湖の民

影燈

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序章


1 解散


「今日で、この寺子屋を閉めることになった」
唐突に、半井先生はそう言った。

教室は動揺する子どもたちで騒ついていて、だが令(れい)は、一人別の空間に取り残されてしまったみたいに急に孤独だった。

ある子は泣き出し、ある子は何でだ、どうしてだと騒ぎ立てている。

「家の無い子はどうするんですか?」

そう質問する自分の声も、どこか遠くに感じた。

半井はいつもと変わらない、優しい笑みを浮かべ、
「大丈夫。そのまま寺に住まわせるよ」
と答えた。

半井のその目には、薄らと涙が滲んでいる。
やはり、いつも、とは違うのだ。

先生も辛いのだと分かると、
家はあっても父親のいない子は?

とは、訊けなかった。

どうしようもないことなのだ。
もう、ここには来れない。
もう、みんなとは会えない。

永遠にさよなら。

頭では理解しても、気持ちはついていかなかった。

当たり前にあるはずだったこの先の道が、突然無くなったのだ。

訳の分からないうちに。

ぼくたちの未来は、得体の知れない何かに、急に奪われてしまったのだ。




2 親友


令は、帰り支度を終えて、寺を出た。
ノロノロと準備をしてたら、一番最後になってしまった。

ぼくは、のろまでだめだ。

寺子屋に通うようになって、ようやく少しマシになったと思ったのに。

寺の門を出てから、令はもう一度だけ寺の方を振り向いた。

最初は大きな門だと思った。
慣れると、それが当たり前になった。
その門があることが、寺子屋に通うことが。

でも、それはもしかしたら、当たり前のことじゃなかったのかもしれない。

何かを間違ってしまったのだろうか。
だとしたら、一体何を、どこで――。
とにかくもう、変わってしまったのだ。

門は、いつもとまったく変わりなく、そこにある。
変わってしまったのは、令たちの事情だけだ。
それも、どうしようもない事情。
訳の分からない事情。
悔しくて、涙が出そうになる。
でも、この感情をぶつける先がない。

諦めきれぬまま、令が階段を降り始めると、途中で親友の真名が待っていた。

真名とは、家の方向が一緒で、よく一緒に帰った。

正直な奴で、歯に衣着せぬ物言いには腹の立つこともあったけど、嘘のないその真名の性格が、令は好きだった。

だが今日で真名とも会えなくなる。
「寺の裏に掘った落とし穴、埋めてこなくてよかったかな」

令は、なるべくいつもどおりに話しかけた。
こんなこと、なんでもないことなんだと、思いたかったから。
いつもどおりにしたかった。また次があるんだと、思いたかった。

「大丈夫だろ。誰か引っかかって落ちれば気付くさ」
「そりゃそうだけど、それじゃあ遅いんじゃないか?」

「いいんだよ。もともと誰か引っ掛けるために作ったんだから。和尚でも引っ掛かってくれたら面白いのにな」

「そうしたら顔を真っ赤にしてまたあいつらか! て怒り出すね」

令は笑った。笑えたことにホッとする。
真名はどう思ってるんだろうか。
その態度は、いつも通りに見える。

真名は、ぼくたちと会えなくなるのが寂しくないんだろうか?
そう思うと、令は急に不安になった。
でもそんなこと、口に出しては聞けない。
自分だけが寂しいなんて、格好悪いから。

「それより、ほら」
真名は、令に虹色の貝を差し出してきた。
「二人で作った隠れ家に置きっぱなしだったぞ」
その貝は、ずっと前に儺楼湖で拾ったものだった。

儺楼湖は水龍の巣がある尊い湖で、子どもだけで行くことは許されていなかった。

あのとき、宝探師である真名のお父さんが二人を連れてってくれたのだった。

令の父親と真名の父親は、共に宝探師であった。
令の父親が死んでからは、真名のお父さんは何かと令を気にかけてくれた。

その時は秋だった。
儺楼湖の水は冷たく、清らかに透き通っていた。
潜ってみると、なんだか懐かしいような、安心感に包まれたものだった。

湖底にはキラキラと光る粒が沢山落ちていて、貝だったり金だったり、宝石だったり。

そんな美しいものを湖に潜って集める宝探師の仕事は、令の憧れだった。

だが、
「真名のお父さんももう儺楼湖へは行かないの?」
「ああ。儺楼湖から鬼憑病(きつきびょう)が出てしまったからな。宝探師はもう廃業だよ」

そんな大変なことを、真名は淡々と語る。
「鬼憑病が憎いね」

鬼憑病は人から人へも移る。
そのせいで寺子屋も閉鎖に追い込まれてしまったのだ。

全て、鬼憑病が悪い。
令は、真名も同意してくれると思って何気なくそういった。

だが、
「いや。俺はこうなって良かったと思う」
真名はそう言った。

は?

「何冗談言っているの?」

「冗談じゃないよ。本当にそう思っているんだ。だって、鬼憑病のおかげで、父ちゃんが帰ってきた。それで、母ちゃんも優しくなったし、なんだか今毎日楽しいんだ」

だから、良かったなんて……。
「おまえ、最低だな」
気づいたら、令はそう言っていた。

「鬼憑病は、苦しい病気なんだぞ! その苦しみように患者が鬼のような形相になるから鬼憑病って名がついたくらい! その病気に苦しんでいる人たちがいるのに、なんでそんなこと言えるんだよ!?」

違う。
「みんな大変なんだ!」
本当はそんなことじゃない。

「それでもおまえはこうなって良かったて言うのかよ!?」

一気に捲し立てる令を、真名は冷静に見つめ返してくる。

何を考えているかわからない。
いつもそうだ、こいつは。
「なんとか言えよ!」

自分よりちゃんと物事を分かってるような顔をしやがって。
腹が立つ。
でも、本当に腹が立つのはそんなことじゃない。

「仕方ないよ。なるべくしてこうなったんだ」

真名のその言葉に、令は、怒りよりも何か冷たいものが胸の中にヒュッと降りてきたような感じがした。

「自分の親父だけ助かったからって。そんな奴だとは思わなかったよ。もう、絶好だ!」

令は真名に背を向けて歩き出した。
令を呼び止める声はない。

真名はそれも悔しくて、もう涙がこらえられなかった。
ボロボロに泣いてしまっているから、二度と振り返れない。

自分はこんなに悔しいのに、真名は平気なんだ。
寺子屋が無くなっても。

先生やみんなに会えなくなっても。
もう、二人で一緒に儺楼湖に行ったり隠れ家を作ったり出来なくなっても。

真名は平気で、悔しいのはぼくだけなんだ。
友だちだと思ってたのは、ぼくだけだったんだ――。





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