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第十三章:対決の舞台
しおりを挟む連日の「開店記念フェア」は、今日も大盛況だった。
はずだった。
店の入口脇に置かれた小さなガチャ機は、誰にも回されることなく、ただ静かに佇んでいる。
客たちは——いや、客だった者たちは、次々と店の外へ追い出されていく。
誰かが、小さく悲鳴を上げた。
ヴァンは思わず立ち上がろうとしたが――
「……お兄様」
冷ややかな声とともに、袖を掴まれた。エレナだ。その指先は、氷のように冷たい。
「無用な争いは避けるべきですわ」
彼女の視線が、先頭に立つ男を指す。
質素だが洗練された古風な軍服。胸の階級章は、現在の帝国軍ではほとんど使われていない旧式のデザインだ。
「あの方は……旧貴族派の人間。バックにいるのは古狸たちですわ」
「こちらから手を出せば、家に迷惑がかかります」
「……家のことも、考えてください」
(……なるほどな)
彼らの背後、わずかに離れた場所に、もう一人。
豪華な軍服。年配の男。ただ腕を組んで、静かに様子を眺めている。
(……あの男は?)
ヴァンは、ゆっくりと腰を落とした。
エレナの忠告に従ったわけではない。
タイミングが良すぎるのだ。
連日の開店記念フェア。大盛況の真っ只中。
そこにピンポイントで現れた旧貴族派の“臨検”。
運が悪い?
まさか。
これは仕組まれた罠だ。
(誰が。何のために)
ヴァンは感情を殺し、冷徹な目で舞台上のピエロを観察することにした。
「我が名はルートヴィヒ・アイゼンハルト! 帝都軍事学院戦術研究科教授、コンラート・フォン・アイゼンハルトの子息にして、帝国軍少尉である!」
先頭の男が、朗々と名乗りを上げた。軍服の胸に輝く階級章。
「帝国軍少尉、ルートヴィヒ・アイゼンハルト!」
周囲の空気が、一瞬で凍りついた。
コンラート。
『帝国制式戦法教程』の総編纂者にして、戦術研究科の重鎮。
「――このような戯れが、帝国の戦術を歪めている!」
ルートヴィヒの声が、店内に響き渡る。
「正々堂々たる正面突破こそが帝国の誇り!」
「駆け引きだと? 謀略だと? 女々しい!」
「そんな卑怯な真似は、帝国軍人の取るべき道ではない!」
彼の手が、棚に並んだ駒セットを掴む。
ガシャァン!
床に叩きつけた。
「……入口のあの妙な箱も、玩具だろう。撤去しておけ」
「こんなもの、全て破壊してやる!」
「これが帝国の――」
「少尉殿」
部下の一人が、小声で耳打ちした。
「……まだ、手続きが完了しておりません」
ルートヴィヒの動きが、ぴたりと止まる。
短い沈黙。
「――そうか」
彼は、何事もなかったかのように姿勢を正した。
「いずれにせよ、本日よりこの店舗の営業停止を執行する!」
「以後、一切の販売を禁ずる!」
「遅かれ早かれ、閉店は確定だ!」
部下たちが、封印の札を持って前に出る。
その時――
「待ってください!」
ローランが飛び出した。
商人の血が、黙っていられなかったのだろう。
「お待ちください! この戦棋は単なる遊戯ではありません! 既に数百の実績があり、多くの士官候補生からも『実戦的思考が養える』と、絶大な支持を頂いているのです!」
「購入者のほとんどが、戦術的思考の訓練に役立つと証言しています!」
「これは単なる遊戯ではなく、実戦に資する教材なのです!」
ローランの声は、必死だった。
「……では、問おう」
ルートヴィヒの声が、冷ややかに響く。
「それは、『帝国制式戦法教程』に記載されているか?」
「……え?」
「戦術学の教科書に、採用されているか?」
ローランの顔が、みるみる青ざめていく。
「……それは、まだ……」
「……教科書にない」
ルートヴィヒは、汚いものを見るように言い捨てた。
「帝国が定めた『正解』以外は、すべて『異端』だ。異端に――価値などない」
ローランが、言葉を失う。コンラートは『帝国制式戦法教程』の総編纂者だ。その息子の言葉は、制度という盾に守られている。論理的には、完璧だ。制度的には、正しい。
だが――
ヴァンは、もう座っていられなかった。
もはや傍観者ではいられない。ゆっくりと立ち上がる。
エレナが、またヴァンの袖を掴もうとする。けれど今度は、手で制した。
(大丈夫だ。任せておけ)
ヴァンは人混みをかき分けて、前に出た。床に転がった、砕けた戦棋の駒。それを拾い上げ、軽く埃を払う。
「……貴様、何者だ」
ルートヴィヒの声。警戒と、苛立ちが混じっている。
ヴァンは答えない。代わりに、一歩、また一歩と彼に近づき――静かに問うた。
そして、静かに言った。
「この棋、指したことはあるのか?」
