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しおりを挟む仕事終わり、ビルから出る。
てっきり会社の前の道路に待ち伏せしてくるかと思っていたが、そこには誰もいなかった。あてが外れたのだろうか。
それとも、僕の仕事が終わる時間、間違っちゃったのかな。ダーリンさんにしては珍しい。持ち前のストーカー技術ならそれくらい朝飯前だと思っていたけれど。
「………もしかして…からかわれた…のかなぁ…」
しょんぼり、と肩が落ちる。
まさかの可能性を考えて項垂れた。確かに僕みたいな騙しやすいのろま、からかって反応を見たくなるのも分かるかも。
よく、お前はからかいがいがある、とか言われてきた人生だった。ダーリンさんもそれと同じなのかな、僕と仲良くなりたくてストーカーをしてるんじゃなくて、からかいたくてしてたのかな…。
とぼとぼ、と帰路を歩く。会社から少し離れたところに差し掛かって、ふと僕の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
きょろきょろと辺りを見渡すが誰もいない。なんだ気のせいか…とまた肩を落として歩き出そうとした時、今度ははっきりした声でそれが聞こえた。
「―――マオ!」
ばっ!と顔を上げてもう一度辺りを見渡す。「こっちこっち」という声に釣られて振り返ると、そこには道路脇に停まる黒い車がいた。
暗くてよく見えなかったが、どうやら窓が空いている。恐る恐る近付くと、人影の正体が明らかになった。
車内にいた人物に大きく目を見開く。それは知り合いだったからとかそういうことじゃなくて、単純にその人の美貌に驚いてのことだ。
「マオ、ようやく会えた!こんなに近くで会えるなんて…嬉しい…っ!」
ガチャ、とドアを開いて外に出てきた彼は、上物の黒スーツをとっても上品に着こなしていた。僕みたいなのが隣に立つと考えると、羞恥で死んでしまいそうなくらいのカッコ良さだ。
髪は真っ黒でサラサラ。瞳も夜空みたいに綺麗な黒色。全体的に、浮世離れしているといった雰囲気の彼。
思わず会社用の鞄をぎゅうっと抱えて後退ると、ぱちぱち目を瞬かせたその人がふふっと笑った。
「なにその動き、かわいいっ…!ぎゅってしたい…かわいすぎ…」
「………あ…あのぅ…」
「うんっ、なぁに?」
「………あの…その…」
「うんうん、ゆっくりでいいからね。一生待つからね」
一生?忍耐強い人なんだなぁ…。
いつもと違う反応が返ってきたことが嬉しくて、ぽわぽわおかしなことを考えてしまった。
喋りもゆっくりな上に吃りやすい僕の話に、いつもならみんな苛立ったような反応をする。遅い僕が悪いのだけど、早くしろよと急かしてくる怖い顔は、正直言ってとても悲しい…。
そんなわけなので、彼の優しい受け答えにはとっても胸を打たれた。嬉しくて、「………えへへ…」とぽやぽや笑ってしまったくらいだ。
そんな僕がよっぽど気持ち悪かったのか、彼はグハッ!と心臓を抑えてよろけてしまった。慌てて背中に手を当て支えると、今度は鼻を抑え始める。
「くっ…マオ、それ以上はダメだ。俺の血でマオを汚してしまってはいけないからね…」
「………血…!…血って…大丈夫…ですか…?」
「大丈夫だよマオ、こんなのへっちゃらさ。さっ、気にしないで食事に行こう」
僕が不安な目を向けると、ハッとしたように目を見張った彼が、表情を一瞬でキラキラ笑顔に変化させた。
僕の背を押して車に誘導する彼。乗る前に一度振り返って、今更な質問を一つ投げかける。
「………あなたは…ダーリン…さん…?」
ぱちぱちと目を瞬かせた彼は、直後嬉しそうに笑って頷いた。
「うん、俺は君のダーリンだよマオ。真木って呼んでね」
ストーカーさん、ダーリンさん、そしてサナギさん。短期間でたくさん名前が変わるなぁとしみじみ思う。
でも実際の姿をみると、あぁ彼は"サナギさん"だな、なんて都合のいい感想を抱いてしまった。
少し古ぼけた、落ち着いた雰囲気のレストラン。レストラン…というより、喫茶店っぽい雰囲気。
容姿だけ見れば、てっきり夜景の綺麗なホテルのレストランに連れてかれると思ってたから驚いた。いや、ホテルのレストランとか、如何にも高級そうで苦手だからよかったけれど。
店内の照明は少なめで、少しオレンジがかっている。その薄い灯りとレトロな内装が、緊張していた僕の心をやんわり宥めてくれた。
そわそわしていた僕が落ち着いてきたのを見て、サナギさんはふんわり優しく微笑んだ。
「ここ、どうかな。気に入ってくれた?」
「………はいっ…!…とても…すてきです…!」
のんびりこくこく頷く僕に「そっか、そっかぁ」と嬉しそうに笑うサナギさん。
いちいち遅れる反応やゆっくりした喋り方は、どうやら彼にとってはあまり気にならないらしい。苛立っているような空気は今のところ全くない。
