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自分探し、ということ
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亜紀ちゃんは、メモをとってくると言って、席を外した。
可愛らしいピンクのノートを抱えて戻ると、シャーペンをカチカチと鳴らした。
「春日武彦という有名な精神医学の人が、『本当は怖い自分探し』という本を書いているんだ。書庫にあるから、興味を抱いたら読んでみるといい」
俺はメモをとる亜紀ちゃんのために、多少ゆっくりと話し出す。
「それで、自分探しは間違いだ、という俺の結論は予想できるだろう?」
「はい、理由は分かりませんけど」
「自分探しというのは、自分の中で気付いていない才能、長所などを探して見つけようというものだ」
「もしもそれが見つかったら、良いことなのではないかと思います」
「そうか。でも、それは絶対にない!」
亜紀ちゃんの意見は一刀両断にされた。
「人間というのは、ちっぽけで、弱くて、卑しくて、もうダメダメな存在なんだよ」
「ええぇー、そうなんですか!」
亜紀ちゃんは心底嫌そうにそう言う。
「それが現実、事実だ。でも、だからこそ人間というのは大きくなろうとし、強くなろうとし、尊厳を持とうとし、少しでも何とかしようと考えるものなんだ」
「そうかぁ、ダメだと知っているからこそ、良くなろうとするわけですね」
亜紀ちゃんはいつもながらに鋭い。
だから頭の良い人間と話すのは楽しいのだ。
「そういうことだな。そうすると自分探しとは何かと言えば、それは自分の中に良いものがある、という前提で動くということなんだよな」
「だからダメだ、と」
「うん。自分探しで得られるものは、せいぜいが勘違い、ということでしかない。勘違いなんだから、そんなもので人生を進めたら、バカの地獄に堕ちるしかねぇ」
「アハハハ」
亜紀ちゃんは笑いながら、ノートに「バカの地獄」と書いた。
「人間というのは、常に自分がまだまだ全然ダメだ、と思ってないと、すぐにバカの地獄に堕ちてしまう。気をつけろよな」
「はい、分かりました!」
「キリスト教が、世界を覆うようになった。近代では帝国主義によって、完全に世界はキリスト教下に入った」
「はぁ」
話が突然変わったかのように、亜紀ちゃんは感じただろう。
俺はそのまま続ける。
「長い時間を経て、キリスト教は腐敗した。人間のやることはみんなそうだ。最初はどんなに素晴らしいものでも、いずれ必ず腐敗する」
「悲しいですね……」
「そうだな。人間には悲しみがある。そのキリスト教が腐敗したとき、それを何とかしようと考えた人間が「宗教改革」を始めた。それは次第に激しさを増し、キリスト教は宗教改革の波に乗って、それが絶対に正しいことと認識された」
亜紀ちゃんはノートに書いていく。
「しかし、その中で、一人のキリスト者が反発したんだ」
「えぇ!」
「イエズス会のイグナチオ・デ・ロヨラは、ローマ教皇への絶対服従を提唱した。組織の腐敗からの改革を推し進めようとする時代の流れに、敢然と立ち向かったんだよ」
「……」
「ロヨラに、聞いた人がいる。「もしもローマ教皇が間違っていたら、あなたはどうしますか」と。するとロヨラが言ったんだな。「もしもローマ教皇が間違ったら、その間違ったことが正しいのです」と」
「すごい……」
亜紀ちゃんは感動してくれたようだ。
「俺は人間は間違っていて全然構わない、とよく言ってるじゃない。間違いを嫌えば、人間は必ず何もできなくなってしまう。でも、間違っていても構わないと思っていると、初めて何かが出来るんだよ」
亜紀ちゃんはノートを書き留める手を止め、俺の顔を見ていた。
「じゃあ、今週の映画鑑賞は、そのことがよく描かれている作品にしよう」
「楽しみです! なんていう映画ですか?」
「『白い巨塔』だ」
可愛らしいピンクのノートを抱えて戻ると、シャーペンをカチカチと鳴らした。
「春日武彦という有名な精神医学の人が、『本当は怖い自分探し』という本を書いているんだ。書庫にあるから、興味を抱いたら読んでみるといい」
俺はメモをとる亜紀ちゃんのために、多少ゆっくりと話し出す。
「それで、自分探しは間違いだ、という俺の結論は予想できるだろう?」
「はい、理由は分かりませんけど」
「自分探しというのは、自分の中で気付いていない才能、長所などを探して見つけようというものだ」
「もしもそれが見つかったら、良いことなのではないかと思います」
「そうか。でも、それは絶対にない!」
亜紀ちゃんの意見は一刀両断にされた。
「人間というのは、ちっぽけで、弱くて、卑しくて、もうダメダメな存在なんだよ」
「ええぇー、そうなんですか!」
亜紀ちゃんは心底嫌そうにそう言う。
「それが現実、事実だ。でも、だからこそ人間というのは大きくなろうとし、強くなろうとし、尊厳を持とうとし、少しでも何とかしようと考えるものなんだ」
「そうかぁ、ダメだと知っているからこそ、良くなろうとするわけですね」
亜紀ちゃんはいつもながらに鋭い。
だから頭の良い人間と話すのは楽しいのだ。
「そういうことだな。そうすると自分探しとは何かと言えば、それは自分の中に良いものがある、という前提で動くということなんだよな」
「だからダメだ、と」
「うん。自分探しで得られるものは、せいぜいが勘違い、ということでしかない。勘違いなんだから、そんなもので人生を進めたら、バカの地獄に堕ちるしかねぇ」
「アハハハ」
亜紀ちゃんは笑いながら、ノートに「バカの地獄」と書いた。
「人間というのは、常に自分がまだまだ全然ダメだ、と思ってないと、すぐにバカの地獄に堕ちてしまう。気をつけろよな」
「はい、分かりました!」
「キリスト教が、世界を覆うようになった。近代では帝国主義によって、完全に世界はキリスト教下に入った」
「はぁ」
話が突然変わったかのように、亜紀ちゃんは感じただろう。
俺はそのまま続ける。
「長い時間を経て、キリスト教は腐敗した。人間のやることはみんなそうだ。最初はどんなに素晴らしいものでも、いずれ必ず腐敗する」
「悲しいですね……」
「そうだな。人間には悲しみがある。そのキリスト教が腐敗したとき、それを何とかしようと考えた人間が「宗教改革」を始めた。それは次第に激しさを増し、キリスト教は宗教改革の波に乗って、それが絶対に正しいことと認識された」
亜紀ちゃんはノートに書いていく。
「しかし、その中で、一人のキリスト者が反発したんだ」
「えぇ!」
「イエズス会のイグナチオ・デ・ロヨラは、ローマ教皇への絶対服従を提唱した。組織の腐敗からの改革を推し進めようとする時代の流れに、敢然と立ち向かったんだよ」
「……」
「ロヨラに、聞いた人がいる。「もしもローマ教皇が間違っていたら、あなたはどうしますか」と。するとロヨラが言ったんだな。「もしもローマ教皇が間違ったら、その間違ったことが正しいのです」と」
「すごい……」
亜紀ちゃんは感動してくれたようだ。
「俺は人間は間違っていて全然構わない、とよく言ってるじゃない。間違いを嫌えば、人間は必ず何もできなくなってしまう。でも、間違っていても構わないと思っていると、初めて何かが出来るんだよ」
亜紀ちゃんはノートを書き留める手を止め、俺の顔を見ていた。
「じゃあ、今週の映画鑑賞は、そのことがよく描かれている作品にしよう」
「楽しみです! なんていう映画ですか?」
「『白い巨塔』だ」
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