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六章
221.成長と変化(アンドレア視点)
ルカはいつまで経っても愛おしい弟だ。
良い意味で思考の成長がない。幼い頃から純粋な色を保ったまま、きっとそれは、これからも一生変わらないのだろう。ルカの心は一生無垢で、純白のまま。
それでいいと思っていた。事実、その思いは今も変わらない。だが俺は、そう思うからこその勘違いをしていたのかもしれない。
純粋な心に穢れが寄り付かないからといって、ルカ自身の成長が永劫止まるわけではない。
制止は利かない。時の流れと共に、ルカは確実に成長していくのだ。心が無垢なままでも、身体が小さなままでも。
きっとこれからも純粋な優しさで俺に花冠を作って、蝶を追って迷子になり、ぬいぐるみを大切に扱い続けるのだろう。それでも、成長が止まるわけではない。
それを思い知る瞬間。その瞬間が、一番苦痛だ。
弟の成長を喜ばない兄など救いようがない。だが成長とは、言わば別離が近付く証拠。大人になれば人は孤独に慣れ、離れていく。それはルカも同じなはず。
大人になって、大人ぶったルカが本当に冷静さを得て、俺から離れていく。その光景を想像する度、身を切るような不安と恐怖が湧き上がるのだ。
『お前は独りだから、いつまで経ってもルカの成長を喜べないんだ』
頭の片隅に存在する、妙に冷静な自分が語る。
尤もなセリフに耳を塞いだ。そんなことは昔からとうに思い知っている。そうだ、俺はひとりだから、俺にはルカだけだから、だからルカの成長を喜べない。
そんなことは分かっている。分かっているから、こんなにも自己嫌悪に苛まれているのだろう。
『ルカに依存してばかりで、このままルカから幸福を奪うつもりか?』
幸福。俺はルカと関わる以外に幸福を得る手段がない。だがルカは、俺が居なくたっていくらでも幸福を得る手段がある。幸福を感じることのできる相手がいる。
俺だけ。俺ばかりが、ルカを愛している。なんて無様な話だろう。
『ルカはお前なんかいなくても、勝手に幸せになるだろうに』
俺を置いて、勝手に幸せになる?そんなルカを、俺は受け入れることが出来るだろうか。
俺も幸せになりたいわけじゃない。他の幸福なんていらない。ただ、ずっと傍にいてほしいだけなのだ。婚約も結婚も、ルカが俺から離れていく原因にしかならないから、絶対に認めたくない。
だが認めなければそれはそれで、俺は自分を許せなくなる。
ルカがへにゃりと眉尻を下げる。寂しそうに俯く姿が哀れで、罪悪感が湧く。なんだって構わないと甘やかしそうになるのを、ぐっと堪える。
実際は、その衝動を堪える必要などないのに。寧ろ、全てを肯定した方がルカの喜びに繋がるのに。
「──……嫌だ」
ルカは大人になんてならない。一生子供のまま、一生俺の愛おしい弟のままなのだ。
そうでなくてはいけないのだ。そうでないと、俺は大人になったルカが去った後、どうやって生きていけばいい?ルカにはたくさんの幸福があるが、俺にはルカしかいないのに。
なんて、ルカよりもよっぽど子供じみたことを考えていることにふと気が付き、ハッと我に返った。
ルカが無垢な子供だなんて、どの口が言っているのか。こんなことを考える俺の方が、よほど幼稚で下らないじゃないか。
長々と不満を理論的に連ねたところで、結局のところ言いたいのは『俺からルカを奪うな』というシンプルな我儘だけだ。
「おにーさま」
なんて幼稚なのか、と羞恥で軽く全身が火照ったところで、ふいに愛おしい弟の声が耳を撫でた。
「……ルカ」
