42 / 3,202
蓼科文学 Ⅱ
しおりを挟む
その男を初めて知ったのは、他部署との合同忘年会の席だった。
大病院で、全てが休むわけにはいかないということで、二科ずつ互いに相手を変えながら忘年会をするのが慣わしとなっていた。
その年、蓼科の第一外科部は薬剤部との合同忘年会になっていた。
「蓼科先生、どうぞ」
目の前に薬剤部の噂の超絶美人が酌をしている。
配属から、たちまちその美貌が噂されただけではない。
真面目な勤務態度、患者や同僚に見せる優しさ。
これ以上は無い、という高評価で、病院内で彼女のことを知らない人間はいない。
「ああ、どうもありがとう」
確かに目の前の女性からは、完璧、という言葉しか浮かばない。
四十を超え、恋愛など興味を喪った自分でも、ややもすれば危なさを感じてしまう。
「君は確か…」
「花岡と申します。どうぞ宜しくお願いします」
花岡の注いでくれたジュースは、美味さが増している気分になる。
蓼科は酒が飲めない。
「君も東大医学部だったね」
「はい、蓼科部長の後輩になりますね」
仄かに笑うと、一層美しさが際立つ。
「どうかな、学生時代に誰か面白い奴はいたかな」
蓼科は軽く話題を振るつもりで、美しい女性に問う。
「ああ、一人いましたよ。もう無茶苦茶な人でしたけど、非常に魅力的というか」
「ほう、どういう奴だった?」
花岡は多少身を乗り出して話し始めた。
誰かに聞いてもらいたかった、という感じもある。
その男は、喧嘩が大好きでしかも負け知らず。
成績も良かったが、それ以上に教養があり、非常に話も面白い。
それでいて、威張ることはなく、困っている人間に手を差し伸べる優しさもあった、と。
蓼科は相槌を打ちながら聞いていたが、大して興味はなかった。
ただ一点、花岡という「魂の清澄」な女性が、ベタ褒めしていることだけは驚いていた。
石神という男。
「石神くんは、東大病院に残るのかと思っていたんですが、お世話になった教授の勧めということで、○○女子医大に就職したんです」
次にその男を見つけたのは偶然だった。
定期的に送られる医学ジャーナルの雑誌の、学会の予定欄だった。
石神という名前と、女子医大の名前が連なって掲載されていた。
蓼科が興味半分に学会に顔を出そうと思ったのは、多少花岡の話が頭をよぎったからだった。
「どんな男か見てみたい」
なんだ、あの男は。
蓼科は総毛だった。
「まるで化け物じゃないか……」
蓼科文学には、誰にも話さない秘密があった。
親しい友人にも、家族にさえ話したことはない。
二十年近く連れ添った妻も知らない。
蓼科は、魂の炎が見える。
意識を集中すれば、だが、蓼科は普通の人間には決して見えない「魂」が見える。
その魂を包む「炎」が見える。
それは、相手が考えることが分かるということではない。
多少はその傾向もあるが、相手の感情が少し感じられる程度だ。
むしろ、蓼科の能力は、魂の炎に連なる、不思議なエネルギーの操作に重点があった。
蓼科は、自分でそのエネルギーを操作し、相手に影響できる能力を有していた。
蓼科文学は、外科医として次々と難手術を成功させ、日本はおろか海外にまでその名声が伝わりつつある。
四十代で大病院の理事に就任できたのは、その功績に拠る。
そのエネルギーは、患者のバイタルの低下を一時的に抑えることができた。
そのエネルギーは、患者の免疫力を格段に高めることができた。
そのエネルギーは、事前の精密検査で見逃された悪性腫瘍などの病理を教えてくれた。
そのエネルギーは、未知の対処法を脳裏に浮かべてくれた。
そのエネルギーは、患者の魂が遊離するのを一時的に止めることができた。
それによって、施術の終了まで患者が死ぬことがなくなった。
それによって、術後の回復が絶対に約束された。
それによって、オペは毎回成功することができた。
それによって、術後の経過が驚異的に良好になった。
それによって、人間が到達できない領域に踏み込んだ。
蓼科は、石神と出会った。
最初、石神は巨大な炎の柱に見えた。
そんな見え方をした人間は、これまでいない。
光が強い人間は何人も見たが、すべてその道で有名な実力者たちだった。
魂から噴出す炎を持つ人間は、特別な何かがあった。
党を不動の規模に拡大した有名政治家。
表参道に個人美術館を建てられた、世界的芸術家。
日本最大規模の暴力団組織を築いた三代目組長。
生理学分野でノーベル賞を受賞した化学者。
米国支配下の国を覆した外国人の革命家。
蓼科が会った人間の中で、数えるほどの特別な人間たち。
石神は、そのいずれとも異なった。
あまりにも、炎が巨大過ぎる。
「あれではまるで……」
蓼科は、人間では無かった、そういう巨大な「存在」を思い出していた。
