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ササメ 4
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獻瑪がそれから意識を取り戻したのは、闇天狗に襲われてから三日後のことだった。
璃石は――生きていた。
寝台に寝かされ、息をしていた。だが、それだけ……。
呼びかけても、反応はない。笑いもしないし、冗談も言わない。
もう一緒にバカなこともできないのだろうと、何故か思った。これから、目を覚ますこともあるかもしれないのに、獻瑪は璃石がもう起き上ることはないのだとわかったのだ。
白い清潔な夜具に包まれて、静かに眠る璃石を見下ろしていたら、まったく不意に涙があふれてきた。
「こんなの、璃石じゃない」
ぽたぽたと、頬を伝う涙が床に落ちて音をたてた。足下に、丸い染みがいくつもできた。獻瑪は滲む視界の中でただただその茶色い染みを見つめることしかできなかった。
おれは、無力だ――。
そんな獻瑪の肩を、後ろから柔らかに抱いた者があった。
母だった。
「璃石は、まだ生きている。獻瑪が、助けたのだよ」
「違う。おれが死なせたんだ」
「何を言うの」
獻瑪は振り返って母にくってかかった。
見開いた母の目の下に隈ができている。本当は、母ちゃんだっておれを責めたいに違いないのに。だって、おれが死なせたんだ。一緒にいたのに、守れなかった。振り返ると、部屋の隅にうなだれて座る父の姿があった。
己を責める気持ちは、きっと獻瑪よりも深いだろう。獻瑪は、父を気の毒に思うのと、無事で安心するのと、だが、どうして璃石を助けてくれなかったのだと怨む気持ちと、ないまぜになって父にかける言葉を見つけることができなかった。
母は、獻瑪に諭すように言った。
「あなたは璃石を守ろうとした。あなたが使者を止めていなければ、璃石は今頃鬼に――」
その先を聞きたくない。
訳がわからなかった。
天狗に仕えているはずの闇天狗が、どうして鬼と共に現れて璃石をさらっていくのか。天狗は助けてくれなかったし、鬼は封印から蘇った。それだけでもう目の前には絶望しかない。
「おれが、璃石をなくしたんだ。璃石は、ここにはいない。いないんだよ、母ちゃん。ここにいる璃石は、空っぽだ」
自分の言葉が自分を傷つけていた。目をそらせない現実が目の前にある。取り返しのつかないことが起こったのだ。これは、夢でも幻でもない。璃石は、璃石であることを奪われたのだ。
獻瑪は、部屋を飛び出していた。裸足のまま、家を飛び出していた。寒さに向かう季節。一人で生き延びられるような場所ではない。だが、そこに居続けることは、獻瑪にはもはやできなかった。
獻瑪は璃石を失い、己の居場所を失ったのだ。
悪い子は、鬼に喰われるぞ。
昔爺さまが言っていた言葉が耳に蘇る。大人は皆そう言った。
けれど、そんなの嘘だった。
悪い子じゃなくたって、鬼は喰うんじゃねえか。
いつの間にか目の前に、海が広がっていた。
砂浜に、波が打ち寄せている。木片が散らばっていた。どこから流れてきたものなのか。
不満はあったけれど、結局一生この島にいるんだろうと思っていた。いるつもりだった。ここが自分の居場所だと思っていた。
でも、そんなものは簡単に壊れる。
でも、絶対に壊せないものもある。
この海岸で、よく璃石と唄った。いや、唄っていたのはおれだけか。獻瑪に苦笑が浮かんだ。
璃石は、ただ一人のおれの観客だった。おれは、唄を璃石に聞かせていた。璃石は、どう思っていたんだろうな。
今となっては聞けない。今度会ったときに聞こう。おれの唄はどうだったか。
獻瑪は海に向かって唄った。
璃石は――生きていた。
寝台に寝かされ、息をしていた。だが、それだけ……。
呼びかけても、反応はない。笑いもしないし、冗談も言わない。
もう一緒にバカなこともできないのだろうと、何故か思った。これから、目を覚ますこともあるかもしれないのに、獻瑪は璃石がもう起き上ることはないのだとわかったのだ。
白い清潔な夜具に包まれて、静かに眠る璃石を見下ろしていたら、まったく不意に涙があふれてきた。
「こんなの、璃石じゃない」
ぽたぽたと、頬を伝う涙が床に落ちて音をたてた。足下に、丸い染みがいくつもできた。獻瑪は滲む視界の中でただただその茶色い染みを見つめることしかできなかった。
おれは、無力だ――。
そんな獻瑪の肩を、後ろから柔らかに抱いた者があった。
母だった。
「璃石は、まだ生きている。獻瑪が、助けたのだよ」
「違う。おれが死なせたんだ」
「何を言うの」
獻瑪は振り返って母にくってかかった。
見開いた母の目の下に隈ができている。本当は、母ちゃんだっておれを責めたいに違いないのに。だって、おれが死なせたんだ。一緒にいたのに、守れなかった。振り返ると、部屋の隅にうなだれて座る父の姿があった。
己を責める気持ちは、きっと獻瑪よりも深いだろう。獻瑪は、父を気の毒に思うのと、無事で安心するのと、だが、どうして璃石を助けてくれなかったのだと怨む気持ちと、ないまぜになって父にかける言葉を見つけることができなかった。
母は、獻瑪に諭すように言った。
「あなたは璃石を守ろうとした。あなたが使者を止めていなければ、璃石は今頃鬼に――」
その先を聞きたくない。
訳がわからなかった。
天狗に仕えているはずの闇天狗が、どうして鬼と共に現れて璃石をさらっていくのか。天狗は助けてくれなかったし、鬼は封印から蘇った。それだけでもう目の前には絶望しかない。
「おれが、璃石をなくしたんだ。璃石は、ここにはいない。いないんだよ、母ちゃん。ここにいる璃石は、空っぽだ」
自分の言葉が自分を傷つけていた。目をそらせない現実が目の前にある。取り返しのつかないことが起こったのだ。これは、夢でも幻でもない。璃石は、璃石であることを奪われたのだ。
獻瑪は、部屋を飛び出していた。裸足のまま、家を飛び出していた。寒さに向かう季節。一人で生き延びられるような場所ではない。だが、そこに居続けることは、獻瑪にはもはやできなかった。
獻瑪は璃石を失い、己の居場所を失ったのだ。
悪い子は、鬼に喰われるぞ。
昔爺さまが言っていた言葉が耳に蘇る。大人は皆そう言った。
けれど、そんなの嘘だった。
悪い子じゃなくたって、鬼は喰うんじゃねえか。
いつの間にか目の前に、海が広がっていた。
砂浜に、波が打ち寄せている。木片が散らばっていた。どこから流れてきたものなのか。
不満はあったけれど、結局一生この島にいるんだろうと思っていた。いるつもりだった。ここが自分の居場所だと思っていた。
でも、そんなものは簡単に壊れる。
でも、絶対に壊せないものもある。
この海岸で、よく璃石と唄った。いや、唄っていたのはおれだけか。獻瑪に苦笑が浮かんだ。
璃石は、ただ一人のおれの観客だった。おれは、唄を璃石に聞かせていた。璃石は、どう思っていたんだろうな。
今となっては聞けない。今度会ったときに聞こう。おれの唄はどうだったか。
獻瑪は海に向かって唄った。
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