは嫌だ!
あの無力感を、もう二度と味わいたくない……。
涙をぽろぽろ零しながら、半ば錯乱状態で小さく訴える。
その混乱から引っ張り上げてくれたのは、やっぱり大切な家族だった。
「──ルカ、ここにいる」
ぎゅうっと。いっそ窒息死でもしてしまうんじゃないかと思うくらい、息苦しい抱擁。
それを突如受けたものだから、その瞬間にハッと我に返った。涙でくしゃくしゃになった顔を恐る恐る上げると、そこには真剣な表情を浮かべた父がいる。
「ここにいる。心配せずとも、ルカを離すつもりはない。どんな時でも私はお前の傍にいる」
頬を伝う涙をむにゅっと拭われる。ぱちくり瞬くと溜まっていた最後の涙が伝って、その後にすぐ意識が遠くなった。
我に返って安心したのか、この数十秒の錯乱状態が思っている以上に身体に響いたのか。分からないけれど、とにかく身体が限界を迎えたということは確かだった。
遠のく意識に逆らえない。すとんと電源が落ちるみたいに意識を閉ざした。
***
錯乱した状態からようやく醒めて戻ってきたルカは、だがすぐに意識を手放し愛らしい寝顔を晒し始めた。
小さな身体であれほどまでに全力で混乱をあらわにしたのだ。短時間で疲労が溜まって当然だろう。ぐったりとするルカを抱き締め、己の無力さに溜め息を吐いた。
ルカが気丈な姿を装いつつ、実はマフィアの血筋にしては珍しい気弱な気質の子であることを察していたというのに。
目の前で見慣れた死が散っても、すぐにルカの精神状態を気に掛けることが出来なかった。
何故なら私には、起こった出来事があまりに日常的過ぎて、ルカにとっては非日常であるという思考をそもそも生み出せなかったから。
「ルカ……すまない。直ぐに帰ろう、疲れてしまったな」
裾でルカの額の汗を拭ってやりながら呟く。
天使のように清らかで純粋で、目を瞠るほどに純真無垢。そんなこの子に惨い光景を見せてしまうとは一生の不覚。腹を切って詫びても足りないほどだ。
……私がマフィアでなければ、この子に美しいものだけを見せてあげられたのだろうか。
「──おとーさま」
柄にもなく落ち込んだことを考えていると、ふいに不愉快な呼び名が聞こえて眉を顰めた。
振り返った先には、ルカのお気に入りであるジャックがへらへらとした笑顔を浮かべて立っている。正直、この手の人間はあまり好かない。
今回の作戦も、ルカの為でなければ考え付くことすらなかったことだ。ルカのお気に入りでなければとっくに危険分子として殺しているところだが、それが出来ないのだからもどかしい。
表情に嫌悪感と不快感をありありと滲ませて「何用だ」と問うと、ジャックは苦笑を浮かべて控えめに答えた。
「うーわ、前から思ってたけど……おとーさまって僕のこと嫌いなのぉ?」
「気味の悪い呼び方を訂正しろ。私をお父様と呼んでいいのはルカとアンドレアだけだ」
その答えに「親ばかぁ」と揶揄うようにケラケラ笑うジャック。
殺意を抑え込んで口を噤むと、ジャックはやがてスンと表情を真面目なものに切り替えて全く別の話題に移った。
以前から思っていたが、本当に人間とは思えない男だ。切り替えの早さも興味の移ろいも、まるで人間味を感じない。感情を持っていないかのようだ。
「ねぇ当主様。もう気付いていると思うけど、僕の姉を殺したのはアイツじゃないよ」
突然切り替わった話題に一瞬反応が遅れたが、すぐに目を細めて「そうか」と頷く。
「そもそも、貴様らの復讐に暗殺ギルドは無関係なのだろう?面倒事を切り上げる為に冤罪を許容するとは、身内の復讐だというのに随分淡白なのだな」
そう言うと、ジャックは微かに目を見開いた。だがそれはすぐにスゥッと弧を描き、愉快気にニコッと笑みが浮かぶ。
ふと視界の端に、つい先程息絶えたギルドマスターの亡骸の前に、呆然と膝をつく男の姿が見えて眉を顰めた。あれが例のカルロという男か。
目の前で長年の仇が呆気なく撃ち殺されたのだから、その絶望は計り知れないものだろう。その男が復讐とは全くの無関係であるということに気付かない限りは。
「……別に淡白なわけじゃない。だってアレは仇じゃないし、別にどうでもいいよ。僕の本命は別にいる。僕はそれを知っている」
ただそれだけの話、とにこやかに語るジャックの瞳の奥には、確かに燃え盛る殺意と憎悪が滲んでいた。淡白に見えて、実際はかなり切羽詰まっている様子だ。
だがしかし、此方側としては切り裂きジャックの復讐などには興味が無い。
つい数秒前に目の前で起こった出来事だって、この世界にいれば毎日のように視界に入るものだ。特段珍しいことでもない。
何にせよルカの願いは叶えた。これでジャックの言う『ケジメ』は果たし終えたはず。ということは、私の出番はこれにて終了という訳だ。
ルカもこの状態だ、さっさと帰ってしまおう。そう思い踵を返した瞬間、ふとジャックが紡いだ言葉でピタリと動きを止めてしまった。
「あいつ言ってた。"二大ファミリーに絶望と衰退を"って。裏を支配する、とか何とか」
ルカを抱いたまま振り返る。静かに見据える私の視線にも臆することなく、ジャックは強い眼差しを返して再び言葉を紡いだ。
「──黒幕の目的は、二大ファミリーの破滅だ」
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