顔を上げる。この短時間で幼少期から今までのルカとの思い出を反芻してしまったが、そういえばここは現実なのだった。
ルカがヴァレンティノのクソ野郎と結婚したいなどと、そう戯言を吐いた場面。思い返してぐっと表情が歪んだ。
また、説得でもするつもりか?俺だって、別にルカの幸福の邪魔をしたいわけじゃない。
ただルカが離れていくのが嫌なだけだ。あのクソ野郎に愛おしい弟を奪われることが気に食わないだけだ。ただそれだけのことで、俺はルカの幸福を奪おうとしている。
……あぁ、俺はなんて最低な兄なのか。
自己嫌悪で歪んだ顔を隠そうと俯くと、ルカはそれをとたとたと追って覗き込んできた。
「お兄さま。ぎゅーして。ぎゅー」
「……は」
俺の嫉妬で歪んだ表情に気が付いたはずなのに、ルカはそれについては一切言及せずにふにゃふにゃと笑った。
両手を上げてぴょんぴょん跳ねるルカを呆然と見下ろす。数秒固まっていると、ルカはむーっと頬を膨らませてのしのしと地団駄を踏んだ。
「おにーさま!はやく、はやくっ!ぎゅーしろだぞっ!」
「ッ……あ、あぁ」
ふんふん!と息巻きながら飛び跳ねる勢いを強めるルカ。
風船の如く膨らむ頬を見て、慌てて小さな身体を抱き上げる。ぎゅっと抱き締めると、ルカは腕の中で嬉しそうに笑った。
その笑顔にぐっと胸が締め付けられる。ルカが結婚なんてしたら、きっとこの笑顔を見る機会も減るだろう。やはり結婚を認めるなど到底できな──……
「お兄さま。おれ、お兄さま大好きだぞ。大人になってもお兄さまのこと、だいだい、大好きだぞ!」
にまーっと浮かぶ無垢な笑顔。ハッと息を呑んだ直後、ふいに視界が滲んだ。
ルカがえっへんと胸を張る。ふふんと浮かぶドヤ顔を見ると、段々と力が抜けてきた。
「おれ、もう大人だぞ!お兄さまみたいに、クールでかっちょいい大人なんだぞ!」
「……本当か?こんなにも愛らしいのに」
「むっ!ちがうちがうー!クールだぞ!きゅーとじゃないぞ!」
ぷんすかと憤るルカがあまりに可愛くて、愛おしくて、無意識に頬が緩んだ。
ふにふに、と頬を突っつきながらふと問い掛ける。
「大人になったら、俺を捨てるんだろ?結婚したら、邸を出て……もう俺と遊ぶことはないんだろ」
静かに呟くと、ルカはきょとんと愛らしく首を傾げた。
ぱちくり瞬く丸い瞳がとても可愛い。キラキラと輝くそれは、今日もアメジストのように神々しい光を放っている。
ルカはぶんぶんっと首を横に振ると「そんなわけないじょっ!」と叫んだ。
「大人になっても、お兄さまと花かんむり作るぞ!おうち出ても、いっぱい帰るぞ!あ、そだ。それじゃー、お兄さまも一緒に来るか?寂しいなら、お兄さまがお泊まりにくればいいんだぞ!」
「は……──」
「は?ちょ、ルカちゃん?」
予想外の答えに虚を突かれ、柄にもなく瞬く。
静かにルカを見守っていたクソ野郎も、流石に今のセリフには動揺したらしく声を上げた。しかしルカはマイペースな天使なので、当然クソ野郎の戯言に耳を貸すわけもなく。
「ふんふふーん。お泊まり、今からとっても楽しみだなー」
ルンルンと鼻歌を歌いながら身体を揺らすルカ。
俺の面倒で卑屈な思考なんて全て吹き飛ばしてしまうかのような、無垢で愉しそうなその姿を見て……どうしてか、今までの悩みが馬鹿らしく思えた。
ルカだって成長する。いつか大人になって、家族の手元を離れる。
だが、ルカは変わらない。いつまでも変わらない。
俺は“成長”と“変化”を同じものとして考えていたのかもしれない。
それを悟った瞬間、燻っていた黒い靄が全て晴れたような気がした。
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