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五章
156.ブチ切れお兄さま
深い眠りを無理やり妨げた困ったさんの正体は、どこからか響く言い争いのような喧噪だった。
罵声やら怒声やらが聞こえた気がして、その物騒な気配を無視することも出来ず重い瞼を叱咤して開く。ぱちくり瞬きながら周囲を見渡した直後、俺は目の前の光景を見てバッ!と身体を起こした。
「なっ!お、おにいさまっ!?ろろっ、ろきぃっ!?」
ちゅんちゅんと小鳥の囀りが開け放たれた窓から聞こえてくる中、室内はそんな爽やかな外の空気とは裏腹に殺伐とピリついていた。
いや、ピリつくというのは語弊があるかも。だって正確には、もうそのピリつきが爆発してとんでもない騒ぎが巻き起こされた後のようだったから。
俺がすぴすぴと眠っていたベッドのすぐ傍で取っ組み合いの喧嘩をしていたのは、ガウン姿のロキときっちり外出用の服装に身を包んだアンドレアだった。
「──貴様ッ!今日こそは殺す!!覚悟しろこの変態野郎!性犯罪者!死ね!」
「──ちょっ、誤解を招くようなこと言わないでよ!最後まではしてないって言ってるじゃんか!」
「──手を出したのは事実なのだろうが!大人しく跪いて首を差し出せクズ!死ね!」
常に冷静沈着クールの化身と言われるあのアンドレアが、お腹から声を吐き出して叫んでいた。
あたふたと抵抗するロキを無理やり倒して馬乗りになり、物騒な剣を振り上げて今にもロキを斬り殺そうとしている。それを見た俺は、慌ててベッドから飛び降りてアンドレアに駆け寄った。
「おにいさまっ!やめてぇーっ!」
ぴとっ!と勢いよく抱き着き、ロキに馬乗りになっていたアンドレアの身体を床に押し倒す。
剣がガシャンッと落ちる音を聞きつつ、アンドレアをこれ以上暴走させないようぎゅーっと抱き締めて拘束した。状況の理解はおいつかないが、とりあえずアンドレアを落ち着かせないと。
「だめっ!だめぇっ!おにいさま!ロキを殺したらおにいさまがつかまっちゃうぅーっ!」
「ちょ、ルカちゃんっ?俺の心配は……?」
なんか後ろから困惑気味な声が聞こえてくるが無視だ。今はアンドレアが第一優先。
むぎゅむぎゅとアンドレアを抱き締めて『どーどー!』と宥めること数秒。
やがてアンドレアはムスッと眉を顰めたような、けれどどこか悔しそうに歪んだ表情を浮かべた。なんというかその……複雑そうな顔、と言えば分かりやすいだろうか。
その顔は一体どういう心情かね!とドキドキバクバクな俺をぎゅうっと抱き締めると、アンドレアはふいにそろりと身体を起こした。
「んむっ。お、おにいさま?」
「……」
「むぅ……ちょっぴり、くるしーぞ……ふん、ふんぬぅ……」
ぎゅっ、というより、ぎゅむむぅーって感じの抱擁にあわあわ目を回す。
ぱたぱたと抵抗する俺に気が付いたからか、はたまた単に抱擁に飽きただけか。息苦しいくらいのぎゅーを突如解いたかと思うと、アンドレアは鼓膜に直接語り掛けるみたいに耳元で囁いた。
「──……おはよう。ルカ」
しゅわわぁっ!と毛が逆立つみたいに全身を震わせる。
寝起き直後のような色っぽい低音にドギマギしながら、むんっと肩に顔を埋めて頷いた。
「お、おはよー、ごじゃいましゅ。おにーしゃま」
かみかみの挨拶にも、アンドレアはふわっと優しい微笑を返してくれる。
いつもの優しい姿が戻ってきたことに安堵してふにゃふにゃと蕩ける俺を抱き上げると、アンドレアは無言で立ち上がりスタスタと歩き出した。
向かう先はどうやら扉の方らしい。む?と首を傾げると同時に、アンドレアの肩越しにロキと視線が合ってぱちくり瞬いた。
「ちょまっ、待って!アンドレア、ルカちゃん連れてかないで!」
あまりにも無駄のない淡々とした流れだったために、流石のロキも反応が遅れちゃったみたいだ。
