闇天狗

九影歌介

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ササメ 3

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自分が狙われていると知っていながら、友を見捨てて逃げられるようなやつではない。
 璃石は、すぐに引き返してきて河原へすべり降りてきた。
 お前、一人だけなら逃げられただろうに。
 或いは、俺がいなければ、こいつが鬼にさらわれるようなこともなかったのかもしれない。
 気づいたときには、また三人、さっきのように鴉の壁に囲まれていた。しかし、今度は大男が松明をその手に持ち、三人の前に仁王立ちになっていた。
 灯りに照らされても黒い。人間と同じ形の身体に黒い布を巻いたような衣服を着ている。そして漆黒の髪、面も黒く、鼻は鴉の嘴のように尖って高い。口は別にあり、唇もやはり黒い。白目だけが浮き出て見え、その男に色のあるのはその部分だけであった。だからなのかもしれない。闇天狗の瞳の色は、恐ろしく綺麗だった。ずっと見つめていたくなるような、瑠璃色だった。だから、次の闇天狗の言葉も、獻瑪は頭から否定できなかった。
「子を、迎えにきた」
 その、子、というのが璃石であることが獻瑪にはわかった。同じ瑠璃色の瞳。自分とは違う。父とも違う。他に、村に瑠璃色の瞳を持つものはいなかった。
「その子を渡してさえくれれば、ぬしらに危害を加える気はない」
闇天狗は背には黒光りする大きな羽を広げていたが、獻瑪と璃石が怯えていると見てとったように、それを閉じつつ言った。意外にも、穏やかな声色だった。
「璃石は、わしの子じゃ」
 父は獻瑪と璃石を守るように前に立ち、そう言った。父の声は頑なだった。
「主の気持ちもわかる。が、それでは約束が違う」
 闇天狗の低く響く声。風が、大地の音が物を言っているようで、快い。威圧的なものはそこにはない。だが、有無を言わせぬ迫力はある。ゆるぎない芯のようなものが彼にはあった。それは、きっと押しても引いても倒すことはできない。端から、間違っているのはこちらでそれだけに分が悪い。
 そんなことを、ほんの子どもの獻瑪でさえ分かった。
「璃石は、わしの子です。わしと、の子です」
 父は泣くような声で言った。
「今更、手放せません。どうか、ご勘弁を」
「話しておらぬのだな」闇天狗の足下あたりの土が風に舞い上がり、それが溜息であるのだと気づくのには少し時間がかかった。
「納得の上での契約であったはずだ。されど、そうは言ってもその手で育てた子、惜しくなる気持ちもわかる。だが、これだけは譲れぬのだ。この子は、わしの意志を継ぐ子なのだ。だから、この子だけは、譲れぬ。悪いな、人間。その子、貰い受けるぞ」 
「だめだ。璃石は渡さん」
 父は胸の前に印を結びて立ちはだかった。口内では既に呪文が唱えられている。
 父が何をするつもりだったのか、わからなかった。闇天狗が、人差し指を横へ一振りしただけで、父は弾かれたように近くの木へぶつかった。
「父さん!」
「父ちゃん!」
 璃石と獻瑪の声が重なる。だが、呼ばわる声に反応はない。父は気を失っているようだった。
 獻瑪は、目の前の壁のような闇天狗を見上げた。
 村一の鬼導師である父が赤子のように跳ね飛ばされた。獻瑪や璃石の術がこの闇天狗に効くはずもなかった。獻瑪はこのときになってもまだ、天狗の助けを期待していた。天狗様、助けて、助けて。と、胸の内で繰り返しながら、だがいよいよ天狗は来ないと悟ると開き直った。
「てめえ、何しやがるこのクソ河童」
 獻瑪は璃石の前に立って両手を広げた。
「河童ではない。我は闇天狗」
「どっちでもいい。この人さらいが」
 睨みつけている瞳は、本物の瑠璃のように美しい。そしてそこに怒りは見えない。むしろ、憐れみが浮かんでみえるのは気のせいか。
「そう思うのも無理はない。だが、何と言われようとその子はもらっていかねばならん」
 そのとき、獻瑪の肩に重みがのった。璃石が、手を後ろからかけたのだ。
「獻瑪、もうよいよ。逆らうと、父さんみたいに怪我をする」
 璃石は、それが見たくないのだ。だが、璃石が獻瑪に怪我をさせたくないのと同じくらい、いや、それ以上、獻瑪には璃石をさらわせたくない。
「ふざけたことぬかすな」
 獻瑪は奥歯を噛んだ。
 獻瑪にとって、璃石は命の恩人だった。両親に捨てられ、北の地で雪に埋もれて死にかけているところを璃石が助けてくれた。そして、今の父や母に頼みこんで、獻瑪を家族に迎えてくれたのだ。
「絶対にお前をいかせない」
 奥歯がギリリと鳴った。何を失っても、璃石だけは失いたくない。
 獻瑪は、鬼導術退散の式を唱え、印を胸の前で素早く結んで闇天狗へと放った。
「はっ!」気合いと共に、蒼い風が光りをまとって渦を巻き、竜巻のように闇天狗へと向かっていく。術は、完璧なはずだった。
 だが、闇天狗はそれに触れもせずに、跳ね返してきた。片手で、空でからめとるような仕草をしたかと思うと、今放った自分の術が自分を宙へと弾き飛ばしていた。
「ぐえっ」胃の腑がえぐられるような痛みを受け、獻瑪は背中を強かに打って着地するとそのまま戻した。
「やめてください」
 朦朧とする意識の中、視界の端では璃石が闇天狗の腕にしがみついて術をかけるのを止めているのが見えた。
