最も上のもっと上

雛田

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歌うこと

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 仕事終わりの夕方。彩さんは、閉室まで居るらしいから、その間の時間を、いろはくんの手伝いに当てることにした。
「上手く歌える自信とかは無いんだけど」
その前置きが不要なほど、いろはくんの歌は上手だった。耳に心地良い声が、作り出す様々な音。歌の中の世界まで、誘うような声だった。
 もっと、聴きたい。そう思わせるような歌だった。何度も何度も繰り返したくなるような、そんな感じがした。表情も、その歌に合わせて引き込まれる魅力になっている。
 何となく、俺の詞を歌うなら、いろはくんが良いと本気で思った。だって、こんなにも上手だから。心を掴んで離さない。そんな唯一無二の歌声だと俺はその時、本気で思ったのだ。
「まじで、上手だね。いろはくん」
「うわ、嬉しい。実は、若干、夢なんだよね。歌歌うの。というか、音の流れに乗せて歌うのが。でも、めっちゃ言いづらくて。親には、特に」
「それを、俺に言っても良いの?」
「だって、がっくんは否定しないし、笑わないでしょ。知ってるし自信あるから言った」
「そっか」
 珍しく、言葉の端々に、弱さを滲ませている。その声に、俺まで胸が締め付けられる。
「ん。親はさ、彩が、画家になりたいって言うのを否定したりはしないけど、何となく、罪悪感的なのあるみたいで。俺まで、そんな夢みたいな夢持ってんのとか、言えねえって。まじで、思って言えなかった。あとは、叶わねえって言われたくないから」
その言葉に、心が痛くなった。夢みたいな夢を持っても良いはずなんだよ。
「俺が偉そうに言えたことじゃないんだけど。夢を持てない人とか、夢がなくて困ったりする人だって沢山居るんだよ。世の中には。だから、悪意のある言葉は、羨ましい以外から来てないって思った方が良いよ。夢に関しては」
 本当にそう思っている。今は、特に。羨ましいから妬ましくて、平気で人を傷をつける人間だっているのだ。それを俺は知っている。
「がっくん、最高だね。ありがとう。いつか、がっくんの書いた詞、歌えるような人になりたい」
俺が思ったことを、いろはくんも言うから、俺の心が見えたのかと思った。
「奇遇だね、俺も同じこと思ってた」
「まじで、がっくん、好きだわ」
「急に真剣なトーンかよ」
「ふは、まじで、おもろいんだよな。がっくん」
揶揄われているのか、褒められているのか分からないけど、いろはくんが楽しそうだから、それはそれで良いかなって思えた。
 それから、いろはくんと別れて、家に帰る。そして、眠る直前、いろはくんの歌が頭の中に流れてきて、心地良くて、そのまま眠りに吸い込まれるように眠った。
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