あわわっと慌てた様子で駆け出したロキがアンドレアに縋りつく。その瞬間、アンドレアは不快そうに顔を顰めてロキの拘束から逃れるべく抵抗を始めた。
「クソ。クソ野郎。離せ、死ね。くたばれ。爆ぜろ。地獄に落ちろ」
「んんッ直球!ねぇごめんって!ごめんなさい!許してお義兄さま!お願い!お前に見放されたらルカちゃんとの結婚が遠のいちゃう!」
「俺の弟はこれまでもこれからもルカだけだ。義弟が出来る予定など永劫無い。死ね」
「んぐぇッ!」
後ろに片足を振り上げて容赦なくロキの急所をぶっ潰すアンドレア。ひえぇいたそうだぞ。
たまたま死亡のお知らせと共に、ロキがへにゃっと力無く床に伏せる。
どうやら今回の喧嘩はアンドレアの勝利で確定のようだ。これでアンドレアが523勝522敗ってところだろうか、あんまり忠実に調べていないからちょっぴり曖昧だけれども。
最早お馴染みとなった……けれど普段よりもガチ感やら殺意やらが断トツな、本日の主人公組の喧嘩が終了したらしい。うむうむ、平和がいちばん。
「ここでの外泊など許可した俺が馬鹿だった。ルカがどうしてもと嘆いていたと聞いたから嫌々許可したが……これからは絶対に無しだ、もう二度と外泊は許可しない」
「んむ?」
独り言みたいに愚痴を呟きながら部屋を出るアンドレア。その愚痴の内容を聞いてきょとんと首を傾げた。
俺が……俺が“どうしてもと嘆いていた”だって?なんじゃそりゃ、俺そんなの初耳だぞ。俺ってばそんなに嘆いてたかな、嘆いてた?うーむ、よくわかんないけど、嘆いてたのか……ふむ。
これが解釈の違いってやつかえ?とちょっぴりハテナを浮かべながらも、たぶん俺が勘違いさせるような発言しちゃったんだろうな……と反省して何も言うことはしなかった。
俺べつに嘆いてなんかないぞ、と今更言っても後の祭り感が半端ないし。実際にお泊りはしちゃったのだから、わざわざそれを口にする必要もない。
「帰るぞルカ。二度とこの変態には会わないように。外泊など以ての外、邸の行き来も許可しない」
「……ほぇ?」
ふすふすと思考を巡らせている最中にアンドレアがふと紡いだセリフ、それを聞いてぎょっと目を見開いた。
外泊禁止はまだいい。ちょっぴり、いやかなーりいけないことをしちゃった自覚はあるし、実際にロキもそれを認めて反省している。だから、外泊はだめ!と言われるのは納得できる。
でもでも、二度と会っちゃだめって。邸の行き来もだめって。そんなの、そんなのはちょっぴり納得できないぞ、ひどいぞかなしいぞ。
むぅん、と涙で瞳を潤ませつつアンドレアをじっと見上げる。こうなったら秘技『きゅるるんうるうるおめめ作戦』を実行するしかないな……。
「おにしゃま……やだ、やだ。ロキとあえないの、やだぁ」
「──ッ……!」
「ル、ルカちゃんんッッ!!」
うるしゃいっ!ロキは今シーだぞ!と冷や汗を掻きながらも、そのふためきを悟られないよううるうるおめめを保つ。
頼むから効いてくりぇ!とお祈りしながら待つこと数十秒。やがてアンドレアがぽつりと呟いた返答を聞いた途端、へにゃりと身体の力が抜けた。
「……そんな顔をしても、今回ばかりは許可出来ない。変態クソ野郎との交流は禁止だ」
ががーんっ!と絶望の表情を浮かべてがっくし肩を落とす。
アンドレアの肩越しにロキへ視線を向けて、へにゃりと力無く手を振りながら語り掛けた。
「ごめんよぅロキ。えいえんに、おわかれだぞ。ばいばい。じゃあの」
「ルカちゃんッ!?もっと未練曝け出してよッ!俺のこと大好きって言ったじゃんッ!」
何やらメンヘラみたいなことを叫ぶロキは完全スルーで、アンドレアはスタスタと容赦なく部屋を出てしまった。ちらりとアンドレアの顔を見上げて絶望する。
こりゃあ、帰った後のお説教が今から憂鬱だぞ……がっくし……。
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