席について僕にメニューを差し出しながら、サナギさんはにこにこしながら話を続ける。
「マオの好きそうな店ってどういう所かなぁって、ずっと前から探してたんだ。当日になって少し不安だったけど、よかった。気に入ってくれて安心したよ」
「………ずっと…前から…?」
「うん、ずっと前から。マオといつ食事に行くことになっても慌てないように、ずっと前から探してたんだよ」
「………それは…ありがとう…ございます…?」
「ふふっ、うん。どういたしまして」
ずっと前から…。なるほど、サナギさんにとっては僕と仲良くなるなんて初めから決定事項だったのか。
それは…正直とても嬉しい。胸がぽかぽかと温かくなる。手段とか過程とかはこの際置いといて、とにかく僕に歩み寄ってくれる彼にドキドキが止まらない。
のろまな動きに苛立たず、遅い会話に痺れを切らすこともなく。ただ優しく僕の言動を待ってくれる人はサナギさんが初めてだ。
初めは優しい人とかは居た。けれどそれは本当に初めだけで、大抵時間が経つと面倒になってしまうらしく。優しく待ってくれてた人も、すぐに痺れを切らして離れていくのが常だった。
サナギさんとは今日初めて顔を合わせたから、安心するのはまだ早いかもしれない。
けれど、今まで僕の生活をずっと見続けてきた彼なら、もしかしたら受け入れてくれるかもって淡い期待がある。
サナギさんはとても優しくて良い人だから、出来ればこれからも仲良くしたい。そのために、サナギさんに頼りきるだけじゃなく、僕も自分の短所を直せるようにならないと。
「………ぼ…ぼく…!」
「ん?なぁに?」
そうと決まればとメニューから顔を上げる。彼はやっぱり優しい笑顔で首を傾げた。
決して強く催促しないその姿勢に、涙すら出そうになる。でも突然そんなことをしたらサナギさんがびっくりしてしまうから、必死に涙を堪えた。
「……う…嬉しい…です…このお店も…気に入りました…!…サナギさんと…仲良くなりたい…と、思いました…!」
「グハッ…!!」
「……サナギ…さん…!…?」
自分にしては中々の速度で話すことが出来た。まだまだゆっくりな口調は変わらないけど、それでも満足だ。
ふわぁっと喜んでいると、突然サナギさんが吐血する勢いで呻いた。心臓を抑えて荒く浅く呼吸する姿が痛々しい。瀕死状態に近い様子がとても心配だったから、「…大丈夫…ですか…!…?」とあわあわ立ち上がった。
俯いた状態で軽く手を挙げたサナギさんは、「大丈夫だよ…ッ」と大丈夫じゃなさそうな声で言う。絞り出すような声だった。
徐々に落ち着いてきて、ほっと息を吐きながらすとんと座り直す。
数回深呼吸を繰り返したサナギさんが、さっきまでの苦しそうな顔が嘘のようにキラキラした笑顔を浮かべた。
「ごめんね。少しだけ動揺しちゃったよ」
「……すこし…?」
すごい動揺してたし、なんなら苦しんでたように見えたけど、でも少しだったのか。それならよかった、大事無いみたいで。
ほっとしてメニューに視線を戻し、なに食べようかなぁとそわそわしながらページを捲る。
あれ…意外と高いんだなここ…。レトロな外装と内装で知らずの内に先入観を持っていたのか、予想より値段はお高めだった。
食べたいのはパスタだけど、何やら高級な材料が入っているのか値段が物凄く高い。ここはもう少し安い料理を選ぶべきか…。
流石に一度の食事でこんなにお金を消費するのはまずい。今月はかなり金欠だから、せめて次の給料日までは耐えないと危ないのだ。
安いやつ安いやつ…とページを捲る僕に、じっと様子を窺っていたらしいサナギさんが声を掛けてきた。
「マオ、食べたいやつ頼んでいいからね」
「………は…はいっ…!…あ…でも…」
「うん?」
「……あの…お金…少なくて…あ、サナギさんはお好きなの…選んでいいので…!」
メニューを渡してあたふた答えると、きょとんと首を傾げたサナギさんが困ったように笑った。
受け取ったメニューを開くと、それを僕の方に向けてくる。開いてどーんと真ん中にあるのは、店長オススメと書かれたパスタの写真。思わず「……おいしそう…」と呟いてお腹を鳴らしてしまった。
ぐるぐるる…とゆっくり響く音に顔を真っ赤に染める。
サナギさんに呆れられたかも…と泣きそうになりながら顔を上げ、彼の予想外の反応に目を見開いた。
鼻の付け根を抑えて俯くサナギさん。どうしたのか、ぷるぷる震えている。
「っ…お腹の音もっ…ゆっくりなんだ…っ、かわい…っ」
「………!!!」
かぁっと更に真っ赤に染まる頬。
ぐっと俯いて「………すみ…ません…」と掻き消えるような声で言うと、一通り笑い終えたサナギさんがハッとしたように「俺の方こそ笑ってごめんね…!」と慌てた様子で謝ってきた。やさしい。
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