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獻瑪(ササメ)2
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獻瑪は、おかしくなってしまった友の姿を見上げながら、ある話を思い出していた。
そいつは、誘い音と共にやってくる。ちりん、ちりりんと鈴を鳴らしながら、鬼の使いはやってくるのだ。
悪い子どもを喰うために。鬼はやってくるのだと、爺さまは言った。
お、鬼の――。
獻瑪が、なんとか腰を浮かせようとしたそのときだった。
不意にすぐ後ろでがさり、と物音がした。
「うわあああああっ」
思わず悲鳴を上げた獻瑪の口を、屈強な腕が抑え込んだ。
「ばかもの、静かにせんか」
押し殺した声だが、誰だかすぐにわかった。
「父ちゃん。どうしてここへ」
「お前らが褌盗んで来るのはここと決まっておるだろうが」
父は獻瑪にゲンコツを一つ落として、それから素早く立っている璃石の腕を引き、松明をひったくるなりその頬を思い切りひっぱたいた。
「しっかりせんか!」
璃石は殴られたほうの頬を抑えながら、はっとした顔で父を見つめた。
「父さん。迎えが、迎えがくるんだって。俺、行きたくない」
獻瑪には璃石の震える声だけが聞こえた。松明の火が消えてしまっていたからだ。
「心配するな。お前は、何があってもわしの子だ」
父が璃石を抱きしめたらしかった。
獻瑪には、なんのことだが、何が起こっているのかわからなかった。ただ、この異常事態は、璃石を誰かが迎えにくる前兆のようだ。
側に、羽音が聞こえた。それは、グンと近づいてくる。
ちりん。と、鈴が鳴った。
落ちた松明に再び灯りが灯った。辺りに光が戻った瞬間、目の前に映ったのは鴉の大軍だった。
「ひっ」獻瑪は悲鳴をあげて、腰を抜かして後ずさった。
尋常でない量の鴉であった。上下左右に広がりながら三人を取り囲んで、それはもはや黒い壁のようであった。それが、ぐるぐると一定方向へ回転している。鴉が統率のとれた動きで円を描いて飛んでいるのだ。
ただの鴉ではないと、一瞬でわかった。普通の鴉はこのような跳び方をしない。できない。意思があるのか、または操られているものか。どうやら後者であるらしい。
鴉の壁をすりぬけるようにして、身の丈が通常の人間の倍はあろうかという大男が目の前に現れたのだ。鴉どもはその男が通るときには、男にぶつからぬように上手に脇やその頭上を飛んでいく。
その時、激しく鴉の鳴く声が聞こえてきた。ここにいる鴉ではない。上を見上げると、微かに鴉が集団で飛び去って行く姿が見えた。
子の泣き声が近づき、通りすぎていく。鴉が、子どもをさらっていったのだとわかった。獻瑪の村の子ではないだろう。この得体のしれない鴉たちに襲われたのは、この村だけではないのだ。
目の前の総身闇づくめの大男も、空を見上げ、怪訝な顔をしているようだった。
「なんということを……」そうも呟いた。
そのとき、
「煙爆煙爆煙爆」と、繰り返し唱える父の声が響いたかと思うと、当たりが真白い煙に覆われた。
「逃げるぞ」
父に手を引かれて獻瑪は走りだした。周りは鴉に囲まれているはずであったが、父は大男の一瞬の隙のうちに煙幕を張り、同時に逃げ道を作るために背後の鴉を爆風により吹き飛ばしていた。
三人は一寸先さえみえぬ闇の中を駆け抜けた。すべて勘と記憶によって道を進んでいる。鬼導師としての修行のたまものであった。獻瑪たち三人には、この村の地形すべてが頭に入っている。道の幅、凹凸、緩急、木や石、枝の所在に至るまで。であるから、夜目がきかずともこの森の中を走り抜けることができる。
「なんなんだよ、あれ」
獻瑪はこらえきれずに父に訊いた。その間も、走ることは休まない。
「闇天狗」
「闇天狗、って、じゃあ、天狗様の使いか!?」
闇天狗はもともとは鬼に仕える身であった。だが天狗に鬼が封じられて後は、天狗に仕えているはずだった。
しかし、父は何も答えなかった。
「なあ、なんで闇天狗はおれたちを襲うんだよ。天狗様はなにしてんだ」
「ここは僻遠の地。天狗様はお気づきでないのかもしれん」
「まさか。でも、そうなら伝えなきゃ、」
人間ごときが、闇天狗に敵うとは到底思えなかった。鬼導の術など、ただの気休めにすぎない。
「天狗様に助けてもらわなきゃ」
「無理だ。今日は熄俎ぞ。天の御加護は弱まり、辺り一帯魔の結界が張られてしまっている。村から出ることはできん」
やってみなきゃわからない。と言おうとしたが、呼吸が苦しくてそれ以上しゃべれなかった。
父は息も切らせていない。さすが村一の鬼導師だ。だがその息子は修行を怠けていた。地形など、刻々と変化するもの。獻瑪は、昨日石が一つ西へ拳一つずれていたことを知らなかった。
獻瑪はつまずいて転がった。勢いがついていたために、すぐには止まれず、そのまま崖下へと落っこちた。下は、河原になっていた。
「獻瑪!」
そいつは、誘い音と共にやってくる。ちりん、ちりりんと鈴を鳴らしながら、鬼の使いはやってくるのだ。
悪い子どもを喰うために。鬼はやってくるのだと、爺さまは言った。
お、鬼の――。
獻瑪が、なんとか腰を浮かせようとしたそのときだった。
不意にすぐ後ろでがさり、と物音がした。
「うわあああああっ」
思わず悲鳴を上げた獻瑪の口を、屈強な腕が抑え込んだ。
「ばかもの、静かにせんか」
押し殺した声だが、誰だかすぐにわかった。
「父ちゃん。どうしてここへ」
「お前らが褌盗んで来るのはここと決まっておるだろうが」
父は獻瑪にゲンコツを一つ落として、それから素早く立っている璃石の腕を引き、松明をひったくるなりその頬を思い切りひっぱたいた。
「しっかりせんか!」
璃石は殴られたほうの頬を抑えながら、はっとした顔で父を見つめた。
「父さん。迎えが、迎えがくるんだって。俺、行きたくない」
獻瑪には璃石の震える声だけが聞こえた。松明の火が消えてしまっていたからだ。
「心配するな。お前は、何があってもわしの子だ」
父が璃石を抱きしめたらしかった。
獻瑪には、なんのことだが、何が起こっているのかわからなかった。ただ、この異常事態は、璃石を誰かが迎えにくる前兆のようだ。
側に、羽音が聞こえた。それは、グンと近づいてくる。
ちりん。と、鈴が鳴った。
落ちた松明に再び灯りが灯った。辺りに光が戻った瞬間、目の前に映ったのは鴉の大軍だった。
「ひっ」獻瑪は悲鳴をあげて、腰を抜かして後ずさった。
尋常でない量の鴉であった。上下左右に広がりながら三人を取り囲んで、それはもはや黒い壁のようであった。それが、ぐるぐると一定方向へ回転している。鴉が統率のとれた動きで円を描いて飛んでいるのだ。
ただの鴉ではないと、一瞬でわかった。普通の鴉はこのような跳び方をしない。できない。意思があるのか、または操られているものか。どうやら後者であるらしい。
鴉の壁をすりぬけるようにして、身の丈が通常の人間の倍はあろうかという大男が目の前に現れたのだ。鴉どもはその男が通るときには、男にぶつからぬように上手に脇やその頭上を飛んでいく。
その時、激しく鴉の鳴く声が聞こえてきた。ここにいる鴉ではない。上を見上げると、微かに鴉が集団で飛び去って行く姿が見えた。
子の泣き声が近づき、通りすぎていく。鴉が、子どもをさらっていったのだとわかった。獻瑪の村の子ではないだろう。この得体のしれない鴉たちに襲われたのは、この村だけではないのだ。
目の前の総身闇づくめの大男も、空を見上げ、怪訝な顔をしているようだった。
「なんということを……」そうも呟いた。
そのとき、
「煙爆煙爆煙爆」と、繰り返し唱える父の声が響いたかと思うと、当たりが真白い煙に覆われた。
「逃げるぞ」
父に手を引かれて獻瑪は走りだした。周りは鴉に囲まれているはずであったが、父は大男の一瞬の隙のうちに煙幕を張り、同時に逃げ道を作るために背後の鴉を爆風により吹き飛ばしていた。
三人は一寸先さえみえぬ闇の中を駆け抜けた。すべて勘と記憶によって道を進んでいる。鬼導師としての修行のたまものであった。獻瑪たち三人には、この村の地形すべてが頭に入っている。道の幅、凹凸、緩急、木や石、枝の所在に至るまで。であるから、夜目がきかずともこの森の中を走り抜けることができる。
「なんなんだよ、あれ」
獻瑪はこらえきれずに父に訊いた。その間も、走ることは休まない。
「闇天狗」
「闇天狗、って、じゃあ、天狗様の使いか!?」
闇天狗はもともとは鬼に仕える身であった。だが天狗に鬼が封じられて後は、天狗に仕えているはずだった。
しかし、父は何も答えなかった。
「なあ、なんで闇天狗はおれたちを襲うんだよ。天狗様はなにしてんだ」
「ここは僻遠の地。天狗様はお気づきでないのかもしれん」
「まさか。でも、そうなら伝えなきゃ、」
人間ごときが、闇天狗に敵うとは到底思えなかった。鬼導の術など、ただの気休めにすぎない。
「天狗様に助けてもらわなきゃ」
「無理だ。今日は熄俎ぞ。天の御加護は弱まり、辺り一帯魔の結界が張られてしまっている。村から出ることはできん」
やってみなきゃわからない。と言おうとしたが、呼吸が苦しくてそれ以上しゃべれなかった。
父は息も切らせていない。さすが村一の鬼導師だ。だがその息子は修行を怠けていた。地形など、刻々と変化するもの。獻瑪は、昨日石が一つ西へ拳一つずれていたことを知らなかった。
獻瑪はつまずいて転がった。勢いがついていたために、すぐには止まれず、そのまま崖下へと落っこちた。下は、河原になっていた。
「獻瑪!」
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