上司がSNSでバズってる件

KABU.

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第50話:終わらない“これから”を選ぶ日

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朝。

出社してすぐ、社内チャットがピコンと鳴った。

【全体アナウンス】
「本日よりブランド統括室は上階フロアへ完全移転となります。
 それに伴い、関係部署の座席配置・フロア動線も一部変更となります。」

(……ついに、完全に“見えない場所”に行っちゃうんだ)

今までは、フロアの端を見れば、
少しだけ誠さんの横顔が見えた。

「統括室」って言っても、同じフロアの一角だったから、
なんとなく“まだ同じ場所にいる”って思えた。

今日からは、それもなくなる。

デスクに着く前に、スマホが震いた。

《誠:おはよう。
 今日の夕方、少し時間をもらえるか。
 ちゃんと、区切りの話をしたい》

(……区切り、って)

胸がきゅっとなった。

“区切り”なんて言われたら、
怖くなるに決まってる。

でも、逃げたくない。
この数日で、“逃げない”って決めたから。

《真由:はい。いつでも大丈夫です》

すぐ既読がついた。

《誠:では、定時後に屋上で》

(……屋上)

たくさん話して、
たくさん気持ちを確かめ合ってきた場所。

今日の風は、どんな温度なんだろう。



広報フロア。

PCを立ち上げた瞬間、別の通知が飛び込んできた。

【ブランド統括室 → 広報BRIDGE】
《本日15時、第一弾ティザービジュアルの公開準備。
 最終チェックは藤原さんにお願いしたいです》

(あ、統括室のメンバーだ)

続けて、個別チャット。

【誠 → 真由】
《今回のリリースは、君の“温度”が必要だ》

(もう……言い回しがずるい)

頬がゆるむのを必死に抑えながら、タイピングする。

《真由:了解しました。
 “温度”は責任持って入れます》

送信してから、自分でちょっと恥ずかしくなる。

そのとき、成田が後ろからひょいっと顔を出した。

「おっ、朝からニヤニヤしてんな~?」

「してない! 普通!」

「普通の顔じゃねぇ。“彼氏から個別チャット来ました”の顔」

「ちが……っ」

美咲もコーヒーを片手に近づいてくる。

「真由ちゃん、今日いよいよ“完全別フロア”ね」

「はい……」

「顔は明るいけど、肩に力入ってるわよ?」

「……バレてます?」

「バレバレ」

美咲はにやっと笑ったあと、少し真面目な声になる。

「でもね。ここからが“お互いを信頼できてるか”の本番よ」

「本番……」

「会えるかどうかじゃなくて、“会えない時に何を信じるか”。
 二人はそこ、ちゃんと乗り越えそうだけどね?」

「……頑張ります。ちゃんと」

「頑張りすぎないでね」

その言葉に、思わず笑ってしまった。

(頑張りすぎるの、私の悪いクセだもんね)



午前中。

統括室と広報のチャットルームは、ずっと鳴りっぱなしだった。

【統括室】
《スライド7枚目、キャッチコピー案差し替えました》
《広報視点で“伝わりやすさ”の確認お願いします》

【私】
《了解です。3案目が、一番“人の顔が浮かぶ”と思います》

【別メンバー】
《さすが藤原さん……! “人の顔が浮かぶ”って表現が柊さんっぽい》

(……たぶん、私もこういう言い方になってきちゃったんだろうな)

画面の向こうからも、
“誠さんの影響”を感じる。

それが嬉しくて、少し誇らしい。



お昼前。

美咲が紙資料を抱えて走ってきた。

「真由ちゃん、これ! ティザー用のコピー、社外公開前の最終版!」

「ありがとうございます。確認します!」

目を通していくと、
一文だけ、ひっかかる箇所があった。

『働くすべての人に、理想の“上司像”を届けたい』

(……“上司像”って言い方、なんか固いな)

マウスを握り直す。

(“理想の上司”って、誰か一人の完成された人じゃなくて……
 “誰かのために揺れながら頑張る人”のことなんじゃないかな)

気づけば、指が動いていた。

『働くすべての人に、“誰かのために頑張れる自分”を思い出してほしい』

書き換えて、眺める。

(……こっちの方が、“誠さん”っぽい)

