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三章
87.狼
とてとてっとロキが消えた方向へ向かうと、表の庭園と比べてちょっぴり質素な庭へ出た。
枯れた噴水に、小さな池、地面に咲くのも目立たない草花のみだ。
ここは一体……?と、ヴァレンティノ家の庭園には一見似合わないような空間を見渡す。
静かに足を進めると、やがて少し歩いた場所に小さなガゼボが見えた。白を基調とした……こっちは邸の雰囲気にも相応しい神秘的な造りをしている。
そろーりと茂みから覗くと、ガゼボの中に微かに人影が見えた。目を凝らし、その人影の正体がロキであることを確認してとてとてっと近付く。
ガゼボ越しに綺麗な満月を視認しながら歩み寄ると、一瞬人影がぐらりと揺らめいたように見えておもわず立ち止まった。
「むむっ……?」
気のせいじゃない。たしかに、ロキの人影がぐらぐらしている。
もしかして、具合が悪くてふらふらしているのか?そうか、だから会場を抜け出して一人で酔い覚ましでも……と名推理をしながら駆け寄り、やがて近くでその正体を目撃して目を見開いた。
そこにいたのは、さっきまでたしかにロキだったはずなのに。
今ガゼボに佇んでいるのはロキじゃない。人間ですらない。それは、とても大きな……
「──おおかみ?」
真っ白な毛並みと、宝石みたいな赤い瞳。
俺よりも大きな体躯をしたその動物は……どこからどう見ても、狼だった。
「な、なんっ、ロキはどこいった……!?」
つい数秒前まで、そこにはロキが立っていたのに。どうしてロキが突然消えて、狼が我が物顔でガゼボに佇んでいるんだ。
慌てて周囲をきょろきょろ見渡す。やっぱりロキの姿はどこにも見えない。
まさか……!と最悪の事態を想像してサーッと青褪めた。
まさかのまさか。この狼、ロキをこの一瞬でぺろりと平らげてしまったのでは……!
「だ、だ、だめ……っ、だめだ!」
攻め主人公が物語序盤でお亡くなりになるとかシャレにならんぞ!
それも狼にぱくぱくされるのが結末だなんて、そんなの絶対だめだ。なんというか、ぜんぜん主人公っぽくない。
そう思った俺は、圧倒的強者のオーラを放つ肉食動物への恐怖も忘れて、なんてこったー!とあわあわしながら狼に突撃した。
「ま、まてーぃ!そこのおおかみ、待たんかーっ!」
とてとてっと全速力でガゼボに乗り込み、でっかい狼の前にふんすっと立ち塞がる。
驚いたように振り返った狼は、俺を視認するなりぱちくり瞬いて固まった。動く気配のないその隙に、くわっと全力で激おこを訴える。
「おまえっ!ロキをどこへやった!ぺろりしちゃったならいますぐ吐けっ!ロキを食べちゃだめなんだぞっ!このっ、この!」
もふもふの毛並みをぽかぽかっとぶん殴る。
毛並みから想像するほど身体は柔らかくはなく、むしろ石壁かな?と首を傾げちゃうくらいには頑丈だった。
これじゃあバトルで勝つことは出来なさそうだ。そもそも狼に勝負を挑むなんて考えてすらいなかったけれど……。
なんて。既に狼に勝負を挑んでしまっていることに気が付いたのは、ちょうどその時だった。
ぽかぽかっとぶん殴った記憶が走馬灯みたいに蘇り、その瞬間死を確信する。
「あ、あの、そのぅ」
「グルルルルッ!」
俺が怖気づいた途端、低く唸り始めた狼を前に「ぴぇっ!」と尻餅をつく。
おしりで後退りつつ涙目になると、狼は赤い瞳をスッと細めてゆっくりと近付いてきた。
ぺろっと俺の頬を舐める舌にガクガク震えながらも、気丈にクールを装って言い放つ。
「お、おれを食べてもおいしくないぞっ……!ど、どうしても食べたいっていうなら、まずロキをかえせっ……!」
「……」
「おれのことはっ、ぱくってしていいからぁっ……だから、ロキはかえしてくりぇぇっ!」
ぎゅうっと目を瞑ってお願いすると、狼はグルルッと鳴らしていた声を止めた。
ロキは主人公だから死ぬはずがない。こんな序盤に結末が訪れてしまうなんて、本来ならありえないことだ。
つまり、これはイレギュラー。バグみたいなもの。それを発生させてしまったのは間違いなく、この世界でのイレギュラーである俺のせいに違いない。
今まで、俺は自分が生き残るためにたくさんの原作改変をしてきたわけだし……こうして主人公の運命にまでバグが起こってしまっても何らおかしくない。
それなら、俺がきちんと責任をとらないと。
この狼にぱくりともぐもぐされたとしても、ちゃんと俺がロキを正しいシナリオに戻してあげないと。
そう思ったから、話の通じない狼相手にもバカ正直にお願いした。
「ろ、ろきに、ひどいこと言っちゃったんだ……ごめんなさい、しにゃいとなのにぃ……」
「……」
「ロキは、ほんとはいいこなんだぞっ……なのにおれ、おばかなこと言っちゃって……」
「……」
「ぺらぺらのにこにこにも……りゆーが、あるの、おれ知ってたのにぃ……!」
これが最期になるかもしれないって、そういう感覚が確かにあるからだろうか。
まるで遺言みたいな、未練の滲んだ言葉が次から次へと吐き出てしまう。涙もぽろぽろ溢れたまま一向に止まらない。
ぴえーっ!と恥も外聞もなく泣き喚きながら、俺は狼に縋りついた。
「たのむぅぅ!ロキかえしてくりぇぇ!」
その時だった。ずっと黙っていた狼がふいにゆらりと動き出して、俺の前にぺたんと伏せたのだ。
まるで屈服するかのように。寝転がるみたいに地面に伏せた狼を見下ろし、おもわず涙がむぐっと止まる。足元に見えるもふもふの耳を撫で回したくなったけれど、必死に堪えた。
『──君は、本当に……』
突然、どこからか声が聞こえて飛び上がった。
ここには俺と狼しかいないはずだが……?と辺りを警戒しつつキョロキョロすると、すぐに再びその声が耳に届いた。
『どうしていつも、俺の内側に入り込んでくるんだ』
ようやく、その声の主が目の前にいることに気が付いた。
真っ直ぐ俺を見つめる赤い瞳と、艶やかな白い毛並み。それがどことなく、彼に重なって見えたような気がしたから。
だから、俺はおもわず、言葉の通じないであろう狼に向かってぽつりと呟いてしまった。
「ロキ……?」
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