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「冗談でもひどいよね」
昼休み。
私は繚厦に雑炊を煮て持ってきた。
「たらし。女の敵だな」
繚厦はペロリと雑炊を平らげた。
しかも育ち盛りの男の子みたいな食べ方。
実際かなり若いみたいだし、この分なら、回復も早そうだ。
「それより、なんか男ものの服ないの?」
繚厦は自分の着ている着物の襟を引っ張って見せる。
私が貸してあげたものだ。焦茶で少し大きめだったから、小柄な繚厦にはちょうど良いのだけど、やはり女物は嫌らしい。
「今日は洗濯係じゃないから、手に入れるのは難しいかも。来週になれば、洗濯室に入れるからそこから洗い終わった後の従者用の着物だったら持ってこられるよ」
「洗濯室ね」
繚厦はニヤリと笑う。
「出歩いちゃだめだよ。ネズミはともかく、この敷地内は外部の人間は立ち入り禁止なんだから」
「にしては、警備が甘かったけどな」
「そういえば、繚厦はなんであんなところに倒れていたの?」
「ん、」
繚厦は言葉を濁す。
「ちょっと気の迷いってゆうか」
「気の迷い? だれか、探してたんだよね? このお屋敷にいる人なの?」
「彲様だ。この屋敷にはいないよ」
「そっか」
昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。
「ごめん。戻らなくちゃ。お夕飯また持ってくるから、大人しくしててね」
「あぁ、わかった」
繚厦はそう言って布団に潜り込む。
やけに素直なのがなんか気になるけど、まあいいか。
私が持ち場へ戻ると、何やら妙な視線を感じた。
振り向くと使用人頭のサクがこちらを睨んでいた。
サクは私と目が合うとサッと顔を逸らし、行ってしまった。
そういえば、私に九孥さまの部屋の掃除を命じたのはサクだった。
私もそれほどバカじゃない。
サクが私をはめて、陥れようとしたことくらいわかる。
私は自分がここでみんなに疎まれていることを知っていた。
理由はわからない。
私は、嫌われ者。
でも仕方ない。
私は私の仕事を一生懸命やるだけだ。
幼い頃、気がついたらこの屋敷に飼われていた。
親もない行き場もない下賤の身の私には、食べるものや着るもの、屋根があって眠れる布団があるだけでもうありがたいことなのだ。
でも嫌になる時だってもちろんある。
そんなときは、お数珠を握りながら天に祈る。
晴れ渡った青い空に、夕焼けの茜空に、今にも降り出しそうな曇天にも。
淡い水色のお数珠は、唯一私がここへ来る前から持っていたもの。
母からそれをもらった薄い記憶がある。
母には捨てられたのだろうけど、そのお数珠を握ると何故か心が落ち着いた。
唯一の私の心の拠り所。
だから、それさえあれば頑張れる。
今日食べるものがあること、眠れる場所があることに感謝して、仕事に励む。
そうして、私がようやく部屋の掃き掃除と拭き掃除を終えた時だった。
「木乎って子はどれ?」
そう言って颯爽と部屋に入ってきた女性がいた。
豪奢な着物に身を包んだ、綺麗な女性。
流匀様だ。
九孥様の恋人と噂されている、分家の、姫君だ。
私がぼうっとしていると、誰かに背中を押された。
「この子です」
押したも者の声によって、流匀様がこちらに首を巡らす。
そのしなやかな動きはさすが雅な方だと感心させる。
「あ、はい。私でございます」
対して私は挨拶さえも辿々しい。
やはり生きる世界が違うのだと思い知らされる。
「あなたが」
流匀様の目がゴキブリでも見るような目に変わる。
「今蘆名さまのところへ寄ったら、あなたを呼んでこいというのよ。でも、」
流匀さまは徐に囲炉裏へ近づくと、十能を手に取り、灰をすくって部屋にばら撒き始めた。
流匀の奇行に軽く悲鳴をあげた者もいたが、身分制度の厳しいこの巳松國ではたかだか使用人では流匀を止めることができない。
流匀は部屋の中を灰まみれにすると気が済んだのか、十能を床に投げ捨てた。
「仕事が終わってないんじゃ、持ち場を去るわけにはいかないわね。蘆名さまにはそう伝えておくわ」
そのための愚行かと思ったら、私は腹が立ってきた。
「お待ちください」
気づいたら、私は流匀を呼び止めていた。立ち去ろうとしていた流匀は、私を振り向き片眉を上げる。
「なにかしら? この私を呼び止めるなど身の程を知らないのね」
「身の程は知っています。ですが、この行いはあまりにもひどい。この部屋を綺麗に掃除したのは私だけじゃないのですよ」