すぐチャットで送る。

《真由:キャッチコピー、一部修正案を送りました。
 “上司像”ではなく、“誰かのために頑張れる自分”という表現にしています》

数分後。

《誠:読んだ。
 ……良すぎて、しばらく固まった》

(えっ)

続けて。

《誠:君らしい。
 そして、俺が伝えたかったことそのものだ》

画面越しなのに、声のトーンまで浮かぶ。

(こういうときに、また好きになるんだよね……)



午後。

15時前。
公開システムにティザーの文章とビジュアルがセットされていく。

タイムラインはぎりぎり。
みんなが慌ただしく動いていた。

「藤原さん! 公開1分前です!」

「はい、こっちの文章は反映済みです!」

一斉にカウントダウンして――

「3、2、1……公開!」

画面上に、新しいブランドのティザーが表示された。

“働くすべての人へ。
 誰かのために頑張れる自分を、もう一度好きになってほしい。”

(……あ、もう……ダメだ)

文字を見ただけで涙が出そうになる。

(これ……完全に、“誠さん”と“私”じゃん)

すぐに通知が鳴った。

【社内チャット】
《ティザー、公開完了!》
《反響、早い! コメント熱量高いです!》

別の通知。

《@WORK_LIFE_BALANCE》
「“理想の上司”なんていない。
 でも、“誰かのために頑張ろうとする人”なら、きっとどこかにいる。」

(……公式と、ちゃんとリンクしてる)

タイミング的に完全に狙ってる。

すかさず、個人アカウントで返す。

《@mayu_worklife》
「その“どこか”が、自分の職場だったらいいなと思います。」

送った瞬間、広報フロアの誰かが叫んだ。

「今のリプ、藤原さん!?」

「ち、ちがっ……!」

美咲が笑いながら親指を立てた。

「いいわね。“職場恋愛マニュアル”の最終ページみたいな文言」

「そんなマニュアルいらないです!」

でも、心の奥では――少しだけ誇らしかった。



夕方。

怒涛のチェックと対応を終えて、
やっと一息つけた頃。

時計は18時半を回っていた。

(……そろそろ、約束の時間だ)

屋上に向かうエレベーターの中、
手のひらに汗をかいているのがわかる。

(“区切りの話をしたい”って……
 どんな話なんだろう)

扉が開く。

冷たい風。
沈みかけの夕日。

そして、手すりのそばに立つ誠さんの背中。

「……誠さん」

呼ぶと、彼は振り向いた。

「来たな」

いつもみたいに淡々としてるけど、
目の奥は少しだけ揺れていた。

「ティザー、見た。
 ――完璧だった」

「皆さんのおかげです」

「いや。藤原のおかげだ」

「……っ」

(こういうとき、真正面から褒めてくるの、ほんとに心臓に悪い)

二人で並んで、街を見下ろす。

しばらく風の音だけが続いたあと、
誠さんが口を開いた。

「“区切りの話”と言ったな」

「はい……」

「怖がらせるつもりはなかった。
 だが、きちんと伝えておきたかったことがある」

胸がぎゅっとなる。

(……別れ話じゃありませんように)

彼は空を見たまま、静かに言った。

「今日で、本当に“同じフロアにいる日々”は終わる」

「……はい」

「明日からは、物理的には完全に離れる。
 すぐに顔を見に行くこともできなくなる」

(……わかってる。わかってるけど)

