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三章
88.誰の常識?
俺のぽつりとした呼び掛けに、狼は赤い瞳をスゥッと細めて答えた。
その瞳の奥に見える蕩けるような甘さが、彼の仮面とぴったり重なって見えたことで確信する。思った通り、この狼はロキで間違いない。
「ろ、ろき?た、たべられたから、合体しちゃったのか……?」
あわあわと動揺するあまり、ロキが実は『獣人』だったという事実を頭からぽーんとなくして大混乱してしまった。
とはいえ、見慣れたちっちゃなぽてぽてわんこじゃなかったのだから、すぐに理解出来なかったことは別に悪くない。だってだって、でっかいんだもん。俺のわんこどこだよぅ。
『ふふ、合体じゃないよ。何度も獣化の姿を見たでしょ?俺は獣人だよ』
「あ、そ、そっか……いやちがうぞっ!ロキはちっちゃなわんこなんだぞっ!?」
にこやかに微笑む狼に、さっきまでの威圧感や恐怖は感じない。
この子の正体がロキであると知ったからだろうか。不思議なほどに震えは収まって、むしろもふもふの毛並みに顔を埋めるくらいには恐怖が吹き飛んだ。
むぎゅむぎゅと毛並みを抱き締めながら首を傾げる。
ロキが獣人だったことは思い出したし、納得はした。でも、狼の姿であることにはまだ納得できていない。ロキはかわいいわんこの獣人じゃなかったのか?
そんな疑心を目敏く察したのだろう。
ロキは俺のほっぺをぺろりと舐めながら、何やら上機嫌な様子で答えた。
『もしかして、まだ俺のこと犬獣人だと思ってる?たしかに覇気は抑えていたけど……まさかここまで鈍感だとは思わなかったな』
「む?おれ、バカにされてる……?」
緩やかな笑みと穏やかな声だったから、一瞬いいことを言われているのかと誤解してしまった。よく聞くと普通に小馬鹿にされたらしくて泣いちゃうぞ。
ぷくぅ……とサメさんに口元を埋めて不貞腐れる俺を見上げ、ロキはまたニコッと笑った。
『ヴァレンティノ家の紋章、見たことない?』
柔らかな声音で拗ねていた心が和らぎ、そーっと顔を上げた。
優しい視線を受けながら考える。ヴァレンティノ家の紋章……数秒考えてハッとした。
それなら、ちょうどここに来たときに見たじゃないか。ヴァレンティノ家の紋章、そこに描かれた獰猛な獣の姿を。
「ほ、ほんとに?ロキってば、ほんとにおおかみなのか……?」
おもわずクワッと前のめりになり、ロキの身体をもふっ!と両手で包み込む。
背中や耳、尻尾や正面からの姿。どこから見ても、今ここにいるのは神秘的な白い毛並みをした狼でしかない。
本当にこの姿が、ロキの獣化の本体だっていうのか……?
ぱちくり瞬く俺を見てロキがクスクス笑う。けれどすぐにその笑みを困ったようなものに変えて、少し低い声で呟いた。
『……嫌になった?怖く、なった?俺が子犬じゃなく狼だって知って……』
スリスリ、と俺の膝に擦り寄る仕草は、まるでどこにも行かないでと縋り付く子供のようだ。
『それだけじゃない……赤い瞳の狼なんて、不吉過ぎるよね』
そのセリフを聞いて思い出した。そうだ、そういえばこの国では赤い瞳が忌み嫌われるだけじゃなく、狼という動物も畏怖の対象として知られているんだった。
狼は災いを運んでくる。古くからそういう言い伝えのある宗教が民衆の四割ほどに布教されていることから、狼嫌いは広く一般的なものとなっていた。
そんな、この国の嫌な風習や常識。それが偶然ロキに多く影響してしまっているこの現状。
ロキは赤い瞳を持つだけでなく、奴隷以下の扱いを受ける獣人であり、人々に忌み嫌われる狼でもある。まさにコンプリートって感じだ。
『赤い瞳で、獣人で、狼だなんて。忌み子になるために産まれてきたようなものだ』
……ふと思った。それだけの嫌悪と偏見の視線に晒されて生きてきたのだから、幼い内から仮面を作り上げてしまうのも無理ないだろうと。
恐らく獣人である事実は公に隠してきたのだろうけれど、赤い瞳に関してはどうにもならない。ロキがこれまでに浴びてきた嫌な感情の数々は、他人である俺には想像も出来ない。
「……おれがしってる国の、じょーしき、だと……ぜんぜんちがうぞ」
もふもふをサメさんごとぎゅっと抱き締めて呟く。
すると、ロキはピクッと耳を揺らして俺を見上げた。赤い瞳に宿る感情は上手く読み取れない。
けれど、それでも俺は必死に、大切な記憶をそっと開くように、前世を思い出して語った。
「おおかみは、守り神なんだぞ。すっごくかっこいい、さいきょーの動物なんだぞ。赤は、ヒーローの色だし……目なんて、みんな飽きたらふつうに色を変えるんだぞ」
『そんな国が……ほんとうにあるの?』とロキが掠れた声で呟く。
俺はそれにこくこくっと何度も頷いて、当たり前だろっ!と涙目になりながら答えた。
「いいかっ!じょーしきなんて、場所によってちがうんだぞ!人によっても、ちがうんだぞっ!ヒーローの色は、赤じゃなくてピンクだって言うやつもいるんだ!」
『っ……』
「さいきょーはゾウさんだって言うやつもいるし、ライオンさんだって言うやつもいる!赤い目をイタイって言うやつもいるけどっ……こどもはだいたいカッケーって言うぞ!」
ロキが呆然と俺の叫びを聞き入る中、なぜか俺が熱くなって泣き始めるというカオスな状況が巻き起こる。
ぽろぽろと涙を零しながら、俺はロキをぎゅーっ!と抱き締めて強く叫んだ。
「今まで聞いてきたほんのちょっとのじょーしきを、みんなのじょーしきだと思うなっ!す、少なくとも、おれからしたら『赤目の子は忌み子』なんてわけわかめだぞっ!」
心なしか腕の中のサメさんもしくしく泣いている。
熱くなって泣くなんて恥ずかしいけれど、それでも、廃れた大人みたいな目をするロキには言わなきゃいけないと思ったから。
「まだこどものくせにっ、たった十年ぽっちしか生きてないくせにっ!ちょっとじょーしきがちがうだけの、イヤなやつの言葉しかきいてないくせにぃぃ……!」
『──……』
「おれっ、ちゃんと言ったじゃんかぁぁ……おまえが、おまえが聞かないだけだろぉ!イヤなやつの言うことしか、聞こうとしないだけじゃんかぁぁ!」
ぽろぽろどころじゃない、ぼろぼろと涙を溢れさせながら、自分でも何を言っているのか分からないめちゃくちゃな言葉を叫ぶ。
けれど、想いはなんとなくでも伝わってくれたらしい。ロキの赤い瞳に宿る仄暗い色、それがほんの少しだけ、輝いたような気がした。
「うじうじヤなやつのことばっか見てないで、ちゃんとおれを見ろ!おばかぁぁっ!」
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