「あら、手が滑ったのよ? ごめん遊ばせ」
「手が滑ったどころの話じゃありません。この灰をかたづけるのにどれほどの労力を使うかわかりますか? あなたは今ここにいるみんなの1時間を無駄にしたんです」
「な、何様なのよあなた」
流匀怒りに震える手が私の頬を叩いた。
痛い。
でも私だけならともかく、みんなを巻き込むのは許せない。
「殴って気が済むのならいくらでもどうぞ」
私がまっすぐに流匀を見つめると、流匀は怯えたようにもう一発私の頬に平手打ち。
「なんて無礼なの!? 私を誰だと思ってるのよ!」
流匀は、私に手を翳した。
私直感する。
これは、マズイ。
流匀は、九孥家の分家。一族の者はほとんどの者が魔法を使える。
流匀は私に攻撃魔法を放とうとしていた。
「やめっ」
私は咄嗟に手で顔を庇う。
魔法弾を跳ね返すことはできた。
でも私が魔法を使えることは内緒だ。その秘密を守るには魔法弾を受けるしかない。
女中たちの悲鳴が上がる。
私の身体は一気に弾き飛ばされ、壁にめり込んで止まった。
バラバラバラッ。
私は床に散らばる数珠を見て、息が止まった。
私の、お数珠が。
唯一、私に家族がいたという証。
私の心の拠り所。
まだ拾い集めれば、元通りにできる。
私は口の中に血の味を感じながらも、めり込んだ壁からなんとか抜け出て、床に落ちた数珠を拾おうとした。
けれど、その手が踏まれる。
流匀の足は、憎しみを込めて私の手を骨が折れそうになるくらいに踏みつけた。
「なんなの、あなた。私でさえ蘆名さまのお部屋に入ったことがないっていうのに。なにが、お茶を淹れるのがうまいよ。そんなの、自動魔法で十分じゃない。あなたなんか要らないのよ」
折れる。折られる。手がーー。
私は歯を食いしばって必死に痛みに堪える。
魔法を使えば、この状況を打開できる。でも、でも、そうしたら運命が変わってしまう気がしてーー。
周りの誰も助けてくれない。
わかっていたけど、私は本当に、ひとりぼっちなんだなぁ。
泣けてくる。
こんな状況で泣くなんて悔しいけど、悔しくて、寂しくて情けなくて、涙が込み上げて止まらない。
もう、いっそーー。
私は、魔力を解放した。
昼休み。
私は繚厦に雑炊を煮て持ってきた。
「たらし。女の敵だな」
繚厦はペロリと雑炊を平らげた。
しかも育ち盛りの男の子みたいな食べ方。
実際かなり若いみたいだし、この分なら、回復も早そうだ。
「それより、なんか男ものの服ないの?」
繚厦は自分の着ている着物の襟を引っ張って見せる。
私が貸してあげたものだ。焦茶で少し大きめだったから、小柄な繚厦にはちょうど良いのだけど、やはり女物は嫌らしい。
「今日は洗濯係じゃないから、手に入れるのは難しいかも。来週になれば、洗濯室に入れるからそこから洗い終わった後の従者用の着物だったら持ってこられるよ」
「洗濯室ね」
繚厦はニヤリと笑う。
「出歩いちゃだめだよ。ネズミはともかく、この敷地内は外部の人間は立ち入り禁止なんだから」
「にしては、警備が甘かったけどな」
「そういえば、繚厦はなんであんなところに倒れていたの?」
「ん、」
繚厦は言葉を濁す。
「ちょっと気の迷いってゆうか」
「気の迷い? だれか、探してたんだよね? このお屋敷にいる人なの?」
「彲様だ。この屋敷にはいないよ」
「そっか」
昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。
「ごめん。戻らなくちゃ。お夕飯また持ってくるから、大人しくしててね」
「あぁ、わかった」
繚厦はそう言って布団に潜り込む。
やけに素直なのがなんか気になるけど、まあいいか。
私が持ち場へ戻ると、何やら妙な視線を感じた。
振り向くと使用人頭のサクがこちらを睨んでいた。
サクは私と目が合うとサッと顔を逸らし、行ってしまった。
そういえば、私に九孥さまの部屋の掃除を命じたのはサクだった。
私もそれほどバカじゃない。
サクが私をはめて、陥れようとしたことくらいわかる。
私は自分がここでみんなに疎まれていることを知っていた。
理由はわからない。
私は、嫌われ者。
でも仕方ない。
私は私の仕事を一生懸命やるだけだ。
幼い頃、気がついたらこの屋敷に飼われていた。
親もない行き場もない下賤の身の私には、食べるものや着るもの、屋根があって眠れる布団があるだけでもうありがたいことなのだ。