ルートヴィヒが答えようとする。しかし、ヴァンは待たない。
「軍の兵站を管理したことは?」
ルートヴィヒの眉が、ぴくりと動く。周囲がざわめき始める。
「泥まみれの戦場に立ったことは?」
三つの問い。それぞれが、刃のように鋭い。ヴァンは、わずかに笑った。
「まさか――教本を暗記しただけで、戦術を語ってるんじゃないだろうな」
静寂。誰も、何も言えない。
「……ふん」
ルートヴィヒは、鼻で嗤った。
「こんな戯れに興じる必要など無い」
「後方支援? 戦場? それが何の関係がある」
ああ、そうか。
――この男は、本当に何も知らないんだな。
「教科書に書いてある猪突猛進の突撃」
ヴァンの声は、感情を排していた。まるで戦術を論じるかのように、冷静に。
「それしか知らないお前が戦場に立ったら、何ができる?」
「大声で『突撃!』と叫んで、部下を率いて駆けるだけか?」
「どこに突撃すべきか、分かるのか?」
「伏兵に遭ったら、どうする?」
一つ一つの問いが、ルートヴィヒの顔色を変えていく。
「お前は――」
ヴァンは、砕けた駒を彼の足元に置いた。
「戦争がしたいのか、名誉のために死にたいのか」
「勝利が欲しいのか、栄光ある犠牲が欲しいのか」
周囲の視線が、一斉にルートヴィヒに集まる。
「――き、貴様!」
ルートヴィヒの声が、裏返った。
「帝国の精神を侮辱するか!」
「我々には、伝統がある! 栄誉がある!」
「それを――」
「だから聞いてるんだ――名誉のために死にたいのか?」
ヴァンの声は、相変わらず平坦だった。
ルートヴィヒの顔が、真っ赤になる。
反論の言葉が、出てこないのだろう。
「……っ、貴様!」
彼は、拳を握りしめた。
「――お前たち!! この者を不敬罪で拘束しろ!」
部下たちを振り返る。
だが――
誰も、動かない。
互いに顔を見合わせるだけだ。
最後に、階級章が最も小さい新人が、押し出された。
彼は、おずおずとルートヴィヒを見上げる。
そして――
勇気を振り絞って、ヴァンに向かって一歩踏み出した。
手が、腰の魔導杖に伸びる。
その瞬間――
「――お待ちなさい」
凛とした声が、殺気立った空気を切り裂いた。
(もう、仕方ないですわね。向こうから手を出してきたのだから)
エレナだ。
彼女は優雅に人混みをかき分けて前に出た。
『氷の聖女』――その異名通りの、絶対零度の眼差し。
「この方は、ヴァレリアン家の者ですわ」
エレナの声が、静かに響く。
「あら。辺境で実戦を経験された方を、教本だけで育った方々がお相手なさるのですか?」
「……お勇ましいことですわね」
彼女の視線が、新人兵士を射抜く。
「もし、これ以上狼藉を働くというのであれば――私が、学院長と軍務省へ正式に抗議を申し入れます」
「軍法会議、覚悟はおありで?」
新人兵士の顔が、みるみる青ざめていく。
手が、震えている。
やがて――
さっと、後ろに下がった。
ルートヴィヒは、完全に孤立した。
(……惜しかったな)
エレナが出てこなければ、向こうから手を出してきたはずだ。
そうすれば――
(いや、まあいい)
高圧魔力の威力を見せる機会は、他にもあるだろう。
だが――
妹がヴァンを守ってくれた。
それだけでも、収穫だ。
「――ルートヴィヒ少尉」
ヴァンは、彼の名を呼んだ。
「店の営業停止は、保留にしてもらおう」
「な、何を――」
「代わりに、勝負をしよう」
ヴァンは、床の駒を拾い上げた。
「事実で語ろう。 お前と俺、どちらの戦術が正しいか」
「口先ではなく、実力で」
ルートヴィヒが、何か言おうとする。
「――良かろう」
別の声が、それを遮った。
あの、ずっと傍観していた男が、ついに口を開いた。
軍服に輝く階級章は、ルートヴィヒよりも遥かに上だ。
「さすがは、院長殿が直々に推薦状を書いた天才か」
男は、愉快そうに笑った。
「実際に、どれほどのものか見てみたい」
エレナとルートヴィヒが、同時に姿勢を正した。
深々と、頭を下げる。
「か、閣下……!」
ヴァンは、眉をひそめた。
「……どなたです?」
「ああ、失礼」
男は、軽く会釈した。
「帝都軍事学院、戦術評議席次官を務めている」
戦術評議席。
学院における、戦術ドクトリンを決定する最高意思決定機関。
そのナンバー2。
「――丁度、明後日に戦術研討会を開催する予定でね」
次官は、ヴァンとルートヴィヒを交互に見た。
「そこで、二人に模擬戦を披露してもらおう」
「結果次第で――」
彼は、店の方を一瞥した。
「この店の扱いも、決めることにしよう」
【第十三章・終】
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