最も上のもっと上

雛田

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 次の日の朝。今日は、朝から夕方までのシフトだ。しかも、その間は、イベントのリハーサルやら何やらで少し忙しい。
 パソコンを開いて来場者用のプログラムを書いたパンフレットの確認をしたり、そこに載せる図書室の活動報告も見直したりしていた。
 俺は、会場の音響とかの担当ではないから、図書室内でできる作業を担当している。そもそも、そのゲストとかの練習などは、いつするんだろうか。夜?でも、そんな短い時間で何とかなるゲストなのか?
 考えを巡らせていると、扉が開いた音がする。
「おはようございます」
顔を見ずとも、誰かは分かる。この声だけで、安住さんだと判断できるのだ。
「おはようございます」
「今日は、一人?」
「あー、明日のイベントの準備をしてます。みんなで。俺は、音響とか駄目なんで、この部屋内でできる作業担当っす」
「そうなんだ。音響駄目なの意外だね」
「できないわけじゃないんすけど、ちょっと」
できないと思われたくなくて、そこまで口にしたものの、その後が続かなかった。
 本当の理由より、できない方がマシな気さえしたのだ。大好きな癖に、トラウマなんて。自分が一番嫌なんだよ。
 好きなものが、一番好きなことが、嫌いになる。その瞬間が、苦しかった。もう、全部辞めたかったし、消えたかった。絶望しかなかった。
 その全部が過去形でも、まだ向き合うには、傷が深すぎる。だから、口には出せない。夢を口にできるようになっただけでも着実に成長している。だから、このまま、話せるようになればと常に思っている。
 それで、明日のイベントが、少しでも、俺の傷を癒すきっかけになれば。そう思っているのも事実。何も見れない訳じゃない。ギターにだって触れるようになったんだから。
 そんな風に必死に言い訳を探していた。
「そっか。色々あるよね。誰にでも」
安住さんは、俺の中途半端な発言に、そう言っただけだった。
「聞かないんすか」
「無理して話さなくて良いと思う。話したくなったら話してくれたら良いよ。私はね」
優しく受け入れてくれる。そんなところが、この姉弟の良いところだし、似ているところだと思う。
「やっぱり、いろはくんの、お姉さんなんすね」
「え、似てる?」
「似てます」
「初めて言われたかも」
「顔も中身も似てますよ」
 その発言に、安住さんが、不思議そうに首を傾げた。
「ん?いろはが言ってた、がっくんって、榎並さんのこと?」
榎並さん。がっくん。何か、良いかもしれない。
「そうっす」
「呼び方の癖やばいね。怒っても良いよ」
「全然。仲良い感じがして嬉しいっす」
「そうなんだ。がっくんって、何で、がっくんなの?」
「楽。楽しむって書いて楽。俺の名前っす」
「あ、そうなんだ。良い名前だね」
「ありがとうございます」
そんな話をして、それぞれ自分の時間に戻る。
 開けた扉から、リハーサルのやりとりが聞こえている。少しだけ漏れてくる音に、何となく、前向きな気持ちになっていた。
 やっぱり、音楽が、歌が、好きなのだ。大丈夫。そう思いながら、パンフレットの修正を続ける。前日発表のゲストで人が集められるかは、分からないけど。
 会場、入りきれないくらいになったりして。それは無いかな。なんて、思ったり。整理券は、予約と、当日先着で配る分用意してある。要は、予約で余った分が当日の先着に回されるのだ。
 別に、お金がかかるわけではないから、そんなに細かく定められてはいない。お祭りみたいなものだ。予約分で全て無くなったりはしてないみたいだから、席とか余るんじゃないかなと予想する。
 たくさん用意して、席余らせるのも嫌だし、そんなに椅子を用意していない。怠慢ではない。多くの人が来た時、椅子があると邪魔だから、そうしている。と、言うことにしたのだ。椅子を多く出すと片付けも大変だからという、めんどくさがりのメンバー達が考えることだ。
 管理人さんやその他の人たちにする言い訳まで考えたのだから、ここまでくると逆にすごいと思う。清々しいのだ。
 色々なことを考えながら、ちまちまと書いた、図書室の活動報告や、行事予定を見て、これを読んでくれる人がどれくらい居るのだろうか。そんな、考えてもどうしようもないことを考えていた。
 少しでも、人の心を掴めたら良いんだけど。まあ、それよりも、明日のイベントが成功するかの方が気がかりだ。そっちの方が大事だ。みんなで作り上げてきたのだから。絶対、成功させる。そう息巻いて、パンフレットを細かく修正する。
「がっくん、パンフレット作るの上手だね」
 突然、隣から聞こえた声にびっくりした。集中しすぎて気づかなかったらしい。
「いろはくん。もう、迎えに来たの?」
「いや、明日のイベント出よっかなって」
「え?そうなの?」
「うん。楽しそうだし。好きなバンドの歌は恐れ多くて歌えないけど、他の歌、歌おっかなって」
「良いね」
 いろはくん、歌も歌えるのか。ビジュアルも良いのに。駄目なところ無いんじゃない?
「それで、お願いなんだけど、がっくん、練習手伝ってくれない?無理とかなら全然、良いんだけど」
「え、何すれば良いの?」
「歌聞いてほしいんだよね。何か、彩とかに上手いって言われても、いまいち信用できないっていうか、彩は、俺に甘い気がして」
「それは少し分かるかも」
「だよね。だから、ちょっとアドバイスもらえたらなって。それで、明日も、がっくんに見てほしいなって」
「分かった。俺、役に立つか分からないけど、頑張る」
「まじ?めっちゃ嬉しい」
そう言って、ニコニコ笑う、いろはくん。その顔に癒されながら、作業を終わらせた。
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