富豪外科医は、モテモテだが結婚しない?

青夜

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悲しみは雨に流れる

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 関東に大型台風が来ているらしい。八月中旬としては、少々珍しい。
 葬儀の行われている寺の障子越しの窓は、濃い灰色の向こうに、黒い雨筋を次々と映し出している。

 うちの病院からは、院長・蓼科文学、そして大学時代の同級生・花岡栞、山中の血液研究科の人間、俺と部下の一江陽子。
 その他に葬儀の手伝いにナースが数人。

 でかい病院のくせに、たったそれしか来ていない。
 悲しい上に、どうしようもない怒りがあった。

 山中が表にほとんど出ない研究職だった、ということはある。
 でも、あいつの研究は確実に医学の進歩に寄与し、うちの病院内でも成果が認められていたのだ。
 まだ少ない成果だったが、あいつはきっともっともっとやっていただろう。

 あいつが一つの成果を見せたとき。
 
 「山中、良かったな」

 俺が祝いに研究棟に行ってそう言うと、本当に嬉しそうに笑った。
 俺が祝勝会を開こうと言ったら、恥ずかしがって断られた。
 
 「じゃあ、一緒に飲みに行こうぜ!」
 「ごめん、まずは家族と祝いたいんだ」

 俺は笑って「そうだな」と言った。

 住職の読経が終わり、焼香に移った参列者たちは沈痛の表情を浮かべながら、喪主となっている中学生の亜紀ちゃんと三人の兄弟を見ては一層の悲痛を見せていた。

 献花では幼い双子の姉妹が泣きじゃくり、棺を閉めるのがしばらく遅れた。
 焼き場で変わり果てた両親の遺骨を骨壷に詰める段では、亜紀ちゃんが突然嗚咽を洩らし、周囲の人間の涙を誘った。

 そうして一通りの儀式が終わり、親戚たちが予約した料理屋に向かい、食事と酒が振舞われた。




 本来は親族の集まりではあったが、俺はある決意を山中の姉の咲子さんに伝え、一緒に行かせてもらった。

 「それにしても、あまりにも突然だったよなぁ」
 50代と見える親族の男性が呟いた。
 俺もそうだし、恐らくここにいるすべての人間が感じていることだろう。
 そうだ。
 あまりにも突然の別れだった。

 四人の子どもたちは、それぞれに俯いたままで、食べ盛りだろうに、食事には一切箸をつけていなかった。
 俺には、なぜかそのことが最も辛い光景に見えた。

 「それにしても、あの子たちはどうにもならないのかね」
 男性の隣に座る、妻と思しき女性が言った。

 昨日、俺は山中の姉・咲子さんから、親族での話し合いで、バラバラに施設に入るのだと聞いていた。
 親戚の中で子どもを引き取れる余裕がある人間はおらず、まして四人ともなれば到底無理だと。
 その時、咲子さんは泣いておられた。

 俺は一つの提案を話した。
 子どもたちには、まだ話していない。
 他の親族の方々の了承が必要だったからだ。

 亜紀ちゃんが突然、立ち上がって頭を下げた。
 「何度もみなさんにはお願いして、また申し訳ありません!」

 恐らく、何度も親戚たちにそうやってきたのだろう。
 「どうかお願いします。私たちをどなたか引き取っていただくことはできないでしょうか!」

 「遺産はすべてお譲りします。ですから、どうか私たちが成人するまで、いいえ、私がどこかに就職できるまでの間で結構ですから、どうか!」

 亜紀ちゃんは泣き崩れた。
 親戚たちは少女の言葉に俯くことしかできなかった。

 俺は立ち上がった。

 「石神高虎と申します。山中の親友でした」

 咲子さん以外、俺のことは誰も知らない。
 「港区の病院で医師を勤めています。ご親族のみなさんの前で勝手を申しますが、私に四人を引き取らせていただけないでしょうか!」
 当然だが、みんな驚いて俺を見ている。
 亜紀ちゃんは驚いて顔を上げ、俺の方へ駆け寄り、そのまま抱きついて泣いた。
 誰もが黙っている。