「従う。俺は、あなたに従いますから。だから、友だちを傷つけないで」
 闇天狗は璃石へ向き直った。
「よかろう」
 駆け寄って、止めたかった。だが、身体が動かない。
 闇天狗の腕が、璃石の身体へと吸い込まれた。そのように見えた。丁度、璃石の胸の真ん中あたりに、闇天狗の拳がすっぽりと埋まっている。
 璃石は、目を見開いていた。
 うめき声も上げない。
 璃石――。
 獻瑪は、唇を噛み切っていた。血の味が口の中に広がる。その血を人差し指で拭い、手近の石へこすりつけた。
「活!」
 石が垂直に跳びあがった。そして、それが闇天狗の目の高さへ達したとき、獻瑪は素早く「爆」と唱えた。
 石は破裂し、細かい破片を辺りに飛び散らした。
「ぐあっ」そのいくつかが、闇天狗の目へ当たり、闇天狗は怯んだ。
「落」と繰り返すと、頭上の枝から葉が次々に勢いよく落下し、「翔」自在に飛び交い、「追」周りをかこっていた鴉どもを追い回す。
 獻瑪は素早く懐から出した親指大ほどの痺れ薬を地面に投げ、踏みつけ潰して「散」乱させた。
 葉に追われていた鴉どもはそれを避けれず、身体をしびれさせてバタバタと地面に落下していく。逃げ道はできた。獻瑪は既に璃石のもとへ駆けつけている。
 だが、闇天狗の手はまだ璃石の中へ入ったままだ。別のほうの手で、目を抑えている。
「くそ、璃石を離せ」
 獻瑪は、璃石の中から闇天狗の腕を引き抜こうとした。
「寄せ。まだ離脱がおわっておらぬ」
 獻瑪は、大木にぶら下がっているような感じがしたが、その抵抗も無意味ではないようだった。闇天狗は、璃石の命を奪えないでいる。
 このまま、手をはなさなければ璃石が救える。
 だがそう思ったときだった。
 獻瑪の脳天に雷落ちたかのような衝撃が走った。
気づいたときには手を放していて、獻瑪は地面に尻もちをついていた。
 何が起きたのかわからず顔をあげると、闇天狗はさっきの格好のまま璃石に手をつっこんでいる。璃石はされるがまま、人形のようになっていて、だがその場の景色は変わっていた。辺りを、鬼が囲んでいたのだ。
「おのれ鬼め」闇天狗は呻くように言った。
 鬼、と言っても使い鬼。手足もなければ胴体もなく、毬のような頭に角を生やしただけのものが、ポンポンとしきりに地面の上を飛び跳ねていた。その一つが、獻瑪の脳天を襲ったらしい。
「去れ、小僧」
 闇天狗が苦い顔をして言った。
「こやつらは人間を喰うぞ。わしは今ぬしを守れぬ」
 何言ってんだこのオヤジ。
「なんで、オレがてめえに守ってもらわなきゃ――」二の句は告げなかった。毬のような鬼が、一斉に獻瑪へ襲い掛かってきたのだ。
「のああっ壁壁壁」
 慌てたが、だてに修行をしてきたわけじゃない。使鬼は獻瑪の周りへできた見えぬ壁に弾かれて、赤い毬のように地面へ転がっていく。
「この子どもへ手出しをすれば許さぬぞ」
 闇天狗が言った。獻瑪をかばってくれているようではあるが、獻瑪にとって今の最大の敵はこの闇天狗に他ならない。
「璃石から手を放せって言ってんだよ!」
 獻瑪は壁を解き、全身全霊、持てる限りの力を込めて闇天狗へと術を放った。
「退散!」
 だが、結果はさっきと同じだった。術は弾き返されなかったが、闇天狗はそよ風が通り過ぎたような平然としたようすであった。
 術を放ち終わったあとの虚をつかれ、獻瑪は襲い掛かる鬼を完全に避けることができなかった。
 なんとかまともに喰われるのは免れたものの、右手の小指の爪が持ってかれていた。
 だが、そんなことにかまってはいられない。獻瑪は残っている力をすべて振り絞って、闇天狗へ術を放とうとした。だが、もうのこされている力はなかった。
 また、闇天狗の巨木のような腕へただぶらさがるだけの格好になっている。
 獻瑪は、そこから璃石へ手を伸ばした。手を伸ばせば届くのだ。
「璃石! 行くな、璃石!」
 手は、届いた。璃石の左肩を、獻瑪の右手が掴んだ。小指から流れる血が、璃石の着物に滲んだ。
「璃石!」
 獻瑪が最期の力を振り絞って呼ぶと、璃石はふと気づいたように視線を獻瑪に合わせた。
 璃石は、ほほ笑んだ。
「獻瑪、」
「璃石――」獻瑪の声はもう音になっていなかったかもしれない。
「爪は、大事だぞ」
 獻瑪は顔をしかめた。そのまま、力を失い気づいた時には地面に仰向けに倒れていた。
 闇天狗の手は璃石から離れ、璃石の身体は獻瑪の隣に崩れ落ちた。
「これも仕方なかろう」闇天狗の声が聞こえて、辺りの土が舞った。
 おれは、朦朧とした意識の中それを見ていた。
 闇天狗の前に、自分と同じくらいの黒い影が立っていて俺に近寄ってきた。
 そいつは、鬼を一匹、その辺の石を拾い上げるようなしぐさで簡単に捕まえると、手の平の中に鬼を閉じ込めた。綿花を握って小さくするみたいに、鬼は小さく萎んで、それは丁度おれの小指の爪の大きさほどになっていた。
「爪を返すよ」
 そいつはそう言った。
「今まで、ありがとう。元気でな」
 そう言って、たぶんほほ笑んで、おれの右手を強く握った。
 おれは、そのまま意識を失って、このときのことも夢だったのか現だったのかわからないまま次第に記憶は薄れていくものなのだろう。
 
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