「それでも――」

ふっと、こちらを向いた。

「俺は、ここからが“始まり”だと思っている」

「…………え?」

思わず、変な声が出た。

「終わりじゃない。
 “同じフロアの上司と部下”は、今日で終わる。
 だが、“これから先も同じ方向を見て歩く二人”は、今日からが始まりだ」

「……」

一瞬、言葉が出なかった。

「仕事も変わる。距離も変わる。
 けれど――」

まっすぐな目で、続ける。

「“好き”は、変えるつもりはない」

胸の奥で何かが弾けた。

「……ずるいです」

「また言われたな」

「そういうことを、ちゃんと言葉で言ってくるところが……
 ずるくて、ずるくて……」

涙がにじむ。

「――だから、最後まで信じてしまうじゃないですか」

「最後じゃない」

「……っ」

「“最後まで”じゃなく、“これからも”だ」

言いながら、彼はポケットから小さな箱を取り出した。

「……え?」

「安心しろ。まだ指輪ではない」

「ま、まだ……?」

「焦らない。
 君のキャリアも、俺の仕事も、まだ道の途中だからな」

差し出されたのは、
シンプルな銀色のキーリングだった。

その先には、小さなプレート。

【WLB】の文字と――
その裏に、小さく刻まれた「M & M」。

「……これ」

「“WORK_LIFE_BALANCE”の略だ」

「知ってます」

「そして“誠 & 真由”の略でもある」

「知りませんでした!」

「今、決めた」

「適当すぎません!?」

「いや、かなり真面目に考えた」

「どこをですか!」

思わず突っ込みながらも、
手のひらに乗った金属の感触が、妙にあたたかく感じた。

「これから、もっと忙しくなる。
 もっと会えない日も増えるかもしれない」

「はい……」

「そのたびに、俺はきっと悩む。
 『仕事を取るか、君を取るか』なんて馬鹿な二択で」

「……そんな二択、しないでください」

「しない。
 だから――」

そっと、私の指先を握る。

「この先、“人生のバランス”に迷ったときは、これを見ろ」

プレートを親指でなぞりながら、静かに続けた。

「“仕事”と“恋”を分けるんじゃない。
 どちらにも、君を想う気持ちを注げばいい」

「……」

「俺は、そういう生き方をしたい。
 そして、君にもそういう生き方をしてほしい」

涙がこぼれた。

「……誠さん、ずるいです」

「またか」

「そんなこと言われたら……
 これから先、どんなに大変でも……
 絶対、隣にいたいって思っちゃうじゃないですか」

「それでいい」

迷いなく言い切る声が、風よりもあたたかかった。

「俺は、君と同じ景色を見たい。
 十年後も、二十年後も、同じ方向を見て笑っていたい」

「十年後……」

「そのときに、今度は本当に“指輪”を渡す」

「っ……!」

「正確には、十年と言わず、
 “お互いが納得できる形で仕事を続けながら”だな」

「……そんな約束、していいんですか」

「したいからしている」

目の奥が熱くなる。

「だから、藤原」

名前を呼ばれて、息を飲んだ。

「これからも――
 俺と一緒に、“終わらない関係”を続けてくれ」

それは、プロポーズの手前で止めたみたいな言葉なのに、
私にはそれ以上の重みで響いた。

「……はい」

涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、笑う。

「私も、“終わらない”を選びたいです。
 誠さんと一緒に」

彼が、ほっとしたように笑った。

「よかった」

「なんで、そんなにあっさり言うんですか」

「いや。断られたら、どうしようかと少しだけ思った」

「絶対思ってないですよね、その言い方!」

「少しだけ、だ」

「少しも伝わってません!」

拭いても拭いても涙が零れて、
笑いと一緒に風に溶けていく。



帰り道。

エレベーターを待ちながら、スマホの画面を開く。

《@WORK_LIFE_BALANCE》
「“終わらない関係”とは、
 毎日選び続ける関係のことだ。」

ふっと笑って、指を動かした。

《@mayu_worklife》
「今日も、明日も。
 同じ人を選び続けたいと思っています。」

送信。

数秒後。
返事が来る。

《@WORK_LIFE_BALANCE》
「その人も、きっとそう思っている。」

画面の文字が、
夕焼けの残りの光に照らされて滲んで見えた。

(……うん。知ってる)

エレベーターの扉が開く。

隣には、さっきと同じキーリングを握った誠さん。

「……一緒に、帰るか」

「はい」

指先が少し触れて、
さっきよりも自然に、手が重なった。

これから、たくさんすれ違う日もあるだろう。
会えなくて泣く夜も、きっとゼロにはならない。

それでも――

(私は、何度だって選ぶんだ)

同じ人を。
同じ背中を。
同じ横顔を。

“理想の上司”なんて言葉よりも、
ただひとりの人として。

「誠さん」

「ん?」

「これからも、ずっと好きです」

「知ってる」

即答だった。

「だから俺も、ずっと好きでいる」

駅へ続く道。
二人の影が、ひとつに重なって伸びていく。

物語としての“最終話”は、ここで終わるのかもしれない。

でも、私と誠さんの“終わらない毎日”は――
ここからまた、始まっていく。
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