 「あんたは確か義男の同僚だったかな」
 この中で最も年配に見える男性が俺に話しかけてきた。

 「そうです。山中とは親友で、東大医学部からずっと一緒でした。奥さんとも親しくさせていただいていました。だから子どもたちとも面識があります」
 「そうか。亜紀ちゃん、君はこの人に引き取られてもいいのかな?」
 「石神さんなら、何の不満も不安もありません!」

 長女の亜紀ちゃんはまっすぐに応えてくれた。
 「入間のおじいちゃん。どうかお許しいただけないでしょうか」
 「そうだな。いや、そもそもワシらには反対する資格もないことだ。でも石神さんは、本当にいいのかね」
 「もちろんです。どうか、私に引き取らせてください。お願いします」
 「ワシはあんたのことをまったく知らん。でもこの子たちはよく知っているようだし、信頼も厚いらしい。もしも本当に引き受けてくださるのなら、是非お願いしたいと思う。他のみんなはどうかな?」

 みなさんが、口々に賛同してくれた。

 入間さんが拍手をしたのに続き、他の親戚の方々も拍手をしてくれた。
 咲子さんは涙を浮かべながら手を叩き、俺に頭を下げていた。

 「ありがとうございます。それでは卑小の身ではありますが、精一杯努めさせていただきます。皆様のお気持ちを支えに、精進してまいりますので、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします」

 俺は方々に頭を下げつつ、席に座った。
 「石神さん、本当にありがとうございます」
 居住まいを正し、咲子さんは深々と俺に頭を下げた。
 「そんな、どうか顔を上げてください。俺は未熟ですが、必ず子どもたちは大事に育てますので、そこだけは信じてください」

 「ありがとうございます。亜紀ちゃん、みんな、こっちへいらっしゃい!」
 子どもたちは席を立ち、こちらへ来た。

 「石神さん、本当にありがとうございます」
 亜紀ちゃんはまた泣きじゃくっている。
 俺は頭を撫でてやった。

 「亜紀ちゃん」
 「は、はい。なんでしょうか」

 「俺はあの日言ったよな」
 「はい?」

 「亜紀ちゃんが俺に電話をくれて、俺はすぐに行くから待ってろと」
 「はい、はい!」
 「そして俺は任せろと言った」
 「はい! そうでした!」
 
 亜紀ちゃんは一層泣いた。
 この小さな胸に、どれほどの不安と苦悩を抱えていたのか。
 でも、この子は勇気を出した。
 俺はそれが嬉しい。

 「これから宜しく頼むよ。でも今のうちに確認しておくけど、お前たちは本当に俺のところへ来てくれるのか?」

 長男の皇紀、次女三女の双子の瑠璃と玻璃。

 「「「はい!」」」

 「いろいろと整理やら手続きはあるだろうが、なるべく早く済ませて一緒に暮らそう」

 「お手数をおかけします」
 亜紀ちゃんが力強く応えた。
 咲子さんは後ろからそっと四人を抱きしめた。

 「みんな、本当に良かったねぇ。石神さんのところで、幸せになってね」


 俺は入間さんに呼ばれ、酒を酌み交わした。
 他愛ない話の中で、幾つも俺のあれこれを聞かれたのは、入間さんが俺の人となりや資産の多寡を推し量ろうとしていたのだろう。
 子どもたちへの心配のためなのだから、俺に嫌な思いも無かった。

 子どもたちは、咲子さんが話しかけながら膳に箸をつけていた。
 本当に優しい光景だった。



 会食は終わり、それぞれ帰途につく。
 子どもたちは数日家に帰り、咲子さんがその間世話をしてくれることになった。

 外に出ると、あれほど激しかった雨が止んでいた。
 東の空に青い月が昇ろうとしていた。

 俺が駐車場に向かうと、亜紀ちゃんが駆け寄ってきた。

 「石神さん、ありがとうございます」
 「いや、いいんだよ」
 「石神さんは、父の言ったとおりの方でした!」
 「そうか」
 「そうです」

 亜紀ちゃんは晴れやかに笑っていた。に、もはや絶望は欠片も見当たらなかった。




 亜紀ちゃんは晴れやかに笑っていた。
 それが、全てだ。
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