5 / 17
ササメ 4
しおりを挟む
獻瑪がそれから意識を取り戻したのは、闇天狗に襲われてから三日後のことだった。
璃石は――生きていた。
寝台に寝かされ、息をしていた。だが、それだけ……。
呼びかけても、反応はない。笑いもしないし、冗談も言わない。
もう一緒にバカなこともできないのだろうと、何故か思った。これから、目を覚ますこともあるかもしれないのに、獻瑪は璃石がもう起き上ることはないのだとわかったのだ。
白い清潔な夜具に包まれて、静かに眠る璃石を見下ろしていたら、まったく不意に涙があふれてきた。
「こんなの、璃石じゃない」
ぽたぽたと、頬を伝う涙が床に落ちて音をたてた。足下に、丸い染みがいくつもできた。獻瑪は滲む視界の中でただただその茶色い染みを見つめることしかできなかった。
おれは、無力だ――。
そんな獻瑪の肩を、後ろから柔らかに抱いた者があった。
母だった。
「璃石は、まだ生きている。獻瑪が、助けたのだよ」
「違う。おれが死なせたんだ」
「何を言うの」
獻瑪は振り返って母にくってかかった。
見開いた母の目の下に隈ができている。本当は、母ちゃんだっておれを責めたいに違いないのに。だって、おれが死なせたんだ。一緒にいたのに、守れなかった。振り返ると、部屋の隅にうなだれて座る父の姿があった。
己を責める気持ちは、きっと獻瑪よりも深いだろう。獻瑪は、父を気の毒に思うのと、無事で安心するのと、だが、どうして璃石を助けてくれなかったのだと怨む気持ちと、ないまぜになって父にかける言葉を見つけることができなかった。
母は、獻瑪に諭すように言った。
「あなたは璃石を守ろうとした。あなたが使者を止めていなければ、璃石は今頃鬼に――」
その先を聞きたくない。
訳がわからなかった。
天狗に仕えているはずの闇天狗が、どうして鬼と共に現れて璃石をさらっていくのか。天狗は助けてくれなかったし、鬼は封印から蘇った。それだけでもう目の前には絶望しかない。
「おれが、璃石をなくしたんだ。璃石は、ここにはいない。いないんだよ、母ちゃん。ここにいる璃石は、空っぽだ」
自分の言葉が自分を傷つけていた。目をそらせない現実が目の前にある。取り返しのつかないことが起こったのだ。これは、夢でも幻でもない。璃石は、璃石であることを奪われたのだ。
獻瑪は、部屋を飛び出していた。裸足のまま、家を飛び出していた。寒さに向かう季節。一人で生き延びられるような場所ではない。だが、そこに居続けることは、獻瑪にはもはやできなかった。
獻瑪は璃石を失い、己の居場所を失ったのだ。
悪い子は、鬼に喰われるぞ。
昔爺さまが言っていた言葉が耳に蘇る。大人は皆そう言った。
けれど、そんなの嘘だった。
悪い子じゃなくたって、鬼は喰うんじゃねえか。
いつの間にか目の前に、海が広がっていた。
砂浜に、波が打ち寄せている。木片が散らばっていた。どこから流れてきたものなのか。
不満はあったけれど、結局一生この島にいるんだろうと思っていた。いるつもりだった。ここが自分の居場所だと思っていた。
でも、そんなものは簡単に壊れる。
でも、絶対に壊せないものもある。
この海岸で、よく璃石と唄った。いや、唄っていたのはおれだけか。獻瑪に苦笑が浮かんだ。
璃石は、ただ一人のおれの観客だった。おれは、唄を璃石に聞かせていた。璃石は、どう思っていたんだろうな。
今となっては聞けない。今度会ったときに聞こう。おれの唄はどうだったか。
獻瑪は海に向かって唄った。
璃石は――生きていた。
寝台に寝かされ、息をしていた。だが、それだけ……。
呼びかけても、反応はない。笑いもしないし、冗談も言わない。
もう一緒にバカなこともできないのだろうと、何故か思った。これから、目を覚ますこともあるかもしれないのに、獻瑪は璃石がもう起き上ることはないのだとわかったのだ。
白い清潔な夜具に包まれて、静かに眠る璃石を見下ろしていたら、まったく不意に涙があふれてきた。
「こんなの、璃石じゃない」
ぽたぽたと、頬を伝う涙が床に落ちて音をたてた。足下に、丸い染みがいくつもできた。獻瑪は滲む視界の中でただただその茶色い染みを見つめることしかできなかった。
おれは、無力だ――。
そんな獻瑪の肩を、後ろから柔らかに抱いた者があった。
母だった。
「璃石は、まだ生きている。獻瑪が、助けたのだよ」
「違う。おれが死なせたんだ」
「何を言うの」
獻瑪は振り返って母にくってかかった。
見開いた母の目の下に隈ができている。本当は、母ちゃんだっておれを責めたいに違いないのに。だって、おれが死なせたんだ。一緒にいたのに、守れなかった。振り返ると、部屋の隅にうなだれて座る父の姿があった。
己を責める気持ちは、きっと獻瑪よりも深いだろう。獻瑪は、父を気の毒に思うのと、無事で安心するのと、だが、どうして璃石を助けてくれなかったのだと怨む気持ちと、ないまぜになって父にかける言葉を見つけることができなかった。
母は、獻瑪に諭すように言った。
「あなたは璃石を守ろうとした。あなたが使者を止めていなければ、璃石は今頃鬼に――」
その先を聞きたくない。
訳がわからなかった。
天狗に仕えているはずの闇天狗が、どうして鬼と共に現れて璃石をさらっていくのか。天狗は助けてくれなかったし、鬼は封印から蘇った。それだけでもう目の前には絶望しかない。
「おれが、璃石をなくしたんだ。璃石は、ここにはいない。いないんだよ、母ちゃん。ここにいる璃石は、空っぽだ」
自分の言葉が自分を傷つけていた。目をそらせない現実が目の前にある。取り返しのつかないことが起こったのだ。これは、夢でも幻でもない。璃石は、璃石であることを奪われたのだ。
獻瑪は、部屋を飛び出していた。裸足のまま、家を飛び出していた。寒さに向かう季節。一人で生き延びられるような場所ではない。だが、そこに居続けることは、獻瑪にはもはやできなかった。
獻瑪は璃石を失い、己の居場所を失ったのだ。
悪い子は、鬼に喰われるぞ。
昔爺さまが言っていた言葉が耳に蘇る。大人は皆そう言った。
けれど、そんなの嘘だった。
悪い子じゃなくたって、鬼は喰うんじゃねえか。
いつの間にか目の前に、海が広がっていた。
砂浜に、波が打ち寄せている。木片が散らばっていた。どこから流れてきたものなのか。
不満はあったけれど、結局一生この島にいるんだろうと思っていた。いるつもりだった。ここが自分の居場所だと思っていた。
でも、そんなものは簡単に壊れる。
でも、絶対に壊せないものもある。
この海岸で、よく璃石と唄った。いや、唄っていたのはおれだけか。獻瑪に苦笑が浮かんだ。
璃石は、ただ一人のおれの観客だった。おれは、唄を璃石に聞かせていた。璃石は、どう思っていたんだろうな。
今となっては聞けない。今度会ったときに聞こう。おれの唄はどうだったか。
獻瑪は海に向かって唄った。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです
沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる