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五章
173.主の怒り(ミケ視点)
苛立ちの滲んだガシャンッという音が鳴り響き、ただでさえ張り詰めていた空気が更に凍り付いた。
壁に叩き付けられたのは酒の入ったグラス。割れた破片が散らばった床には、これより前に既に叩き付けられていた灰皿も転がっている。
つい昨日までは埃一つ無い部屋だったはずなのに、今となっては廃墟か抗争後かと見紛うほどの惨状。原因は十中八九、昨夜からピリついた空気を纏っているこの男のせいだ。
「ねぇアンドレア、ちょっとさっきからうるさいよ。物に当たっても仕方ないでしょ」
救世主かただのKYか。誰も恐ろしくて声を掛けることすら出来なかった若にふと苦言を呈したのは、かれこれ数時間無言を貫いていたヴァレンティノの若様だった。
うちの若が昨夜からどれだけ暴れ散らかそうが微塵も反応しなかっただろうに、どうやら流石に忍耐にも限界が来たらしい。確かに、ぶっちゃけ超うるさかったからな。
ヴァレンティノの後継者が発したその言葉に、若は浮かべていた鬼の形相を更に歪めてふと立ち上がった。突如動き出したかと思うと、若はヴァレンティノの胸倉を掴み上げて低く唸る。
「貴様が文句を言える立場か?今回の件は貴様がルカを一人にしたことが原因だろう」
普段の冷静さを全て欠いた様子の若に対して、ヴァレンティノは嘲笑を零して吐き捨てた。
「はは、まぁそうだね。確かにルカちゃんを奪われちゃったのは俺の油断のせいだし、その言葉には何も反論できないよ。でも……それは君も同じじゃないか」
空気は相変わらず張り詰めている。他の構成員たちが二人の殺気に耐え切れず震える中、ヴァレンティノはトドメを刺すように若の耳元で呟いた。
「自分の後悔まで人に押し付けるってのは、感心しないね?」
若の肩が僅かに揺れる。あの若にしては珍しく、図星を突かれたのだろうと察した。
確かに、若に非が無かったと言えば嘘になるだろう。なんてったって、若は天使……ルカ坊ちゃんを守る為の護衛を配置していたにも関わらず、全て使い物にすら出来なかったのだから。
油断があったのは若も同じ。今回の件の責任を問う資格というものがあるのなら、それは若も持つことが出来ないに違いない。
それを若自信も理解しているからか、案外容易くヴァレンティノの胸倉を掴む拘束は解かれた。
ヴァレンティノは項垂れる若の肩にポンと手を置くと、いっそ清々しいほどの笑顔を浮かべて言い放った。ノリ的には、挨拶くらいのテンションで。
「大丈夫。もしルカちゃんに“何か”あれば、ちゃんと命で償うよ。俺はルカちゃんのいない世界で生きていくとか無理だから。安心して、俺を恨んで」
ここで逃げるとか絶対しないからさ、と笑顔で語るヴァレンティノの姿から、嘘の気配は感じない。
本気だ。あれは本気で、命なんかドブに捨てたって構わないと本気で思っているやつの顔だ。基準がルカ坊ちゃんだというだけで、それ以外は何もない、それこそ若と同類のやつの顔。
「ま、とは言えこのままルカちゃんを手放すってのも有り得ないけどね。安心して、そろそろルカちゃんの位置情報が届く頃合いだ」
「何だと……?」
俯いていた若がハッとしたように顔を上げる。俺も思わず息を吞んだ。
昨夜から俺でさえ難航していたルカ坊ちゃんの追跡を、この男は既に辿り着く寸前まで調べ上げていたというのか。だが、一体いつどうやって?