「しかし、不安定すぎる。あの男を覆う心はズタズタだ。魂の光だけで持っている。なぜ、あのような状態の男がいるのだ?」
「恐らく、何度も死に直面したのだろう。そういう運命が感じられる。通常ならばその一度で終わるはずの運命から、あの男は何度も立ち上がった」
「でも、最後に喰らった死が、今もあの男の心を蝕んでいる。このままでは、遠からずむき出しの魂が喰われてしまう」
蓼科は、男と話してみようと思った。
大病院で、全てが休むわけにはいかないということで、二科ずつ互いに相手を変えながら忘年会をするのが慣わしとなっていた。
その年、蓼科の第一外科部は薬剤部との合同忘年会になっていた。
「蓼科先生、どうぞ」
目の前に薬剤部の噂の超絶美人が酌をしている。
配属から、たちまちその美貌が噂されただけではない。
真面目な勤務態度、患者や同僚に見せる優しさ。
これ以上は無い、という高評価で、病院内で彼女のことを知らない人間はいない。
「ああ、どうもありがとう」
確かに目の前の女性からは、完璧、という言葉しか浮かばない。
四十を超え、恋愛など興味を喪った自分でも、ややもすれば危なさを感じてしまう。
「君は確か…」
「花岡と申します。どうぞ宜しくお願いします」
花岡の注いでくれたジュースは、美味さが増している気分になる。
蓼科は酒が飲めない。
「君も東大医学部だったね」
「はい、蓼科部長の後輩になりますね」
仄かに笑うと、一層美しさが際立つ。
「どうかな、学生時代に誰か面白い奴はいたかな」
蓼科は軽く話題を振るつもりで、美しい女性に問う。
「ああ、一人いましたよ。もう無茶苦茶な人でしたけど、非常に魅力的というか」
「ほう、どういう奴だった?」
花岡は多少身を乗り出して話し始めた。
誰かに聞いてもらいたかった、という感じもある。
その男は、喧嘩が大好きでしかも負け知らず。
成績も良かったが、それ以上に教養があり、非常に話も面白い。
それでいて、威張ることはなく、困っている人間に手を差し伸べる優しさもあった、と。
蓼科は相槌を打ちながら聞いていたが、大して興味はなかった。
ただ一点、花岡という「魂の清澄」な女性が、ベタ褒めしていることだけは驚いていた。
石神という男。
「石神くんは、東大病院に残るのかと思っていたんですが、お世話になった教授の勧めということで、○○女子医大に就職したんです」
次にその男を見つけたのは偶然だった。
定期的に送られる医学ジャーナルの雑誌の、学会の予定欄だった。
石神という名前と、女子医大の名前が連なって掲載されていた。
蓼科が興味半分に学会に顔を出そうと思ったのは、多少花岡の話が頭をよぎったからだった。
「どんな男か見てみたい」
なんだ、あの男は。
蓼科は総毛だった。
「まるで化け物じゃないか……」
蓼科文学には、誰にも話さない秘密があった。
親しい友人にも、家族にさえ話したことはない。
二十年近く連れ添った妻も知らない。
蓼科は、魂の炎が見える。
意識を集中すれば、だが、蓼科は普通の人間には決して見えない「魂」が見える。
その魂を包む「炎」が見える。
それは、相手が考えることが分かるということではない。
多少はその傾向もあるが、相手の感情が少し感じられる程度だ。
むしろ、蓼科の能力は、魂の炎に連なる、不思議なエネルギーの操作に重点があった。
蓼科は、自分でそのエネルギーを操作し、相手に影響できる能力を有していた。
蓼科文学は、外科医として次々と難手術を成功させ、日本はおろか海外にまでその名声が伝わりつつある。
四十代で大病院の理事に就任できたのは、その功績に拠る。
そのエネルギーは、患者のバイタルの低下を一時的に抑えることができた。
そのエネルギーは、患者の免疫力を格段に高めることができた。
そのエネルギーは、事前の精密検査で見逃された悪性腫瘍などの病理を教えてくれた。
そのエネルギーは、未知の対処法を脳裏に浮かべてくれた。
そのエネルギーは、患者の魂が遊離するのを一時的に止めることができた。
それによって、施術の終了まで患者が死ぬことがなくなった。
それによって、術後の回復が絶対に約束された。
それによって、オペは毎回成功することができた。
それによって、術後の経過が驚異的に良好になった。
それによって、人間が到達できない領域に踏み込んだ。
蓼科は、石神と出会った。
最初、石神は巨大な炎の柱に見えた。
そんな見え方をした人間は、これまでいない。
光が強い人間は何人も見たが、すべてその道で有名な実力者たちだった。
魂から噴出す炎を持つ人間は、特別な何かがあった。
党を不動の規模に拡大した有名政治家。
表参道に個人美術館を建てられた、世界的芸術家。