でも嫌になる時だってもちろんある。
そんなときは、お数珠を握りながら天に祈る。
晴れ渡った青い空に、夕焼けの茜空に、今にも降り出しそうな曇天にも。
淡い水色のお数珠は、唯一私がここへ来る前から持っていたもの。
母からそれをもらった薄い記憶がある。
母には捨てられたのだろうけど、そのお数珠を握ると何故か心が落ち着いた。
唯一の私の心の拠り所。
だから、それさえあれば頑張れる。
今日食べるものがあること、眠れる場所があることに感謝して、仕事に励む。
そうして、私がようやく部屋の掃き掃除と拭き掃除を終えた時だった。
「木乎って子はどれ?」
そう言って颯爽と部屋に入ってきた女性がいた。
豪奢な着物に身を包んだ、綺麗な女性。
流匀様だ。
九孥様の恋人と噂されている、分家の、姫君だ。
私がぼうっとしていると、誰かに背中を押された。
「この子です」
押したも者の声によって、流匀様がこちらに首を巡らす。
そのしなやかな動きはさすが雅な方だと感心させる。
「あ、はい。私でございます」
対して私は挨拶さえも辿々しい。
やはり生きる世界が違うのだと思い知らされる。
「あなたが」
流匀様の目がゴキブリでも見るような目に変わる。
「今蘆名さまのところへ寄ったら、あなたを呼んでこいというのよ。でも、」
流匀さまは徐に囲炉裏へ近づくと、十能を手に取り、灰をすくって部屋にばら撒き始めた。
流匀の奇行に軽く悲鳴をあげた者もいたが、身分制度の厳しいこの巳松國ではたかだか使用人では流匀を止めることができない。
流匀は部屋の中を灰まみれにすると気が済んだのか、十能を床に投げ捨てた。
「仕事が終わってないんじゃ、持ち場を去るわけにはいかないわね。蘆名さまにはそう伝えておくわ」
そのための愚行かと思ったら、私は腹が立ってきた。
「お待ちください」
気づいたら、私は流匀を呼び止めていた。立ち去ろうとしていた流匀は、私を振り向き片眉を上げる。
「なにかしら? この私を呼び止めるなど身の程を知らないのね」
「身の程は知っています。ですが、この行いはあまりにもひどい。この部屋を綺麗に掃除したのは私だけじゃないのですよ」
「あら、手が滑ったのよ? ごめん遊ばせ」
「手が滑ったどころの話じゃありません。この灰をかたづけるのにどれほどの労力を使うかわかりますか? あなたは今ここにいるみんなの1時間を無駄にしたんです」
「な、何様なのよあなた」
流匀怒りに震える手が私の頬を叩いた。
痛い。
でも私だけならともかく、みんなを巻き込むのは許せない。
「殴って気が済むのならいくらでもどうぞ」
私がまっすぐに流匀を見つめると、流匀は怯えたようにもう一発私の頬に平手打ち。
「なんて無礼なの!? 私を誰だと思ってるのよ!」
流匀は、私に手を翳した。
私直感する。
これは、マズイ。
流匀は、九孥家の分家。一族の者はほとんどの者が魔法を使える。
流匀は私に攻撃魔法を放とうとしていた。
「やめっ」
私は咄嗟に手で顔を庇う。
魔法弾を跳ね返すことはできた。
でも私が魔法を使えることは内緒だ。その秘密を守るには魔法弾を受けるしかない。
女中たちの悲鳴が上がる。
私の身体は一気に弾き飛ばされ、壁にめり込んで止まった。
バラバラバラッ。
私は床に散らばる数珠を見て、息が止まった。
私の、お数珠が。
唯一、私に家族がいたという証。
私の心の拠り所。
まだ拾い集めれば、元通りにできる。
私は口の中に血の味を感じながらも、めり込んだ壁からなんとか抜け出て、床に落ちた数珠を拾おうとした。
けれど、その手が踏まれる。
流匀の足は、憎しみを込めて私の手を骨が折れそうになるくらいに踏みつけた。
「なんなの、あなた。私でさえ蘆名さまのお部屋に入ったことがないっていうのに。なにが、お茶を淹れるのがうまいよ。そんなの、自動魔法で十分じゃない。あなたなんか要らないのよ」
折れる。折られる。手がーー。
私は歯を食いしばって必死に痛みに堪える。
魔法を使えば、この状況を打開できる。でも、でも、そうしたら運命が変わってしまう気がしてーー。
周りの誰も助けてくれない。
わかっていたけど、私は本当に、ひとりぼっちなんだなぁ。
泣けてくる。
こんな状況で泣くなんて悔しいけど、悔しくて、寂しくて情けなくて、涙が込み上げて止まらない。
もう、いっそーー。
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