怪訝をあらわに向けられる睨みの視線に笑顔を返して、ヴァレンティノはにこやかに語った。
「ルカちゃんを気絶させて拉致るところまでは、まぁまず間違いなくハオランがやっただろうね。彼と二人きりになったのを最後に、ルカちゃんの目撃情報は途絶えているわけだし」
「……あぁ。だからこそ今、ガースパレ家の別荘を虱潰しに当たっているんだろう。ルカを拉致した黒幕はガースパレ家で間違いないのだからな」
うむうむ、と小さく頷く。若の言う通り、現状の推測はそういうことだ。寧ろ、その推測でほぼ間違いないだろう。
全てはガースパレ家が仕組んだ罠。恐らく夜会自体がルカ坊ちゃんを拉致する為の舞台に過ぎない。
現に、ガースパレ家の当主とハオランは昨夜を最後に姿を消している。それこそ、まるでルカ坊ちゃんと共に消え去ったかのようなタイミングだった。
状況から見ても犯人はガースパレの奴ら以外有り得ない。そう断定して別荘やら何やらを調べているのだろうと訝し気に呟く若に、ヴァレンティノは満面の笑みで首を振った。
「残念。この件には黒幕が関わっているんだよね。ガースパレはただの手駒、ハオランも同じ」
「どういうことだ、ガースパレが主犯でないなら一体……」
そう呟きかけた若の声がふいにピタリと止まった。
何かに気が付いた様子の若が「まさか……」と眉を顰める。ヴァレンティノはそんな若の様子を眺めて悠長にソファへ腰掛けながら、のほほんと紅茶の入ったカップを呷った。
「数年前からガースパレの中立についての疑惑は噂になっていたでしょ?いつか問題を起こすんじゃないかとは思っていたけど、まさかこうも大きな厄介事を起こしてくれるとはね」
「……確かにガースパレには“反国王派”の噂が流れていたが、まさか本当に王弟と繋がっていると言いたいのか?あの愚鈍な王弟が黒幕とは思えんが……」
皺の寄った眉間を押さえながら、若もソファへと腰を下ろす。
若が浅く溜め息を吐いたところで、ヴァレンティノはふいに内ポケットから何かを取り出し軽く掲げた。あれは……手紙か?
「これ、ガースパレの当主の寝室で見つけた手紙だよ。差出人はチェレスティーニ、王弟さ」
「あぁ……、……あ?」
「疑惑じゃなくて事実だったみたい。あの人ほんと慎重すぎるから、こんな重大な物的証拠手に入れるまでに数年かかっちゃった。まぁそっちに全力注いだ結果がこのザマなんだけどね」
若が呆然と目を瞠りながら、半ば奪い取るように手紙を受け取り中身を読み始める。
しばらく読み進めた後、若は疲労の滲んだ目元を片手で覆いながら、長い溜め息を吐いた。
「……お前、まさかこれを手に入れる為に夜会への参加を決めたのか」
「うん?まぁそうとも言うね?何より最優先だったのは普通にルカちゃんとのお菓子タイムだったけど。何か見つかればラッキーくらいの心持ちだったよ」
ケロッとした笑顔でそう答えるヴァレンティノに、若は更に深い溜め息を吐いて呟いた。
「これは……知ったらルカが拗ねるぞ……」
そこかよ、というツッコミは場違いなのでなんとか堪えた。
とは言え確かに、この事実はいかにもルカ坊ちゃんが知ったら衝撃を受けて不貞腐れそうな内容だ。
ルカ坊ちゃんは聞き分けが良いように見えるが、あれでかなりの寂しがり屋だ。そしてかなり……愛が重い。愛というか、情というか。気に入った人間にはとことん依存してしまう節がある。
それこそ、今まではその依存対象は“家族”だけだったが、今となってはそうとも言えない。
ロキ・ヴァレンティノ。現在ルカ坊ちゃんが最も深い依存を向けているのは、間違いなくこの男と言えるだろう。
だからこそ、若の呟きはよく分かる。恐らくルカ坊ちゃんは、今の事実を知れば『自分を任務達成のダシに使われた』と解釈するだろう。
そうなるとすごく……ものすごく、まずい。そう、ルカ坊ちゃんは不貞腐れると長いのだ。むっすーっと膨らんだほっぺは天使の如く可愛いが、如何せんそれがかなり長く続くのが問題なのである。
「はぁ……まぁいい。とにかく、ルカの居場所が分かるというのは本当なのか」
僅かに緊迫した空気が緩んだからだろうか、若は肩の力を少し抜いた様子でそう尋ねた。
ヴァレンティノがその問いにニコッと笑顔を湛えて頷く。同時に立ち上がり、何やら窓際へと歩き出した。その様子を若が怪訝そうに見据える。
「おい、何をしている。さっさとルカの場所を吐け」
殺すぞ、と本格的な脅しまでし始めた若を「まぁまぁ」と宥めると、ヴァレンティノはぽつりと呟きを零しながらふと窓を開けた。
「ようやく来たみたいだ」
窓を開けると同時に、タイミングよく小鳥が窓枠へと足を掛けた。
見慣れない黄色のその小鳥は、枝のような細い足首に小さな紙を巻き付けていた。ヴァレンティノはそれを器用に取ると、それを開いて中身に目を通す。
何の用件だと尋ねる若にヴァレンティノが返したのは、楽しそうな微笑だった。
「ルカちゃんの監禁場所が分かった。さぁ、呑気に休んでないでさっさと行くよ」
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