日本最大規模の暴力団組織を築いた三代目組長。
生理学分野でノーベル賞を受賞した化学者。
米国支配下の国を覆した外国人の革命家。
蓼科が会った人間の中で、数えるほどの特別な人間たち。
石神は、そのいずれとも異なった。
あまりにも、炎が巨大過ぎる。
「あれではまるで……」
蓼科は、人間では無かった、そういう巨大な「存在」を思い出していた。
「しかし、不安定すぎる。あの男を覆う心はズタズタだ。魂の光だけで持っている。なぜ、あのような状態の男がいるのだ?」
「恐らく、何度も死に直面したのだろう。そういう運命が感じられる。通常ならばその一度で終わるはずの運命から、あの男は何度も立ち上がった」
「でも、最後に喰らった死が、今もあの男の心を蝕んでいる。このままでは、遠からずむき出しの魂が喰われてしまう」
蓼科は、男と話してみようと思った。
3
あなたにおすすめの小説
【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。
文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。
父王に一番愛される姫。
ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。
優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。
しかし、彼は居なくなった。
聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。
そして、二年後。
レティシアナは、大国の王の妻となっていた。
※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。
小説家になろうにも投稿しています。
エールありがとうございます!
【完結】狡い人
ジュレヌク
恋愛
双子のライラは、言う。
レイラは、狡い。
レイラの功績を盗み、賞を受賞し、母の愛も全て自分のものにしたくせに、事あるごとに、レイラを責める。
双子のライラに狡いと責められ、レイラは、黙る。
口に出して言いたいことは山ほどあるのに、おし黙る。
そこには、人それぞれの『狡さ』があった。
そんな二人の関係が、ある一つの出来事で大きく変わっていく。
恋を知り、大きく羽ばたくレイラと、地に落ちていくライラ。
2人の違いは、一体なんだったのか?
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
竜帝は番に愛を乞う
浅海 景
恋愛
祖母譲りの容姿で両親から疎まれている男爵令嬢のルー。自分とは対照的に溺愛される妹のメリナは周囲からも可愛がられ、狼族の番として見初められたことからますます我儘に振舞うようになった。そんなメリナの我儘を受け止めつつ使用人のように働き、学校では妹を虐げる意地悪な姉として周囲から虐げられる。無力感と諦めを抱きながら淡々と日々を過ごしていたルーは、ある晩突然現れた男性から番であることを告げられる。しかも彼は獣族のみならず世界の王と呼ばれる竜帝アレクシスだった。誰かに愛されるはずがないと信じ込む男爵令嬢と番と出会い愛を知った竜帝の物語。
笑わない妻を娶りました
mios
恋愛
伯爵家嫡男であるスタン・タイロンは、伯爵家を継ぐ際に妻を娶ることにした。
同じ伯爵位で、友人であるオリバー・クレンズの従姉妹で笑わないことから氷の女神とも呼ばれているミスティア・ドゥーラ嬢。
彼女は美しく、スタンは一目惚れをし、トントン拍子に婚約・結婚することになったのだが。
同窓会に行ったら、知らない人がとなりに座っていました
菱沼あゆ
キャラ文芸
「同窓会っていうか、クラス会なのに、知らない人が隣にいる……」
クラス会に参加しためぐるは、隣に座ったイケメンにまったく覚えがなく、動揺していた。
だが、みんなは彼と楽しそうに話している。
いや、この人、誰なんですか――っ!?
スランプ中の天才棋士VS元天才パティシエール。
「へえー、同窓会で再会したのがはじまりなの?」
「いや、そこで、初めて出会ったんですよ」
「同窓会なのに……?」
芙蓉は後宮で花開く
速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。
借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー
カクヨムでも連載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる